予測困難な時代だからこそ考えたい。世界、日本、私たちにとっての平和な社会の意味と価値

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予測困難な時代だからこそ考えたい。世界、日本、私たちにとっての平和な社会の意味と価値

日本に住む私たちの多くは、これまで当然のように「日本は平和な国だ」と受け止めてきました。しかし、新型コロナウイルスの流行やロシアのウクライナ侵攻といった世界規模の混乱は確実に私たちの生活に暗い影を落とし、格差や分断はますます深まっています。今一度、平和とはなにかを問い直すときが来ているのかもしれません。

そこで今回は、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)に長年勤務された経歴を持つ清水康子先生にお話を伺いました。紛争地帯を含む世界各地で難民支援に携わるなかで清水先生が感じた平和の大切さ、そして平和のために私たちが今できることとは?

Profile

清水 康子(SHIMIZU Yasuko)

関西学院大学 総合政策学部 教授。博士(総合政策)。同大学経済学部卒業後、青年海外協力隊としてガーナに2年間赴任。ハワイ大学で修士号を取得した後、外務省のジュニア・プロフェッショナル・オフィサー派遣制度を通じて1994年にUNHCRに入所。ウガンダ、コソボ、アフガニスタンなどで難民支援に従事。ジュネーブ本部所属、インド・モルディブ事務所代表などを経て、2019年9月に退職。10月より関西学院大学総合政策学部特別客員教授。2021年4月より現職。

この記事の要約

  • 平和で安定した生活は「戦争がない」だけでは達成されない。
  • 平和に見える日本社会も、紛争国と同じように差別や分断という問題を抱えている。
  • 日々の生活の中で平和につながる選択をすることが大切。

紛争から逃れてきた人、母国に帰る人、それぞれの安定した生活を支援する。

1994年から2019年までの25年間、UNHCR職員としてアフリカ、中東、アジア、欧州などさまざまな地域で難民支援を行ってきた清水先生。そのキャリアの大半の期間にわたって、主に難民になった人々へ支援する事業に従事されていたそうです。

「難民支援というと、食糧配給や緊急医療といった支援や国内での難民認定制度を真っ先にイメージする方が多いのではないでしょうか。それは支援の一部にすぎません。難民認定や緊急援助だけでなく、難民の方が避難先の社会の一員として生活ができるようになるための援助を行い、事態が落ち着いて帰還した後に安定して暮らせるようにすることまでがUNHCRの仕事です。そのために『開発的支援』や『平和構築』という視点も重要になってきます」

たとえば1990年代にウガンダに赴任した際には、現在の「南スーダン」(当時は国ではなく、スーダンの一部で「南部スーダン」と呼ばれていた地域)から国境を越えてやってきた難民がウガンダで受け入れられていましたが、国境近くの受け入れ地域では社会的インフラが充分ではなかったそうです。「人口が突然増えれば、病院や学校は圧迫されます。そこでUNHCRでは、難民キャンプの中に施設をつくるだけでなく、難民の子どもを受け入れる地域の学校のトイレや教室の増築なども手がけました。このように、難民支援と受け入れ地域の開発は相互に影響があるので、難民を受け入れている地域の開発という分野で、JICA(国際協力機構)などの開発機関と協力することで難民と受け入れ地域の双方のニーズにこたえる努力をしています」

一方、紛争が落ちつき、難民となった人が母国に帰還する段階で必要なのが「平和構築」という視点です。「帰還した人が安心して暮らしていくためには、治安が改善し、社会が安定することが不可欠です。とくにアフガニスタン、ボスニア、ルワンダといった内戦があった国では、敵対していたグループ同士が同じ地域で一緒に暮らしていくという難しい課題がありました。たとえば、水資源の乏しい地域では水路を整備する必要がありますが、このときにグループ間で水がうまく分配されないと紛争の新たな火種になりかねません。そこで、水路整備の計画段階からさまざまなグループの人に関わってもらい、不公平感が生まれないようにするのです。こうした事業を通して、異なるグループ同士のCo-existence(平和的共生)をめざしてきました」

さらに、現地政府や他の国際機関と連携しながら法制度の整備や安全の確保を行うことも不可欠だそう。難民として他国で暮らす場合も、母国に帰還する場合も、安定した生活を送ることができるようになるまでには、人々はさまざまな課題を乗り越える努力をしており、援助機関は現地の人々の努力を後押しする役目を担っています。

ルワンダで、井戸から水をくむ子ども(写真は記事のイメージ。写真提供:久野武志/Takeshi Kuno/JICA)

すべてを奪う戦争の恐ろしさ、人の表情を変える平和の尊さ。

それぞれの社会での平和の捉え方について伺うと、「活動中は『平和とはなにか』という抽象的な問題を考える余裕はなかった」と清水先生。ですが、コソボ赴任中に平和を強く願った瞬間があると振り返ります。

「その前までアフリカ・ウガンダの紛争地域に赴任していたのですが、旧東欧のコソボに来てみて感じたのは、同じ紛争地域でもヨーロッパは規模が違うなということでした。治安部隊を乗せた軍用車の長い車列を何度も見かけました。いろいろな村を回って聞き取り調査をしていましたが、人が殺された話や家屋がすべて焼かれてしまったというような話の中には、苦しみや憎しみが込められていました。川原にはテントが並び、住む家をなくしたたくさんの人がひしめいていました。そうした状況を見ていると、一刻も早くこんな思いをする人がいない世の中になってほしい、UNHCRが必要のない世界になってほしいと強く願わずにはいられませんでした。

そうこうしているうちに1年が経ち、再びウガンダへの赴任が決まりました。前回の赴任中には反政府軍による難民キャンプへの襲撃が続き、人々の間にも殺伐とした空気が漂っていましたが、私が離れていた1年間で反政府軍が相当壊滅させられて状況は大きく改善していました。何より驚いたのは、当時私たちに不満や怒りをぶつけていた難民の人たちが、今度はみんなニコニコ笑って迎えてくれたことです。平和であることで、こんなにも人の気持ちや表情が変わるのだなと、とても感激しました」

安心して暮らせる環境があるかどうかで、人々の生活、尊厳、気持ち、表情、すべてが変わってしまう。このお話を聞きながら、今まさに戦争や災害で安全な日常を奪われている人々のことを思わずにはいられませんでした。差し迫った命の危険がなく、自分らしくいられる社会は決して当たり前ではないのかもしれません。

1997年3月、ウガンダに逃れていたルワンダの難民が自国に帰還するために、名簿で確認をする清水先生とウガンダの職員の方(写真右)

日本社会は本当に「平和」と言えるの?

「もしあなたが難民になったとき、一番困るのはどんなことだと思いますか? それに対して、どんな支援をしてほしいですか?」。こんな質問に、あなたならどう答えるでしょうか。言語の壁? 仕事? 住居? 難民になるという想像をしてみたこともなかった……という人が多いかもしれません。しかし、あなたは本当に難民になることはないと言い切れるでしょうか。

ある時、紛争地から日本に帰ってきた清水先生は、人々が『日本は平和なのが当たり前』という感覚を持っていることに大きなギャップを感じたと言います。というのも、内戦状態にある国々と日本との間で、社会が抱えている問題にそこまで大きな差があるようには思えなかったのだそうです。

「争いの根本にあるのは人々の不満です。社会の中の一部のグループの人々が虐げられたり、不合理な扱いを受けたりしていると、その不満がさまざまなきっかけで暴力へとつながり、内戦へと発展してしまいます。日本はどうでしょうか? 属性や立場を理由に差別されている人々がおり、そうした人々が声を上げることは容易ではありません。これまでの間、不満が爆発して大きな武力による衝突が起こらなかったのは、何らかのバランスが取れていたのか不満を抑圧する強い力があったからか……果たして、今の日本は本当に『平和』といえるのでしょうか」

内戦ではなく、自然災害で難民と似た状態になってしまう可能性もあります。すでに震災などで避難生活を余儀なくされている方もいますが、さらに大規模な災害が起こって、国外に助けを求めることになったとしたら……。「もし自分が難民になったら」という問いが現実味を帯びてきます。また、こうした感覚のギャップは、戦争に対する想像力の不足にも現れていると清水先生は指摘します。

「ロシアのウクライナ侵攻で、日本でも防衛費の増強がこれまで以上に叫ばれるようになりました。そうした主張をする人は、戦争が起こっても自分の家族や自分自身も被害を受けたり、殺されたりするかもしれないということをリアルに受け止めているのかな、と感じてしまいます。軍備を強化すればするほど戦争は大きくもなり長引きもします。その結果、被害は拡大し命を奪われる市民の数も増えます。軍拡を唱える前に、平和をどうつくっていくかということこそを、まず、議論したいです」

私たちが平和を語るとき、見落としているものとは。

それでは、私たちは生活の中で平和とどう向き合っていけばよいのでしょうか。清水先生は、平和学の父と呼ばれるヨハン・ガルトゥングの考え方を教えてくれました。

「ガルトゥングは、殴ったり、殺したり、爆弾を落としたりというようないわゆる『暴力的行為』だけを暴力とせず、暴力を3つのカテゴリーに分けました。ガルトゥングによると、暴力には相手の身体や精神を直接攻撃するような直接的暴力の他に、構造的暴力、文化的暴力があります。たとえば、50年前の日本社会では、妻が夫に殴られたとしても、それは仕方がないという考え方が普通でした。女は殴られても仕方がないという常識は文化的な暴力です。そのような文化の中では、殴られた妻が警察に相談しても取り合ってもらえないでしょう。これは構造的暴力ということができます。

このように見ていくと、日本を含めあらゆる社会が『平和』と言えるのかどうかにクエスチョンマークがつきます。法律や制度がすべての人の人権を守れているか、社会の中で人々が平等に扱われているかどうかが、その社会が『平和』といえるかどうかのひとつの基準になるでしょう」

日本に住む私たちが「平和」を語るとき、実は多くの暴力を見過ごしてしまっているのではないか、という清水先生の指摘にはドキリとさせられます。あらゆる暴力が存在しない、そして暴力の不在というだけでなく、協力や共同ができる世界、そのようなガルトゥングのいう“積極的な平和”を実現するために、私たちはどうすればよいのでしょうか。身近な第一歩としては、日常のさまざまな選択の場面で考えてみることだといいます。

「人間は生きていく上でいろいろな選択をします。私たちの代表を決める選挙もそのひとつでしょう。選挙の他にも、たとえば子育てをしているなら、どんな絵本やおもちゃを子どもに買ってあげるのかも選択です。もしピストルのおもちゃを選ぶとしたら、そこにどんな思いを込めますか? 日々の生活の中で、一人ひとりが少しでも平和に向かうほうを選び取ってほしいです」

未来に希望を持ち、平和を築こうとする勇気を。

2019年にUNHCRを引退して関西学院大学に着任した清水先生。今は「平和な社会をつくる」という目標を持って、学生が自ら平和について考えられるように授業を行っています。学生と接する中で気づいたのは、自分が本当にやりたいことに気づかないふりをしている若者の存在だと言います。「自分の望みが叶わないかもしれないということへの不安から、その希望自体に気づかないようにしているのでしょうか。ですが年齢にかかわらず、興味のあることに関わってみることで道が見えてくるよと応援したいです」

清水先生の言う「自分の望みに向き合い、行動すること」は、平和な社会を願うことにも通じるように思えます。今も世界中でたくさんの人が戦争や紛争に苦しみ、日本では格差が広がって誰もが弱者の側に追いやられています。しかし私たちは心のどこかでそんな現実に傷つくことを恐れ、「仕方のないこと」と割り切ろうとしていないでしょうか。平和を築こうとする勇気が今こそ必要なのかもしれません。

取材対象:清水 康子(関西学院大学総合政策学部 教授)
ライター:谷脇 栗太
運営元:関西学院 広報部
※掲載内容は取材当時のものとなります

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