被災地の心霊体験の記録が物語る。生者にとって「幽霊」とはどんな存在なのか
「幽霊」というと、非科学的で学問とは離れたところにあるもの、という印象を持たれがちです。怖いものだと受け取る人も少なくないでしょう。しかし東日本大震災の被災地に現れた幽霊は、イメージとは大きく違ったようです。被災者にとって、幽霊はどのような存在だったのでしょうか。被災地を長年フィールドワークしてきた社会学者の金菱清先生にうかがいました。
Profile
金菱 清(KANEBISHI Kiyoshi)
関西学院大学 社会学部 教授。博士(社会学)。専門は、災害社会学、環境社会学。東北学院大学 教養学部 地域構想学科 教授などを経て、2020年より現職。東日本大震災の発生を受けて、「東北学院大学 震災の記録プロジェクト」をスタートさせ、新曜社等より一連の編著を刊行。『3.11 慟哭の記録―71人が体感した大津波・原発・巨大地震』では、「第9回出版梓会新聞社学芸文化賞」を受賞。2021年1月には、震災発生時の自分に送る手紙をまとめた『永訣―あの日のわたしへ手紙をつづる』を出版。ほか著書多数。
この記事の要約
- 東日本大震災による幽霊現象は、その概念を覆す受け止められ方をしている。
- 亡くなった人の夢が、やり場のない思いや孤独に寄り添い、支えてくれることもある。
- 心の痛みを大切に書き記し記録に残すことが、心の安寧につながることもある。
親族ではなく見ず知らずの幽霊であっても、畏敬の念をもって接する。
東日本大震災の発生後から、津波被害を受けた東北の沿岸各地で目撃された幽霊現象の数々。それらの証言をはじめ、霊性の世界に迫った記録集『呼び覚まされる霊性の震災学―3.11生と死のはざまで』(新曜社、以下同。2022年10月現在10刷)が、2016年1月に出版され大きな話題を呼びました。手がけたのは、当時、東北学院大学教養学部の教授だった金菱先生と、そのゼミ生たちです。
「『震災と死者』をテーマにゼミの学生とフィールドワークを行うにあたり、たった一つ学生に指示をしたのは、ブラックスワンを探せということでした。白い白鳥(=ホワイトスワン)ならすぐに探せますが、黒い白鳥は1羽でも見つかると、白鳥の概念が変わることになる。そのなかで学生が見つけてきたのが、幽霊現象だったんです。ある学生が、宮城県石巻市に幽霊が出るという情報をインターネット上で得て、調査を開始します。はじめは不確かな伝聞の情報しか集まらなかったのですが、粘り強く調べていくうちに、複数のタクシードライバーの方からリアリティのある目撃談を聞くことができました」
目撃談の多くは、深夜、夏だというのに真冬の格好をした乗客に出くわすところから始まります。
ある人が出会ったのは、30代ぐらいの女性。津波に襲われたエリアの住所を告げられたため、「あそこは更地ですが」と返したところ、震える声で「私は死んだのですか」と尋ねられます。驚いて後部座席を見ると、そこには誰もいなかったとのこと。
またある人が出会ったのは、小学生くらいの女の子。独りぼっちだと言うので迷子なのだろうと思い、告げられた住所まで送っていくと、「ありがとう」と言って車を降りた途端、消えてしまったのだそうです。
幽霊と言われると、怖くて避けたいものだと感じそうですが、被災地の現場では「もう一度出てほしい」と思われる対象であることが、フィールドワークを続けるなかでわかってきたと、金菱先生は言います。
「それらの経験は、誰にも話していないという方がほとんどでした。人に言うことで、面白おかしく扱われてしまったり、あり得ないと否定されたりするのが嫌だったからです。そのためメーターに記録された運賃は、ドライバー自身が肩代わりするケースもありました。さらに特徴的なのは、出会った幽霊が親族ではなかったこと。見ず知らずの人であっても畏敬の念をもって優しく接していたことです。一般的な研究上、幽霊は“不成仏”という宗教的な扱いで、彼岸の世界に送りだすものとして捉えられますが、石巻という地域ではそうではなかった。幽霊の概念自体を変える、ブラックスワンにあたると感じました」
幽霊現象など亡くなった人とのつながりは、非科学的なものとして退けられかねません。「経験したとしても語りづらいのが現代の在り方」だと金菱先生。しかし当事者にとってリアルな体験である事実が、被災地にはありました。
亡くなった人の夢は、何かメッセージを伝えに来てくれたプレゼント。
その後、金菱先生らが手がけたのは、死者に対して手紙をつづってもらうプロジェクトでした。2017年3月、『悲愛―あの日のあなたへ手紙をつづる』として出版すると同時に、また新たなテーマが浮かび上がります。
「寝ている間に見る夢は、起きてすぐ忘れてしまうことも少なくありませんよね。でも、それらの手紙のなかでは、夢の記録が数多くつづられていたんです。しかも被災した人たちは、その内容を、大切な人に伝えたくて仕方のない言葉としてつづっていたわけです。あまり社会学では扱わないテーマではあるものの、当事者がリアリティを感じているのならと、東日本大震災で身近な存在を亡くした人々の夢の記録を、学生たちと集め始めました。夢での感覚って忘れがちですが、被災した人たちはそうじゃない。色鮮やかだったり、匂いを感じていたり、お子さんにキスをされた感覚まで残っていたりと、我々が現実と接する五感となんら変わらないのが特徴です。ゼミ生たちの報告を受けても、夢の話なのか問わないといけないぐらい、現実との境目がない形で聞き取っていました」
のべ200人以上に調査し、2018年2月には、27編を収録した『私の夢まで、会いに来てくれた―3.11 亡き人とのそれから』(朝日文庫)を刊行。妻と娘が何度も夢に遊びに来てくれると話す男性や、友人に「行くな」と叫ぼうとしても声が出ない夢を100回以上も見つつも、たった1回だけ言えたシーンがあったという高校生らのエピソードが収められています。
「夢は見ようと思って見られるものではありません。受け身でしかなく、常に突然やってきます。それに対し、亡くなった人が何かメッセージを伝えに来てくれたような、何かプレゼントをされたような気持ちになると語る人もいました。被災した人たちは、過去は過去として忘れなさいと言われがちです。教育委員会からの通達で、亡くなった子どもの写真をホームページから削除する学校もありました。ある方は、塾から勧誘の電話があり、子どもが亡くなったことを伝えると、『じゃあリストから削除しておきます』と言われたそうです。亡くなった人は過去のものであり、今を生きてはいけないのかという孤独な思いを、夢が支えてくれることもある。学生が“孤立夢援”と名づけてくれた現実がそこにはありました」
東日本大震災は、死者とのつながりなくして考えられない災害。
そもそも金菱先生は、なぜ被災地の研究を始めたのでしょう。1995年1月に発生した阪神・淡路大震災を大阪で経験した金菱先生。その半月後には、兵庫県西宮市にある関西学院大学へ受験に訪れ、道中で衝撃的な光景を目の当たりにします。そして、16年後に東日本大震災が起こったのは、東北学院大学に勤めていたときのことでした。
「被災地の近くで2回も大震災に遭うとは、どういうことなのか。阪神・淡路と東日本は、僕のなかで問いと答えのようにつながっています。自分自身がそこにいる意味は研究することなのだろうと、被災地の人たちに手記を依頼し、人の目から見た震災を記録する作業を始めました。もともと死生観について研究していたわけでもなく、この時点では死者をテーマにもしていませんでした。きっかけとなったのは、2012年2月に完成した本(※)を渡した皆さんの反応です。これまで協力者に研究本を渡してもお礼を言われるぐらいでしたが、本を抱きしめる人もいれば、仏前に供えるという方もいました。その言動の根底に、死者との関係があると気づいたのです」
※『3.11 慟哭の記録―71人が体感した大津波・原発・巨大地震』
記録につづるという行為は、故人との大切な思いを保存するということにもつながるもの。依頼した手記に対し、ある方は「これが息子にできる父親としての最後の仕事になる」とおっしゃっていたそうです。
「被災者のなかには、苦しみながらもカウンセリングに行かない方が多くいらっしゃいました。カウンセリングを受けることで愛する人のことを忘れてしまうのではという葛藤があったようです。苦しんでその人のことを思い続けるのか、楽になって愛する人を忘れるべきか。その矛盾に当事者自身が悩んでいました。そんななか亡くなった人について書き記し、いつでも見返せる記録に残すということが、心の安寧につながるのだと考えていただける方が出てきました。本が『これだけ愛していた』と刻みつけておくことができる媒体になり得たわけです。この災害は死者とのつながりなくして考えられない。そう認識し、『震災と死者』をテーマにフィールドワークを進めました」
幽霊や夢などの話は幻のように扱われ、どちらかといえば排除される方向にあります。しかし、そのことを主題として据えたとき、悲惨な現実とどう折り合いをつけて生きているのかが初めて見えてきたと、金菱先生は振り返ってくれました。
痛みは取り除く対象ではなく、むしろ大切に保持されるべきもの。
昨年(2021年)は、「東日本大震災から10年」という括り方をされる年でした。しかしその表現に対し、怒りの感情をもつ被災者の方もいらっしゃったと言います。
「『発生から10年』ならまだしも、東日本大震災はまだ終わっていない。忘れるものとして扱われている気がして腹が立つと。防潮堤や道路など、モノは復興しますが、亡くなった人は戻ってきません。行方不明者は、いまだ亡くなった人の数にも数えられていないつらさがある。大切な人を失った方にとって震災は過去のものではなく、いまだもって悲痛を与え続けている事象なのです」
災害は突然起こる、まさかの出来事です。被害の裏側にあった事実や心理を知り、自分の身に起こったらどうなるかを考えることも、記録を残す一つの役割のように感じます。
「“痛み”は、それだけ愛していた証拠にもなる。自身でつづるという試みは、故人との大切な思いをそのまま保存することにもつながります。痛みは取り除く対象ではなく、むしろ大切に保持されるべきもの。私はこれを『痛み温存法』と呼んでいますが、書き記すことで少しだけ肩の荷を下ろすことができた人もいらっしゃいます。どうすれば乗り越えることになるのかと考えたとき、まずは『これだけ愛している』と認めることから始めなければ、何も生まれないと思います」
大規模災害に見舞われなくても、大切な人を失うことは誰しもが避けては通れない経験です。その存在を過去に追いやる必要はないと思えるだけでも、これから訪れる悲しみとの向き合い方が変わるのではないでしょうか。
取材対象:金菱 清(関西学院大学社会学部 教授)
ライター:三浦 彩
運営元:関西学院 広報部
※掲載内容は取材当時のものとなります