はじまりは、ドイツの革新的な管弦楽団。現代の演奏会につながるクラシック音楽の変遷と、その楽しみ方。

CULTURE

はじまりは、ドイツの革新的な管弦楽団。現代の演奏会につながるクラシック音楽の変遷と、その楽しみ方。

季節も深まり、音楽の秋というのにふさわしい風情になってきました。今なお愛され続けるクラシック音楽の演奏会は、どのようにして現在の姿になっていったのでしょうか。実はそこには、近世ヨーロッパの街の発展が大きく関わっていたようです。クラシック音楽の成立や変遷について研究されている小石かつら先生のお話からひもとき、その魅力に迫ります。

Profile

小石 かつら(KOISHI Katsura)

関西学院大学 文学部 文学歴史学科 教授。音楽大学でピアノ演奏を学んだ後、音楽学を専攻し博士(文学)に。2017年に関西学院大学に赴任し、2020年より現職。文学や美術と違い、音楽は楽譜を演奏する者がいて初めて享受できることに興味を抱き、「演奏者によって音にされる現場」に着目。ドイツのライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団や、その指揮者でもあったF.メンデルスゾーンを中心に、近代的な演奏会の成立とその変遷について研究している。

この記事の要約

  • 近代的演奏会のルーツは独・ライプツィヒで誕生した世界最古の民間のオーケストラ。
  • 作曲家としても著名なメンデルスゾーンが、現在のクラシック音楽の演奏会の基礎を築いた。
  • クラシック音楽の演奏会では奏者も聴者も同じ時間と空間を共有するという意味で対等な関係。

今あるオーケストラのスタイルは、ドイツのライプツィヒで確立された。

クラシック音楽といえば、迫力のある大人数でのオーケストラ(管弦楽団)の演奏をイメージするかと思います。そのルーツは、ドイツのライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団にあると、小石先生は解説します。

「ヨーロッパ大陸を縦横に貫く通商街道の交差点に位置するライプツィヒは、12世紀頃から商都としてにぎわってきました。1500年頃には、神聖ローマ皇帝がライプツィヒにメッセ(見本市)の開設権を与え、年に3回、帝国の保護下でライプツィヒ・メッセが催されるようになります。開催日は、9月29日の聖ミカエルの日、1月1日の新年、3月から4月の復活祭後3回目の日曜日。そんなメッセの日に合わせて始まった催し物の一つが、世界最古の民間オーケストラ、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団による演奏会でした。やがて9月から5月頃までの期間中に、毎週や隔週の間隔で行われるようになり、現在も引き継がれる演奏会シーズンが形づくられました」

同楽団の創立時期については諸説ありますが、1781年から現在まで、年間20回前後の定期演奏会を続けている記録が残っているのだそう。専用のホールでの定期的な演奏会が始まったのもライプツィヒからだと言います。

「教会や、宮廷の専属オーケストラは桁違いに歴史が古いんですが、ライプツィヒには宮廷も古くからの教会もありません。演奏会が定期的に開催されるようになると、何時頃に始まり、間に休憩があって、何時頃に終わるかなど、“演奏会の型”も決まっていきます。オーケストラだけの曲、合唱が入る曲、数人からなるアンサンブル曲、複数の独奏楽器とオーケストラからなる協奏曲など、さまざまな形態の演目が、およその形式に従って組み立てられていきました」

その変遷には、1800年頃から本格化した、楽譜の流通が大きく影響しています。ライプツィヒは印刷業が盛んで、楽譜の出版もここから始まったのだとか。当初は1曲ずつのピース販売でしたが、次第に作曲家でまとめた本が売られるようになったと小石先生は話します。

「18世紀までは、作曲家本人が演奏するのが主流でした。当時も楽譜を印刷はしていましたが、誰に渡したかがわかる“年賀状レベル”での流通。端的に言えば、まずモーツァルトなど作曲家が演奏をしに訪れて楽譜を渡し、2回目からは自分たちだけで演奏するというようなスタイルでした。19世紀に入ると今の感覚にかなり近くなり、お金を出せば誰でも楽譜を手に入れられるようになります。ベートーヴェンが交響曲を書き始めたのがこの時代です。彼は楽譜が自分の手から離れることをわかったうえで作曲をした人であり、例えば彼の交響曲のライプツィヒにおける初演にも来ていません。作曲家不在のまま演奏できるのは画期的なことでした」

18世紀までの楽曲はタイトルも番号も重視されていなかったと小石先生は言います。楽譜の流通が始まったことで、カタログをつくって作品に番号を振り、曲にアイデンティティが与えられるようになりました。我々にとって当たり前だと感じていることの多くが、18世紀に生まれたんですね。

「1830年代に入ると、既に亡くなった作曲家の作品を演奏することも盛んに行われるようになり、さらには年代順に並べて聴く、作曲家ごとに並べて聴く、ということが始まります。演奏会のメインに、交響曲を据えるようになったのも同じ時期。交響曲は大規模化し、30分以上の作品が主体になり、大規模な宗教作品やオペラのフィナーレと同等の価値が与えられるようになっていきます。現在、多くのオーケストラ演奏会で見られる“序曲、協奏曲、休憩、交響曲”という“演奏会の型”も、ライプツィヒでは19世紀半ばに主流になりました」

1781年からの演奏会が行われたゲヴァントハウスの内部の様子(Gottlob Theuerkauf, 1894-95, ライプツィヒ市歴史博物館蔵)

後世の演奏会や楽団などに強く影響を与えた音楽家、メンデルスゾーン。

19世紀半ばにライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団から巻き起こった、クラシック音楽にとっての革新的な出来事の数々。その立役者となったのが、作曲家としても著名なメンデルスゾーンだったそうです。

「メンデルスゾーンは1835年、同楽団5代目の指揮者に就任し、1847年に亡くなるまで音楽監督の役割を果たします。その間に、彼はさまざまな大改革を起こしました。先に述べた、歴史的な演奏曲目の選定もそう。バッハから1800年代中頃に至るまでの100年間の曲を、古い順から並べて演奏するヒストリーコンサートをシリーズで始めます。

交響曲が巨大化していったのも、メンデルスゾーンによるところが大きいです。ベートーヴェンが手掛けた大規模な交響曲をほかでもつくろうと、若い作曲家に応募を促すコンクールをスタートさせます。ここから後世に残るような作品は出ませんでしたが、その後、ブラームスやブルックナーの大作が生まれているので、種をまいたことにはなったのかなと」

現代につながる演奏会の礎を築いたF. メンデルスゾーン(Eduard Magnus, 1846, ベルリン国立図書館蔵)

音楽家のあり方として、かつては宮廷楽士になるか教会に雇われるかしかなく、どちらも世襲制でした。音楽家を養成する機関の必要性を感じたメンデルスゾーンは、1843年にドイツ初の音楽大学であるライプツィヒ音楽大学を設立します。

「同大学には世界中から留学生が集まり、卒業後、それぞれの国に戻って活躍しました。日本人で有名なのは滝廉太郎です。今でこそたくさんの音楽大学がありますが、その多くにはライプツィヒのノウハウが息づいています。

一方、演奏者を職業として確立させたのもメンデルスゾーンです。宮廷オーケストラは宮廷に仕える音楽家の専門職で、いわゆる公務員ですが、民間の楽団はそれまで、演奏会の日に参加できるメンバーを寄せ集める形で成り立っていました。その雇用を団員として定式化させ、病気で休んでも給料が得られる、代わりの演奏者が穴を埋める、亡くなれば家族に年金が支払われるといった、今のような雇用システムを確立させました」

さらには、指揮棒を使うことを一般化させたのもメンデルスゾーンの功績だというから驚きです。もともとピアニストがベースラインのような和音を弾くことでみんなをまとめたり、コンサートマスターがリードしたりしていたのが、指揮者へとシフト。オーケストラが巨大化するにつれ、遠くからでも見えやすい指揮棒による指揮が不可欠なものとなっていきました。

「彼が使い始めた頃から指揮棒は徐々に主流となり、会場も現代のような2000人規模のホールに建て直されました。木製ではなく鋼鉄製のピアノが誕生したり、チェロをピンで床に突き立てる形にして音量をアップさせたり、管楽器にキーやバルブをつけて必ず正確な音が鳴るようにしたりと楽器が改良されたのも、すべて19世紀半ばの出来事でした」

現代のクラシック音楽界のスタンダードを築き上げてきたライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団。その演奏会は、今年2022年で242年目のシーズンを迎えました。

「開催されなかったのは、ナポレオン戦争の頃の1年間とコロナ禍の期間だけ。第二次世界大戦では街の80%が破壊されたとも言われていますが、演奏会は継続して開催されていたんですよ。コロナ禍の打撃は、それほどまでに大きなものでした」

ヘルベルト・ブロムシュテット(1998-2005音楽監督、現名誉監督)が指揮するゲヴァントハウス管弦楽団。公式HPより引用

クラシック音楽はありがたがるものでもない、能動的な楽しみのひとつ。

日本での演奏会も、コロナ禍によりしばらく休止されていましたが、徐々に開催されるようになりました。とはいえクラシック音楽の演奏会に足を運ぶとなると、少し構えてしまう気がします。最後に小石先生にクラッシク音楽の楽しみ方についても聞きました。

「古い、難しい、退屈など、あらゆる言葉を使って敷居が高くされていますが、そんなことは全然ありません。映画やテレビドラマのBGMもCM音楽も、すべてクラシック音楽がルーツです。演歌もJ-POPもヒップホップもK-POPも、もとを辿っていくと必ず共通点がありますし、自分の好きな音楽と同じように楽しんだらいい。『どうやって楽しんだらいいのか』と思うほどのものでもないんです。演奏する側が偉くて私たちは聴かせてもらう人、自分は勉強不足だからすごい演奏者のことはわからない、なんて引け目を感じる必要はないと思います」

奏者も聴者も区別なく、会場に集まった人たちが音楽でもって同じ時間と空間を共有しているのだから、対等な関係なのだと力を込める小石先生。「受動的な娯楽が多いなか、演奏会は能動的な楽しみ」だと語ります。 「野球やサッカーの試合と同じです。プレーしている人もスタンドで観戦している人も同じ時間と空間を共有していますし、翌日新聞を見てああだこうだ話せるでしょう。例えばドイツの新聞社には音楽専門の記者がいて、日本でのスポーツ欄のように、演奏会の翌日には新聞各紙で批評が大きく掲載されます。そこからなんらかの思索が始まり、仲間内で議論が起こるというのが日常なんです。演奏会に足を運ぶだけで終わらず、批評を読むところまで参加すると、クラシック音楽は本当に面白くなると思います」

小石先生も参加しているWeb上の音楽批評誌メルキュール・デザール」。毎月発行され、国立国会図書館でアーカイブ化もされている

この人はこう書いているけど自分はこう思った、という続きの思考が出てくれば、それは能動的な関わりです。「決してそうしないといけないわけではなく、そんなにありがたがらなくていい」というのが小石先生の考えです。日本では、批評もまた“ありがたく”受け取られてしまい、「批評家が良いと言っていたから良い音楽だ」と、その言葉を鵜呑みにして、偏った価値が付いてしまうことが残念だとも。「音楽は政治との関わりも多く、大きな力を持っています」と語ります。

「プログラムで、誰がどんな解説を書いているのかを注目してみるのも、客席の様子を観察するのも楽しいし、企画担当の方々が発信されているSNSを追うのも面白いですよ。クラシック音楽の演奏会って流行っていないように思われがちですが、行ってみるといっぱいファンがいますし、あちこちで頻繁に開かれています。イケメンの演奏者を選ぶとか、きっかけはなんでもいい。ぜひ足を運んでみてほしいですね」

何気なく耳にしてみれば、どこかで聴いたことがある楽曲も多いのがクラシック音楽です。高尚なもの、というイメージにとらわれがちでしたが、試しに足を運んでみれば、新たな趣味になるかもしれません。オーケストラによる生演奏の迫力は、一度体験すればトリコになる方も多いはず。もっと気軽に、娯楽の一つとして楽しんでみてはいかがでしょうか。

取材対象:小石 かつら(関西学院大学文学部 文学歴史学科 教授)
ライター:三浦 彩
運営元:関西学院 広報室

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