「言葉」とはなにか? 消滅危機言語の研究者に聞いた、言語の普遍性と多様性|当たり前を考える #2
普段は深く考えることの少ない基本的な物事について、専門家の視点や知見に触れることであらためて考えてみよう、というのがこの「当たり前を考える」シリーズです。第2回は、言語学者の今西祐介先生にお話を伺いました。世界の半数の言語が消滅の危機にあるという今こそ考えたい、多様な言語を研究・記録することの意味とは?
Profile
今西 祐介(IMANISHI Yusuke)
関西学院大学 総合政策学部 国際政策学科 教授。修士(文学)、Ph.D. (Linguistics)。研究分野は言語学(統語論、形態論)、フィールド言語学(マヤ諸語、琉球諸語)。世界に約6000存在する言語すべてに通底する普遍的な規則・原理を、生成文法という言語理論に基づいて解明することをめざしている。さらに、話者の減少により消滅の危機にある「消滅危機言語」を研究対象として、中米グアテマラと奄美・喜界島でフィールドワーク研究に取り組んでいる。
この記事の要約
- 多様な言語を研究することで、普遍的なルールがあることがわかってきた。
- グローバル化によって、かつてない速度で少数言語の消滅が進行している。
- 言語は人々のアイデンティティやものの見方と深く結びつき、変化してゆく。
すべての言語に共通する普遍的なルールがある?
——今西先生にとって、言葉とはどんなものでしょうか?
ヒトをヒトたらしめている要素として、二足歩行や道具を使うことなどさまざまな特徴が挙げられますが、そのなかでも言葉、つまり言語はもっとも重要な要素のひとつです。人間の遺伝子とチンパンジーの遺伝子は98%一致していますが、チンパンジーは人間のように複雑な言語を操ることはできませんよね。遺伝子の残りの2%に、人間特有の複雑な言語を操る能力や高度な認知能力が凝縮されているのです。だから、言語学とは「人間とはなにか」を追究する学問ともいえます。
——生物としての人間の大きな特徴のひとつが言語なんですね。すると、そんな言語がどうやって成り立ってきたのかが気になります。
多くの人は学校で英語などの外国語を学んだ経験があると思いますが、その言語全体を理解していなくても、パーツを正しく組み合わせることさえできれば意味を持った文章を作れてしまいますよね。これは一見当たり前のことのようですが、精緻なルールやシステムが存在しないと成り立ちません。一体どうしてそんなルールが存在するのかを考えてみるととても不思議ですよね。私たちの祖先がサルから人間に進化する過程でそうしたルールが自然に発生したのでしょうか。私もその秘密が知りたいと思って言語学を志しました。
言語のなりたちを探究するうえで重要なのが、言語の普遍性を解明することです。それぞれの言語は日本語なら日本語、英語なら英語特有のルールがあるわけですが、その根底を探っていくと普遍的なルールが働いているのではないかと言われています。
——言語に普遍性があるという考え方はとても興味深いです。研究はどんなふうに進んできたのでしょうか。
言語学では長年、人種と言語の系統は切り離せないものと考えられてきたのですが、60年ほど前の言語学を中心とする研究分野において、人種と習得できる言語の間には関係がないということがわかってきました。人間は人種にかかわらず母語として、どのような言語でも習得し得る普遍的な能力を生まれつき持っているのだ、という発見が言語学にパラダイムシフトをもたらしたのです。言語を操る能力が普遍的なものだとすれば、当然それぞれの言語の間には何らかの普遍的な文法上のルールが存在すると考えられます。
子どもの言語習得に関する研究を見ると、面白い事実がわかってきます。子どもは急速な速さで言語(母語)を習得しますが、語彙が十分でない段階でも文法は正しく理解できているということがわかってきました。だから誰に教わるわけでもなく、勝手に文法のルールを類推して新しい文章を作り始めることができるのです。それと、会話が多い家庭でも、少ない家庭でも、子どもの言語習得にはあまりムラがないということもわかっています。
イメージとしては、脳の中に先天的に文法のもととなる回路があり、幼いうちに母語をシャワーのように浴びることで回路が活性化して、日本語なら日本語を操る能力が発達していく……と説明すればよいでしょうか。
——先生はフィールドワークも行っておられますが、研究されている中で言語の普遍性を感じられることはありますか?
離れた地域の言語同士の間に、意外なほど多くの共通点が見つかって驚くことがありますね。たとえば語順で考えると、英語は主語、述語などの語順がかなり厳格に決まっている一方で、日本語の語順は比較的自由に組み替えることができます。この視点で世界の言語を見回すと、言語の組み換えが自由な「日本語型」の言語と、語順が厳格な「英語型」の言語に分かれていることがわかります。英語型の場合、基本的な語順をものさしにすることで言語間の比較ができるようになり、さらにさまざまな類似点が見えてきます。
——多様な言語を研究することによって普遍性が浮かび上がってくるのですね。
そのとおりです。現在、地球上には6000以上の言語があると言われていますが、それら一つひとつの多様なあり方を記録・分析することが言語の普遍性の解明には不可欠です。
ところが現在、世界では多くの言語が消滅の危機にあるのです。多様な言語が失われてしまう前に可能な限りのサンプルを記録しておくことも言語学者としての大切な仕事です。そこで私は、中米のグアテマラのマヤ族の末裔の人々が話すカクチケル語や、奄美群島の喜界島の人々が話す喜界語(喜界方言)といった消滅危機言語の研究にも取り組んでいます。
話者が減り、消滅の危機に瀕する言語の実態。
——消滅危機言語とはどのような言語を指すのでしょうか?
言語の消滅とは、その言語を母語とする話者がいなくなることを指します。UNESCOでは話者数や話者の年代、公共の場での使用状況などの指標を設けて世界の言語の現状を調査していますが、2010年に発表された調査報告によると、全世界で話されている言語のうちじつに約半数が消滅の危機にある、つまり消滅危機言語とされています。その中にはアイヌや琉球列島、八丈島の人々の間で古くから使われてきた諸言語も含まれています。
——そんなにたくさんの言語が消滅の危機にあるなんて、驚きました。話者がいなくなってしまうのにはどんな要因があるのでしょうか?
歴史上、言語が消滅すること自体はそれほど珍しいことではありません。たとえば、大国が他民族の土地を侵略し、そこで昔から話されていた言語の話者を根絶やしにしてしまうというケースが典型的です。しかし、現在起こっている言語の消滅はこれまでと比べて桁違いの規模と速さで進行していて、平均すると全世界で2週間のうちに1つの言語が消滅している計算になります。
その主な要因はグローバル化です。移動手段の発達によって人の移動が活発になり、世界がひとつの経済圏でつながった今、限られた地域の中で昔から使われてきた言語を習得するよりも、経済的により大きな影響力を持つ言語を学ぶほうがメリットが大きいのです。ですから、消滅危機言語のなかには、地域の高齢者は話せるけれども若者世代は話せないという言語や、かなりご高齢の方が限られた状況のみで使う言語というものもあります。そうした言語の大半は文字を持たないので、話せる世代の方がいなくなってしまうと言語を復元することは極めて困難です。
——ひとつの言語が消滅するのは文化的に大きな損失のように思いますが、より広く通じる言語を学びたい、子どもに学ばせたいと思うのも自然なことで、難しい問題ですね。
言語学者としての仕事は現状を記録・分析することなので、言語はどうあるべきかということには踏み込みません。それを前提として、世界の人が相互に理解を深めるための共通言語をもつことと同じくらい、言語の多様性を守ることにも意味があると思います。 まず、言語は「アイデンティティを映す鏡」とも言われるように、そのコミュニティの人が文化や地域に愛着をもつうえで欠かせないものです。また、より実利的な面では、言語は人間が古くから培ってきた知識を伝承する強力な媒体でもあります。たとえば、アマゾンの熱帯雨林は医薬品などのもととなる有用植物の宝庫ですが、そのなかには地域の言語のみで伝えられてきた植物の効能や、そうした植物の見分け方もたくさんあります。その土地に暮らす人々の自然の捉え方を反映した少数言語が、新しい医薬品を見つけるヒントになる可能性もあるのです。
——ある言語を守ることは、そのなかで培われてきた知恵や世界の捉え方を守ることにもなるのですね。少数言語の消滅を止めることは難しいのでしょうか?
もちろん、話者が少なくなった言語をコミュニティが主体となって積極的に復興・保存していこうという動きもあります。
喜界語の話者の高齢化が進んでいる喜界島では、近年になって喜界語を生活に取り入れていこうという活動が活発になっていて、たとえば子どもたちが喜界語で狂言を演じるイベントなども行われています。私の研究室でも、毎年学生を連れて喜界島へフィールドワークに訪れています。島の方に協力していただいて語彙や文法を調査・分析するとともに、母語話者の方が語る喜界語を動画でも記録してアーカイブに残しています。私のもうひとつの研究対象であるグアテマラのカクチケル語は、話者はマヤ諸語のなかでも比較的多く100万人近くいるのですが、その多くが高齢者で、現在の若者はほとんど喋れないため消滅危機言語となっています。近年は若者がカクチケル語を勉強し、研究者になって文法書を編纂したり、カクチケル語を教えることができる教師を育成したりという動きも出てきています。時間と費用がとてもかかりますが、現地の大学や研究機関にとっては取り組む意義のある課題でしょう。
言語は自然に変化してゆくもの。
——ここまで言語の普遍性と多様性について伺ってきましたが、言語は徐々に変化していくものでもありますね。
そうですね。話者にとって効率が良いように言語が少しずつ変わっていくという現象は常に起こっています。たとえば「食べられる」を「食べれる」と縮めるような「ら抜き言葉」がありますよね。「食べられる」のままだと受け身、可能、尊敬と意味が特定できないので、可能の意味を表したいときは「食べれる」のほうが効率が良い。だから若い世代に浸透しているわけです。そうした変化は世代を経ることで徐々に肯定されていくのでしょう。
一方で、言語は自然発生的なものでもあるので、どうしても変わらない部分もあります。たとえば、最近の若者言葉に「タピる(=タピオカドリンクを飲む)」などの動詞がありますが、大半は五段活用の枠におさまっています。新しい活用が生み出されたり、文法のルールを逸脱するようなことはなかなかありません。変化しているようで根本は変化していないというのが面白いところです。
——文法というルールがあるからこそ、その枠組みの中で自分たちのアイデンティティにフィットする語彙を自由に生み出すことができるのかもしれませんね。
結局、言語というのは「こうあるべきだ」と上から押し付けるようなかたちで統制できるものではないのだと思います。過去には日本の学校教育の場で標準語を身に着けさせるために、地域の言語を使った児童の首に「方言札」をかけて罰するような取り組みが行われていて、それはたしかに一定の効果を挙げました。しかし今は逆に、地域の言語を後世に伝えていこうという動きが各地で起きています。言語は話者によって自然に変化していくものではあっても、簡単に置き換えのきくようなシステムではないということですね。
取材対象:今西 祐介(関西学院大学 総合政策学部 国際政策学科 教授)
ライター:谷脇 栗太
運営元:関西学院 広報部
※掲載内容は取材当時のものとなります