神は美しい花を必ず咲かせてくださる|聖書に聞く #7
福万 広信初等部宗教主事・教諭
関西学院のキリスト教関係教員が、聖書の一節を取り上げ、「真に豊かな人生」を生きるヒントをお届けします。
そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。
ローマの信徒への手紙 5章3節~5節
毎年、桜の季節になると、雑誌で見た一枚の着物の写真を思い出す。桜で染められたという美しい着物に私は心を奪われた。
その着物は、京都の嵯峨に住む染織家で、人間国宝でもある志村ふくみさんが染めたものだという。あまりにも美しいその桜色は、てっきり桜の花びらや蕾から色を取ったのだと思った。しかし、意外にも桜色とはほど遠い、黒っぽくてごつごつとした桜の皮や枝から、あの美しい桜色が取れるのだという。しかも驚いたことに、その桜色は一年中、どの季節でも取れるわけではなく、桜の花が咲く直前に、山の桜の皮や枝をもらってきて染めると、その色が取り出せるということだった。桜色の花びらや蕾から色を取ろうとすると、あのような美しい桜色にはならず、灰色がかった薄い緑色になるらしい。
桜の木は、1年という長い時間をかけ、桜色の花びらをつける準備をしていく。花びらが桜色になるのは、その長い準備の結果が少しだけ姿を出したものにすぎず、桜の花の色の美しさは、木の皮や枝を含めた桜の木全身で花びらの色を生み出しているのだ。また桜の木は、温かな季節だけでは美しい花は咲かないらしい。寒く厳しい冬の季節があり、春の温かな気候があるからこそ、桜は美しい桜色を作り出すことができるのだという。桜の季節、私たちは桜の花の美しさに心を奪われる。しかし、この桜の色を生み出しているのは、目立たない桜の皮であり枝なのだ。
私たちの人生もまた同じようなものではないだろうか。目に見えるところよりも、目立たないこと、もしかしたら無駄なように思えることにこそ、本当に大切な意味が込められている。私たちの人生には様々なことが起こる。嬉しいこと、楽しいことがあり、同時に辛いことや悲しいこともやってくる。しかし、自分の歩みを振り返るとき、その一つひとつが「私」という草花が成長し、美しい花を咲かすために必要なものなのだと気づかされる。
私たちの人生は、失敗や上手くいかないこと、思い通りにならないことに溢れている。希望を失い、顔を上げることもできないことだってある。苦しくて神にさえ文句を言い、涙を流し、一歩も動けないことだってある。しかし、このような「私」を、神は決して見捨てることはないと聖書は伝えてくれている。
私たちを見捨てず、誰よりも愛を注ぎ、寄り添ってくださる神がいる。どのような試練や苦難があろうとも、それらを不思議にも恵みへと導いてくださる神に希望を見出す時、私たちはもう一度顔を上げ、神に感謝をささげ、ゆっくりであっても前に向かって歩み出すことができるのだ。
神は、私たちの人生に必ず美しい花を咲かせてくださる。
Profile
福万 広信(FUKUMAN Hironobu)
1967年生まれ。1990年、関西学院大学神学部卒業。1992年、関西学院大学大学院神学研究科博士課程前期課程修了。日本基督教団熊本白川教会、日本基督教団大阪昭和教会牧師を経て、現在、関西学院初等部宗教主事、日本基督教団聖峰教会協力牧師。著書として、『聖書』(日本キリスト教団出版局)、『教会暦による説教集第2巻 キリストの復活』(共著・キリスト新聞社)、『主よ、用いてください-召命から献身へ-』(共著・日本キリスト教団出版局)などがある。
運営元:関西学院 広報部