今だからこそ考えたい。大災害や万一の有事、非常時における情報との正しい付き合い方
広範囲に甚大な被害をもたらすといわれる南海トラフ巨大地震、日本への軍事的な影響も懸念される台湾有事など、私たちの日常を大きく揺るがす非常事態への緊張感が高まっています。もしものとき、正しい情報は自分や大切な人たちを守るために欠かせませんが、誤情報やデマには注意が必要です。非常時と日常で、私たちはどのように情報と向き合えばいいのでしょうか。マス・コミュニケーション論や危機管理論が専門で、Jアラートの検討にも携わった経験のある森康俊先生にお話を伺いました。
Profile
森 康俊(MORI Yasutoshi)
関西学院大学社会学部 教授。専門はマス・コミュニケーション論。情報社会論、危機管理論。メディアが人々の認識に与える影響や災害時のコミュニケーションのあり方について、社会調査をはじめ包括的な手法で研究に取り組む。全国瞬時警報システム(Jアラート)の立ち上げに関わる。2023年4月より関西学院大学 学長。
この記事の要約
- 自分の暮らしている場所のリスクを把握し、Jアラートで身を守ろう。
- 人間本来の情報を合理化する能力がデマの流布を招くこともある。
- 日頃から雑多な情報にふれ、判断力を養っておくことが大切。
真っ先に非常事態を知らせるJアラート
地震や津波といった大規模災害、そして他国からの弾道ミサイル発射やテロ攻撃などの有事が発生したときに、真っ先に情報源となるのが全国瞬時警報システム(通称:Jアラート)。気象庁や内閣官房から出された速報を総務省消防庁がとりまとめ、全国の地域の防災行政無線、テレビ・ラジオ、スマートフォンなどを介して一斉に伝達される仕組みです。ほんの数秒の対応の差が命にかかわる非常時において文字通り命綱となりうるJアラートですが、どんな経緯で生まれたのでしょうか。
「長年にわたって、日本は全国規模の非常事態への対応に弱点を抱えていました。たとえば消防に関しては、各地の消防局は自治体ごとに指揮系統が独立しているため、全国規模の非常事態が発生した際に協力して対応にあたるということが難しいという事情があります。また、Jアラートの運用が始まる2007年以前には、国が地域住民に対して緊急情報を届ける決まった仕組みもありませんでした。
こうした問題を深刻に考えるきっかけになったのは、阪神淡路大震災、オウム真理教の地下鉄サリン事件、相次ぐ北朝鮮からの弾道ミサイル発射という3つの出来事でした。大規模災害や有事への対応のあり方が見直されるなかで、総務省消防庁が元締めとなりJアラートが設置されることになりました。ちなみに、テレビやラジオでよく目にする緊急地震速報もJアラートと同時期に整備されたものですが、現在はJアラートの仕組みを使っても伝達されています」
Jアラートの開発に際して、メディアを通してどのような表現方法を使えばより効果的に人々に伝えることができるのか検討を重ねてきた森先生。テレビに表示される地震速報の画面からサイレンの音に至るまで、人々の注意を喚起しつつもパニックを引き起こさないように工夫がこらされているそうです。
Jアラートに慣れは禁物。身の回りのリスクを知って心構えを
Jアラートの運用が始まって年月が経つなかで、人々の間にはある種の慣れも広がっています。「ミサイルの場合、海に落下してから速報が出るケースが圧倒的に多く、飛翔中にアラートが鳴ることはまれです。アラートが鳴ったとしても海に落ちるものと誰もが思っていますから、ある意味、私たちが油断してしまっている側面はあるかもしれません」と森先生。他にも、スマートフォンから地震速報などの大きな警報音が流れるたびに少し大袈裟に感じてしまう人も多いのではないでしょうか。しかし、油断は禁物です。
「近年、気象災害の特別警報が導入されたように、夏場の豪雨・水害はほぼ毎年甚大な被害を生んでいます。特に被害を受けやすい山間部などの地域では、停電でテレビなどの情報源が断たれる場合もあるため、Jアラートによる防災行政無線からの情報が命綱になりえます。情報インフラが豊富な都市部ではJアラートの意義を感じづらいかもしれませんが、地域住民に直接警報が届く仕組みが重要であることは知っておいていただきたいです。
もちろん都市部でも河川の氾濫などの可能性はありますし、高層ビルの近くならば地震による倒壊やガラス片などの落下、地下街ならば浸水や崩落などのリスクもあります。日頃からJアラートを受信できる状態にしておくとともに、自分の周囲の環境は安全かどうか、非常時の避難場所などを確認おくといいでしょう」
Jアラートをはじめとする警報は常に最悪の事態を想定して出されるもの。何事もないことが一番ではありますが、油断してしまわないように注意したいものです。
デマや誤情報に惑わされないよう、情報に対する判断力を養っておく
非常時における情報との付き合い方でまず気をつけたいのが安否確認です。電話回線は非常に逼迫しているため、災害伝言ダイヤル(171)や各キャリアが提供する災害用伝言板を利用したほうがいいと、森先生は言います。また、状況は刻々と変わっていくため、スマートフォンの電源を確保して、行政や大手メディアが発信するオフィシャルな情報にアクセスできるようにしておくこともとても大切です。もし情報から遮断されてしまった場合はどうすればいいのでしょうか。
「周囲の人々と協力してやり過ごす人間力が試される場面ですね。たとえメディアの情報にアクセスできなくても、人間には周囲の断片的な状況から全体像を想像し、合理化して理解しようとする性質があります。その判断が結果として間違っていることもありえますが、周囲の人と知恵を出し合い、協力することで難局を乗り越えるだけの能力が人間には備わっているのです。普段からできる備えはしっかりとした上で、いつ何が起こってもある程度は対処できるという心の余裕を持っておくことも大切ではないでしょうか」
一方で、そんな能力があるゆえに、災害時の誤情報や悪意を含むデマ情報には一層注意しなければならないと言います。熊本地震ではSNS上で「動物園からライオンが逃げ出した」という悪質なデマ情報が拡散されました。冷静に考えればありえなさそうな情報であっても、人間は脳内で合理化して信じ込んでしまうことがあるそうです。
「デマが拡散される背景には、オフィシャルな情報に対して人々が抱くある種の疑念があります。『テレビではここまでしか報道されていないけれど、本当はもっとひどいことになっているのではないか』と、公表されていない部分を悪い方に想像してしまうため、デマを信じて拡散してしまうのです。一度拡散したデマに対してはオフィシャルな情報できっぱりと否定することが一番の対策ですが、情報の受け手側でできることとして、『この情報を流すことで誰が得をするのか?』と冷静に考えてみるようにしましょう」
いざというときにデマに惑わされないためには、日頃から情報を多角的に見る習慣をつけておくことが大切です。新聞やテレビといったマスメディアだけでなく、著名人のブログやYouTubeなど、私たちが触れる情報源はさまざまですが、それぞれがカバーできる領域や表現できるレベルの違いを意識するといいと森先生は言います。
「従来のメディアでは、オフィシャルで正確な情報を新聞が扱い、確度は低いものの新聞には書けないような裏事情やより突っ込んだ内容を週刊誌などが扱う、といった棲み分けがありました。現代でいえば、オフィシャルな情報源として位置づけられるのが新聞社のニュースサイト、次にそれらを集約したキュレーションサイト、その下に週刊誌にあたるような情報サイト、さらに個人のインフルエンサー、といった階層があります。
無菌状態ではなく雑菌に触れることで身体の抵抗力を高めることができると言いますが、情報についてもそれと同じことが言えます。オフィシャルな情報以外をすべてシャットアウトすることはできませんから、日頃から雑多な情報に触れて取捨選択をすることで、自分の判断力を養う習慣をつけるといいでしょう。そのなかで『大手ではないけれどもここは信用できる』という情報源を見つけておけばいざというときに役立つかもしれません。これは非常事態時に限らず、ビジネスでも同じことがいえるのではないでしょうか」
気持ちは前を向いて、「その時」に備える心構えを
どれだけ備えていてもいつかはやってくる「もしもの時」。災害や非常事態に強い社会をつくっていくにはどうすればいいのでしょうか。被害の様子を正確に伝えて役立てるとともに、「忘れること」も大切だと森先生は答えます。
「私たちはこれまでいろいろな災害や危機を経験してきました。そのたびに絶望的な気持ちになり、しばらくの間はあらゆることに過敏になってしまいますが、年月が経てばそうした記憶はだんだんと薄れていきます。もちろん、被害の実相を正しく伝えてゆく努力は非常に重要ですが、日頃から備えがしっかりできていれば過度に臆病になる必要もありません。人も社会も常に気を張り続けているわけにはいきませんから、いい意味で過去を忘れて前向きに生きることも、災害や非常事態に対する“強さ”といえるのではないでしょうか」
しかし、それは単に楽観的でいればいいということでもありません。森先生にとって、災害や非常事態は「もしかしたら」ではなく「起こるべくして起こる」ものだといいます。
「火のないところに煙は立たずと言いますが、政府や大手メディアが危機感を煽るような情報を発するときは、現実にそれなりの根拠があると考えるのが妥当でしょう。南海トラフ地震や台湾有事はもちろん起こらないに越したことはありませんが、起こっても不思議ではないというつもりで日頃からいろいろな情報を取り入れておくことに意味があると思います」
取材対象:森 康俊(関西学院大学社会学部 教授)
ライター:谷脇 栗太
運営元:関西学院 広報部
※掲載内容は取材当時のものとなります