芥川賞作家・井戸川射子に聞く。好きなことを見つけ、向き合い続けることの価値|特別インタビュー #1
社会人なら誰しも、仕事に追われて自分のやりたいことができないという不満や焦りを抱いたことがあるのではないでしょうか。関西学院大学卒業生で、著作『この世の喜びよ』で第168回芥川賞を受賞した井戸川射子さんは、社会人になってから創作活動をスタートし、この快挙を成し遂げました。どんなきっかけでやりたいことを見つけることができたのか、仕事や家庭生活とのバランスはどう取ったのか、創作を続けていくモチベーションとは何なのか……湧き上がる疑問をぶつけてみました。自分が本当に好きなことと、向き合い続けていくことから生まれる価値について、井戸川さんと一緒に考えてみましょう。
今回、「月と窓」では、読者プレゼントとして、井戸川さんのサイン本をご用意しています。ぜひ最後まで記事を読んで、ご応募ください。 ※応募は締め切らせていただきました。
Profile
井戸川 射子(IDOGAWA Iko)
1987年生まれ。関西学院大学社会学部卒業。卒業後、高等学校の国語教師として勤務するかたわら、詩や小説の執筆を開始。2018年、第一詩集『する、されるユートピア』(青土社)を私家版で出版し、 翌年この詩集で第24回中原中也賞受賞。2021年、小説集『ここはとても速い川』(講談社)で第43回野間文芸新人賞受賞。2023年、『この世の喜びよ』(講談社)で第168回芥川賞受賞。
この記事の要約
- 「自分が好きなこと、得意なことが何か」を知らないのはもったいない。
- 体験し、たくさんの人の話を聞くことで、自分を膨らませられる。
- 成長を続け思い出を増やしていくことは、人生一番の醍醐味。
社会人になったからこそ「好きなこと」が始められる。
芥川賞といえば、純文学作品に与えられる日本で最も権威のある賞です。しかし井戸川さんは、小さい時から本の虫ではあったものの文豪の作品を愛好するいわゆる文学好きではなかったと言います。「大学時代には作家になるなんて考えたこともなかった」そうで、卒業後は高等学校の国語教員として就職しました。親が教員で、自分も教えることに興味があったことから、選択肢としては身近だったのだと、井戸川さんは話します。
「一般企業の就職活動も経験し、いろいろ試行錯誤した末、自分に向いているという確信を持って教員を選んだのですが、就職して1、2年目は戸惑ったりうまくいかなかったりすることが多くて。経験も少ない新人だから当たり前のことなのでしょうが、当時は『この仕事でよかったんだろうか』『もっと向いていることがあるんじゃないか』なんてすごく悩みました」
それがきっかけで、関心のあることにいろいろチャレンジしてみることにしたそうです。油絵など今まで知らなかった世界に飛び込んでみる一方で、国語教員として必要な読書量が不足しているのではないかという焦りから文学作品を読み始めました。特に読書は、もともと本好きなのですっかりのめりこみ、教員採用試験の勉強で使った国語便覧に載っている文学史上に残る有名作品から芥川賞・直木賞受賞作品まで、1日1冊というハイペースで読んでいったと言います。
そんなチャレンジの延長線上に、創作活動がありました。授業で詩を教えなければならなくなって、どう教えるか悩んだことをきっかけに、詩を書き始めることにしたと振り返ります。詩は井戸川さんにとって教えるのが難しい教材だったそうで、作品を読んで「ここがいい」と感じたとしても、それを伝えれば詩を教えたことになるのかどうかわからないし、だいたい詩とは何なのかもよくわからない。そこで自分で書いてみれば、もう少し詩のことを理解できるかもしれないと思ったそうです。思いついたら即実践ということで、詩の雑誌に投稿。書いて送った詩はすぐに投稿欄に載りました。
「それで、自分の書いたものは『詩といっていいんだ』と思えて、詩作を続けるようになったんです。就職してから読んだたくさんの本の言葉が一気にあふれてきたという感じがしました。本を読んでいなかったら、書くようにもならなかったかもしれません」
その頃のことを振り返って井戸川さんは、「社会人になってようやく好きなことを始められたのかもしれない」と語ります。学生時代のように何者でもないのではなく、1回何かになったからこそ、それを基準にして好きなことかどうか、得意なことなのかどうかが評価できるようになったと感じるからです。しかし、仕事や家事で時間に追われている社会人が、自分の好きなことをしたり、見つけようとしたりするのはそう簡単なことではありません。 「それは、私自身も身に染みてよくわかります。でも、自分が好きなことが何かを知らないのはあまりにももったいない気がするんですよね。私はこれからも、いろいろ自分を試してみたい。好きに加えて得意なことが見つけられるといいですよね。得意なことは、うまくなるのが楽だから。得意なことって誰にも必ずあると思うので、ぜひ探して見つけてほしいなと思います」
いろんな人の話を聞くことで自分の考えをより深められる。
井戸川さんは、最初に出した詩集で中原中也賞を受賞し、その後小説も書き始めました。詩と小説の両ジャンルを書く作家は珍しいと話題にされることもよくあるそうです。「でも、私にとっては、詩と小説の境はとても淡いもの。誰か外国の詩人が『詩は叫び』だと言っていましたが、叫びだから出しやすい、読みやすい、心に響きやすい側面があるのかもしれません。一方、小説は物語にしてわかりやすくストーリーを語るものです。スタイルが違うけど、どちらも楽しいからやってきたし、これからもやっていくつもりです」
詩と小説をフラットに行き来する軽やかさは、創作スタイルにも関係しているようです。思いついたアイデアやいいフレーズを忘れないように、とにかくスマホやメモ用紙に書き留めていくのが井戸川流。それは発想の原形のようなもので、詩になるのか小説になるのかはこの段階では未定です。この「思いつく」段階が一番楽しくて、「読む人がいなければメモのままでいいぐらい」なのだそうです。作品にするときは、メモに書いたことを選んで順番を考えて並べます。詩か小説か、表現したいことによって自分の気分にぴったり合う方法を選んでいくのだそうです。
このメモの素、つまり発想の源になっているものは何なのでしょうか。井戸川さんに尋ねると、「自分の頭で考えることには限界があるので、何かに接して自分を膨らませることが必要」で、たとえば体験も重要だと教えてくれました。実際、学生時代の実習先での体験がモチーフになった作品もあるそうです。
また、これまで人の話を聞くことを大事にしてきたことも、とても役に立っていると話します。大学時代は福祉を専門に学び、ゼミでは友人たちが臓器移植や子どものケアなどさまざまなテーマについて研究をしていました。これらの研究の話を聞いたことは、今でも印象に残っているのだとか。それに教員になって、「子どもたちの意見を聞けた」ことも良かったと言います。
「昔からいろいろな人の意見を聞きたい性分で、それが生きる秘けつだと思ってるんです。そんな考えの人もいるとか、ああいう意見を持つ人が多いとか、いろんな例を知っておくと、そこから自分の考えを導いたりできるでしょう。教員として子どもたちに何かアドバイスするようなときも、『これが正解だよ』というつもりではなく、『一例として聞いて』という気持ちでした」
「今日も好きなことができた」という達成感が心の支えに
2人の子どもがいる井戸川さんですが、子育て中、「好きなこと」はそれまでより大切な意味を持ったそうです。
「子育てが結構大変で、産休・育休中は、本を読むこと、本を書くことが救いになっていました。毎日、子どもにごはんを食べさせて、買い物をして、寝かしつけてという同じ生活が続いていく中で、『今日は2枚書けた。自分のことも少しはできた』という達成感が心の支えになっていたんです」
好きなことに少しでも向き合うことで自分を取り戻す時間が、どれだけ必要だったかが想像できます。「私にとって本を読んだり書いたりすることは趣味。携帯ゲームをするのと同じ感覚」と井戸川さん。子育ての間に本を書き続けていたことを評価されることもあるそうですが、「私のことを引き合いに出して、『時間をうまく使えば子育て中にも仕事ができる』などと言われるのは違う」と強調します。
むしろ、時間をうまくコントロールできるほど子育ては甘くないという実感があるそうです。はじめは子どもを寝かしつけた後に自分の時間を確保しようとしましたが、それだと子どもがなかなか寝ない時などついイライラしてしまったのだとか。それでは精神的によくないと、夜は一緒に寝て朝早く起きるように生活スタイルを変えたのだと言います。
「できることを取捨選択していくしかないですよね」と、井戸川さん。2023年の春に教員を退職し、創作一本に絞ったのも、そんな取捨選択の一つでした。「やはり隙間がないと生まれないものがあるなと実感したのが、その大きな理由です」
なぜそれが好きなのかを自問。向き不向きも重要な要素。
新米社会人として悩み、何とかしたいともがいて見つけた創作という道。仕事や子育てとの両立でも大変なことがたくさんありつつも、続けようとしたモチベーションは何だったのでしょうか。
「完成した時の喜びです。自分が書き始めたもの、自分が始めた物語を、私が完結できるといううれしさがあるんです。だから執筆が終わりに近づくとめちゃくちゃドキドキしてくる (笑)。ビーズのアクセサリーづくりとか絵を描くとかも好きですけれど、それは全部、出来上がるのが好きなんです。詩も小説も、向き不向きという意味では向いていたのかな。文章を書くことに出会えなかった可能性だってあるので、自分に向いた好きなことが見つかってよかったとしみじみ思いますね」
作家として届けたいメッセージというのはあるのでしょうか。
「メッセージなのかわからないんですけど、生きていると出会ういろんな嫌なこと、たとえば人と人とが争ったり、できごとや思い出を忘れてしまったり、自分から遠いものが小さくしか見えなかったり聞こえなかったりする、そういういろんな嫌なことに抗うために文章を書いています。社会に対して言いたいことがある、という部分もあります。そういう私の考えを『こういうのもあるよ』って提示する係をやっているのかな。叫びなのか物語なのか、文字なのか肉声なのかわからないけれど、いろんな方法で誰かの心に入っていけばいいなと思います」
そうして紡がれた言葉が人の心を動かし、やがて社会を変えることにつながっていくのかもしれません。
話は、創作から人生についても広がりました。創作に通じる自分を膨らませる作業は、同時に「人生一番の醍醐味」でもあると井戸川さんは言います。
「最後まで自分に付き合ってくれるのは自分の頭でしょう。頭の中に残るいろんな思い出は、最後まで私と一緒にいてくれる。だから、思い出を増やし続けていくことが人生の豊かさにつながるのかなって思います」
好きなことをやり続けることは人生を豊かにするというのが、井戸川さんのくれた一つの答えなのかもしれません。何かを思いついてメモにしたためる楽しさを「無人島に行ってもメモを書いてると思います」と話してくれたその表情が本当に輝いていて、好きなことをする喜びにあふれている気がしました。これを機会に自分が好きなこと、やりたいこととは何なのか改めて見つめ直し、思い切ってチャレンジしてみるのはいかがでしょうか。
井戸川射子さん 著者サイン本 『この世の喜びよ』 プレゼント
このたびは、井戸川射子さんのインタビュー記事をご覧いただき、ありがとうございます。
アンケートにご回答いただいた方の中から3名様に、井戸川さんの芥川賞受賞作『この世の喜びよ』のサイン本をプレゼントいたします。ぜひふるってご応募ください。
応募の締め切り: 5月14日(日)23:59まで ※応募は締め切らせていただきました。
※当選者発表はメールにてご連絡させていただき、サイン本をお送りいたします。
※アンケートのご回答は、個人がわからない計上に加工し、今後の運営に活用させていただきます。また、お預かりした個人情報は、プレゼントの発送とそれに伴うご連絡にのみ使用いたします。
取材対象:井戸川 射子(作家、関西学院大学社会学部卒業生)
ライター:南 ゆかり
運営元:関西学院 広報部
※掲載内容は取材当時のものとなります