とにかく何でも自分でつくりたい、ラジオも電磁石でも|人生を豊かにした出会い #6
葛原 正明工学部 電気電子応用工学課程 教授
私たちの人生は出会いにあふれています。みなさんは、どんな出会いが記憶に残っていますか? ここでは「人生を豊かにした出会い」をテーマに、関西学院の研究者のエピソードを紹介します。彼らの出会いや体験から“豊かさ”について考えてみませんか?
私の原点ともいえる出会いの相手は、2冊の月刊誌でした。今では廃刊となってしまった『模型とラジオ』と『初歩のラジオ』、どちらも小学校3年生のときに近所の本屋で見つけました。雑誌名の「ラジオ」の文字に引き込まれたのです。その頃の私は、なんとかして自分でラジオを作りたいと考えていました。父親が持っていたソニー製のトランジスタラジオは、いい音を鳴らしていました。そんなラジオを自分で作れたら、きっとおもしろいに違いない……。そう考えるとワクワクして、雑誌を読めば自分にもできるはずだと思ったのです。
まずトランジスタが不思議な部品でした。デパートのおもちゃ売り場で見つけたのですが、値段は100円ぐらいだったでしょうか。でも当時の自分には高嶺の花。今から思えばゲルマニウム半導体のトランジスタだったと思います。必要な部品を一つずつ買ってもらい、それらを組み合わせて作ったラジオ。実際にイヤホンから蚊の鳴くような音が出たのは小学校4年生のときでした。結局は、親戚のお兄さんに配線を助けてもらって完成したシロモノでした。
次に作ったのは電磁石です。かまぼこ板と道端に落ちていた大きな釘に、同じく道端に捨てられた電気部品の廃材に巻かれたエナメル線をより戻して使いました。エナメル線を何層も丁寧に重ねて巻き電池をつなぐと、ちゃんと鉄がくっついた。これはなかなか感動しました。続いて5年生のときに電磁石を応用したベルを作って缶詰のカンを「カンカン」と鳴らし、6年生のときには手巻きのモーターも自作しました。
当時は大阪市東淀川の下町に住んでいて、鉄工所や部品工場が家の近くにありました。そのあたりを歩いていると、いろいろなガラクタ(=宝物)が落ちていました。金属を旋盤で削ったあとの屑なども「どうやったら、こんなものができるんだ!」という感じで、とてもおもしろかった。そうして拾った宝物は箱に入れて大切にしまっていました。
もう一つ、興味を持っていたのがプラモデルです。その頃の誕生日のプレゼントといえば、プラモデルと相場が決まっていました。それもモーター付きの動くプラモデルが最高で、戦艦や戦闘機のプラモデルを作るのが大好きでしたね。
ただし『模型とラジオ』も『初歩のラジオ』も、実際に買ってもらった経験はあまりなくて、たいていは立ち読みしていました(苦笑)。それでも必死に読んで、書いてあった内容を覚えて、それで「あ~でもない、こうでもない」と自分で手を動かして何かを作っていく。そんな子ども時代の楽しみが、たぶん今の仕事につながっているような気がします。
Profile
葛原 正明(KUZUHARA Masaaki)
関西学院大学 工学部 電気電子応用工学課程 教授。1979年京都大学工学部電気工学科卒業、1981年京都大学大学院工学研究科電気工学専攻修了、1991年同工学博士取得。1981年よりNEC研究所に勤務、この間1987~1988年には米イリノイ大学客員研究員を務める。2004年より福井大学大学院工学研究科教授。2020年4月より現職。2002年市村産業賞受賞。2016年福井県科学学術大賞受賞。応用物理学会フェロー、IEEEフェロー。専門は電子デバイス工学。
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