“サブカル視点”から『源氏物語』を見てみると、古典文学がもっと身近になる。

CULTURE

“サブカル視点”から『源氏物語』を見てみると、古典文学がもっと身近になる。

1000年以上も前に生まれた作品でありながら、今も映画やドラマ、マンガ化される『源氏物語』。2024年のNHKの大河ドラマ「光る君へ」の主人公が紫式部ということもあり、関心が高まっています。誰もが学生時代に学んだとはいえ、古典というだけでハードルが高いイメージがある『源氏物語』を、“サブカル視点”から研究する星山健先生にお話を伺いました。

Profile

星山 健(HOSHIYAMA Ken)

関西学院大学文学部文学言語学科教授。博士(文学)。東北大学大学院文学研究科修了。宮城学院女子大学などを経て、2014年4月から関西学院大学へ。『源氏物語』を中心とする王朝物語の研究を行っている。著書に『王朝物語の表現機構 解釈の自動化への抵抗』(文学通信)、『王朝物語史論 引用の『源氏物語』』(笠間書院)など。2010年に第五回全国大学国語国文学会賞を受賞。

この記事の要約

  • 世界に誇る『源氏物語』も平安時代はサブカルチャーにすぎなかった。
  • “恋と政治の物語”はサブカルだからこそ描けた題材。
  • 当時の文学序列を変え、さらには政治の世界に影響を及ぼした可能性もある。
  • 超ロングセラー作品から見るヒットの秘訣はタブーを打ち破ること!?

平安時代の主流は漢文学。物語は最底辺の文化だった。

一般にサブカルチャーは反体制的なもの、マニアックなもの、主流でないものとされています。星山先生が『源氏物語』をサブカルチャーと称する場合、どのような意味なのでしょうか。

「社会的に主流とは見なされていなかったもの、低い文化的価値しか与えられていなかったものという意味で、『源氏物語』をサブカルチャーと位置づけています。その理由は、仮名文字で書かれているからです。中学校や高校の歴史の授業では平安時代を国風文化の時代と呼びますが、これは半分正解で半分誤り、問題のある捉え方だと考えています」

星山先生によると国風文化とは、ひら仮名をはじめ、十二単、寝殿造など、平安時代中期に花開いた日本独自の文化。後の時代にこれらが評価され、国風文化と呼ばれるようになったと言います。

「『源氏物語』が書かれた時代、社会を動かす男性の教養の中心は『論語』や『史記』という漢文学でした。紫式部のパトロンである藤原道長の『御堂関白記(みどうかんぱくき)』をはじめとする日記も漢語で書かれていますし、宴の席でまず詠まれるのも漢詩です。仮名文字による和歌が詠まれるのは、宴が進んで酔いが回ったころだったのでしょう。今の私たちから見れば、平安時代といえば国風文化の時代だと思ってしまいます。でも、当時の人にとっては違っていたのです。紫式部にしても、自分の書いた物語が1000年後も読み継がれているとは、まして自分が大河ドラマの主人公になるとは想像もしなかったでしょう」

仮名文字で書かれているほかに、「そもそも物語というジャンル自体が、当時はサブカルチャーだった」と星山先生は指摘します。

「物語とは“署名されない文学”です。『源氏物語』の写本は巻ごとに綴じられていますが、表紙にあるのは『きりつほ(きりつぼ)』といった巻名のみで、作者名は書かれていません。しかし、同じ仮名文学でも和歌は違います。紀貫之や小野小町などと必ず詠んだ人の名前が記され、誰が詠んだかわからない場合でも“詠み人知らず”と記されます。

広い意味で文学作品に序列をつけるならば、当時は漢文学が上位で、その下に仮名文学があり、その中でも物語は和歌よりも下、最底辺に位置づけられていました。その意味では“署名されない文学”というより、“署名するに値しない文学”だったというほうが正しいかもしれません」

『源氏物語』桐壺の写本。表紙に作者名がないことがわかる。国文学研究資料館所蔵、クリエイティブ・コモンズ 表示 4.0 ライセンス CC BY-SA

そんなサブカル的な位置づけだったからこそ、表現できたことがあると星山先生は言います。それは「端的にいえば、物語の中でタブーを犯すこと」。桐壺帝を父に持つ光源氏は、帝位を継ぐべき資質を兼ね備えていましたが、母方の身分が低かったゆえに源姓を与えられて臣下の身となりました。成長して父帝の后である藤壺の宮と密通し、そこで生まれた皇子がのちに冷泉帝として即位、光源氏自身は無類の栄華を誇るようになります。本来皇位継承権のない子を即位させ、皇位を簒奪したことは、とんでもなく大きなタブーを犯しています。

「『源氏物語』は、第二次世界大戦中に皇室に対する不敬の書とみなされたほど、きわどい内容を含んでいます。にもかかわらず、こうした話が宮中で生まれ、広く読まれたのは、物語がサブカルだったからこそだと考えています」

『源氏物語』は音楽におけるビートルズ的存在。その影響は文学を超える。

そんなタブーを含むにもかかわらず、『源氏物語』は当時の帝も関心を持っていたといいます。星山先生によると、『紫式部日記』には一条帝が『源氏物語』を読み、しかも「この作者はきちんと日本の歴史書を読んでいるに違いない」と評価した記述があるのだそう。それほど当時の宮中の人々を魅了し、現代の私たちからも注目される『源氏物語』。その魅力とは何でしょうか。

「これまで序列の中で下位にあった物語という文学ジャンルに対する認識を、一新したことだと思います。音楽シーンを席巻したビートルズのような存在でしょうか。『源氏物語』より前に生まれた『竹取物語』や『伊勢物語』とは世界観のスケールが全然違いますし、『源氏物語』後の物語はどれも亜流に思えてしまいます。さらに、物語より上位にあたる和歌にも多大な影響を及ぼしました。『源氏物語』成立から150年後くらいの名歌人、藤原俊成(しゅんぜい)が“源氏見ざる歌詠みは遺恨の事なり”という言葉を残しています。源氏物語を読んだことのない歌人なんて残念な人だという意味の警句です」

藤原俊成は、『新古今集』や『百人一首』に関わった藤原定家(ていか)の父であり、当時の和歌界の重鎮といえる人物。そんな彼の発言を受け、『源氏物語』は歌人に必要な教養とされ、作中に登場するまでは見向きもされなかった“夕顔”という花が歌語(かご)として定着するなど、その世界や物語観が和歌の題材として取り上げられるようになったと、星山先生は言います。

『源氏物語画帖』より夕顔巻。国文学研究資料館所蔵、クリエイティブ・コモンズ 表示 4.0 ライセンス CC BY-SA 

「さらには、現実の政治にも影響を及ぼした可能性があります。光源氏は晩年、准太上天皇という位を受けます。太上天皇とは引退した帝、つまり院のことで、帝になっていないのに院に準じる待遇を受けたのです。ですが、当時そのような位は存在しません。そのようなことが出来たのも物語、サブカルゆえでしょう。ところが十数年後、現実社会で皇太子の位にあった人物が帝を経ていないのに院号を受ける事態がおこりました。もしかすると、時の為政者だった藤原道長が『源氏物語』からインスピレーションを得たのかもしれません。ただ、学問上それを証明できるかと問われたらなかなか難しく、私なら“知らんけど”と言って逃げますが(笑)」

星山先生はまた「『源氏物語』を一言でいうと、恋と政治の物語」と話します。「それまでにも主人公がひたすら恋をする物語、政治的な物語はありましたが、恋と政治は別でした。恋の話と政治の話が複雑に絡みあいながら発展していく、そこが物語として画期的。虚構としてのリアリティが魅力です」

そうした魅力を持ち、しかも西暦1000年の時代に書かれた長編小説という歴史性から、『源氏物語』は世界でも高く評価され、英語やフランス語、中国語をはじめ、アラビア語、タミール語、パンジャビ語など、30言語以上に翻訳されています。ただ、本当に世界的に有名な古典として位置づけられているかは疑問が残ると星山先生。

「日本人ですら五十四帖にわたる『源氏物語』を通読した人はわずかです。もし本当に海外で受け入れられたとすれば、翻訳がよかったのでしょう。もっとも流布しているのはアーサー・ウェイリーの英訳だと思いますが、その日本語訳(『 A・ウェイリー版 紫式部 源氏物語』毬矢まりえ・森山恵姉妹訳、左右社)を読んでみると、その意外性に“これが『源氏物語』!?”と驚かされます」

逆輸入版『源氏物語』では、牛車は馬車になり、着物の裾はスカートになり、メイドやキャプテンという言葉が登場し……という具合に、超意訳されています。「そのくらい換骨奪胎しないと、背景となる文化を共有しない海外の読者には理解されなかったのでしょう」

私たち現代人が、1000年を超えるロングセラー本から学ぶこととは。

多くの商品やサービスが生まれては淘汰されていく現代社会において、愛され続けるモノを生み出したいと願う人は多いはず。1000年という時を超え、さらに国境を越えて読み継がれるロングセラー本『源氏物語』に、そのヒントはあるのでしょうか。星山先生は「古典オタクでしかない私に、無茶ぶりですね」と苦笑いしながらも答えてくれました。

「あえてお答えするなら、『源氏物語』が作中で描いたように、時代のタブーを打ち破ることでしょうか。近年、不祥事の際のバッシングなど、他者に不寛容な社会傾向に拍車がかかっている印象を受けます。そんな息苦しい社会だからこそ、虚構の世界でその鎖から解き放たれたいと望む人は多いのではないでしょうか。もちろん、絶対に触れてはいけないタブーもありますが、抑圧されているタブーをうまく見つけて、潜在的な願望を満たす小説や映画、ゲームなどが生まれたら、大ヒットしそうな気がします」

ところで、2024年度のNHK大河ドラマ「光る君へ」は紫式部が主人公。『源氏物語』の専門家である星山先生はどのような見方をされるのでしょうか。

「私は、脚本家が『源氏物語』をどう捉え、どう位置づけるかに関心があります。紫式部がなぜ『源氏物語』を書きはじめたのか、当時の貴族社会にどう受け入れられたか。藤原氏が負けて源氏である光源氏が天下を取る物語を、藤原道長たちはどう捉えたことにするのか。当時の宮中で『源氏物語』が巻き起こしたセンセーション、『源氏物語』の同時代における意義に着目するのもおもしろいと思います」

ドラマをきっかけに原文に興味を持つ人もいるかもしれません。現代語訳ではなく原文で読む醍醐味について、星山先生は「古語独特の言葉のおもしろみ」だと話します。現代語なら「美しい」と画一化されてしまいそう形容も、原文では「らうたし」「らうらうじ」「うるはし」など現代語以上に幅広い表現があり、それぞれで美のありようが異なるそうです。さらに紫式部は造語を使うことが多かったとか。原文ならより強く、平安時代の“サブカル”が感じられるかもしれません。

取材対象:星山 健(関西学院大学文学部文学言語学科 教授)
ライター:ほんま あき
運営元:関西学院 広報部
※掲載内容は取材当時のものとなります

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