大量消費からの脱却。今後の社会を発展させる循環型の経済とは|暮らしのムダをなくす #5

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大量消費からの脱却。今後の社会を発展させる循環型の経済とは|暮らしのムダをなくす #5

私たちは、実は膨大なムダやロスに囲まれて暮らしています。そんなムダの解決に取り組む研究に迫るシリーズ企画、第5回でご紹介するのは応用ミクロ経済学や環境経済学を専門とする猪野弘明先生です。学部生のころから循環型社会に興味を持ち、研究テーマにしていたという猪野先生に、ムダを減らしながら経済は発展するのかなど、循環型社会の可能性について話を伺いました。

Profile

猪野 弘明(INO Hiroaki)

関西学院大学経済学部教授。東京大学大学院博士後期課程修了、博士(経済学)。専門は応用ミクロ経済学、産業組織論、環境経済学。著書に『ミクロ経済学』(共著、東京大学出版会)、『世の中を知る、考える、変えていく:高校生からの社会科学講義』(共著、有斐閣)など。

この記事の要約

  • 循環型社会とは、消費後の経済まで考える社会のこと。
  • 対極にあるのは、大量生産・大量消費をもたらす直線型社会。
  • 2つの社会を比較するには分別や再生だけでなく処分費用の考慮も必要。
  • 拡大生産者責任によって、新たな産業やビジネスチャンスが生まれる。

環境問題や資源不足から再注目される循環型社会

環境問題やSDGsといった話題の中で、ここ最近耳にすることが多いのが循環型社会という言葉。日本では以前から使われているため、なんとなく理解した気になりがちですが、実際にはどう定義されるのでしょうか。「経済学的な定義では、消費後の世界や経済も考える社会を循環型社会といいます」と猪野先生。「循環型社会を考えるには、循環型ではない社会と比べるとわかりやすいと思います」

循環型ではない社会は直線型社会といわれ、何かを「生産」し、取引があって消費者に渡り、消費者がそれを「消費」するという直線で表すことができます。

直線型社会のモデル

現実には消費後にゴミなど残余物が出るので処理する必要があるのですが、メインの「生産」「消費」に焦点を当てるため、残余物を考えないようにしていた、あるいは、残余物は無料で処理されるため経済性がないものとしてきました。一方、循環型社会は「生産」「消費」のあと、残余物を回収して「分別」「再生」し、「生産」に戻していく社会。残余物にも経済は存在することを考える社会を指します。

循環型社会のモデル図

循環型というシステム社会が生まれた背景には二つのフェーズがあると猪野先生は言います。「まずは1980年代。日本経済が大きく成長した時代に、循環型社会が非常に注目されました。理由は、簡単にいうと最終処分場の枯渇。経済が拡大して残余物が無視できない規模になったのです。さらに時期を同じくして、環境意識が高まったこと。廃棄物を適正に処理しないとダイオキシンなど環境に有害な物質が発生するのですが、適正な処理をするには費用がかかります。いずれも、とりあえず無視されていた残余物のインパクトが大きくなり、処理に対する費用が高くなったというのが根本にあります」

そうした状況を受け、日本では2000年に循環型社会形成推進基本法が公布されました。できるだけ廃棄物をなくし、3R(リデュース、リユース、リサイクル)などによって資源を循環させる仕組みをつくり、環境への負荷を低減できる社会をめざそうというもので、法律の中で明確に循環型社会の姿を示しています。

「その後、循環型社会に対する関心は一時期下火になりましたが、最近、再び聞くようになったのはヨーロッパの影響です」と猪野先生。英語でサーキュラーエコノミー(circular economy)と表される循環型社会。日本では2000年の時点で法律に取り入れられているほど定着していますが、英語で学術的に使われはじめたのはごく最近のこと。特に、海洋汚染などでプラスチックゴミに対する意識が高まり、盛んに用いられるようになったといいます。その動きが逆輸入され、さらに昨今の国際情勢と資源問題の影響もあり、日本にも循環型社会の新しい動きが来ていると、猪野先生は話します。

再生費用や処分費用まで考慮すると、本当に得なのはどちら?

ところで、環境負荷を減らせる循環型社会は、地球環境には大きなメリットがありますが、企業や経済活動にとってはどうなのでしょう。循環型社会によってムダをなくすと同時に、経済活動にはプラスになっているのでしょうか。

何をもってムダとするか、基準を考える必要があると猪野先生。「ムダを考えたとき、再生すれば使えるのに捨てるのはもったいない……というのが一番素朴な出発点だと思います。たとえば、ある残余物をちゃんと再生して商品にすれば、消費者にとって100円の価値があるとします。すると、『まだ100円の価値があるのに捨てるなんてもったいない』『捨てると100円の損』と考えてしまいそうですが、そうではありません」

猪野先生が図を書きながら説明してくれました。「再生してもう一度使うためには、分別や洗浄、リサイクルなどの費用が必要です。その費用が50円だとすれば、〈価値100円-分別など再生にかかる費用50円〉となり、この再生品は差引で50円を社会にもたらすことになります」

直線型社会ではそれを捨ててしまっているので50円の損、50円をムダにしている……と結論づけがちですが、これも「実は違います」とのこと。再生品を買わなくても新品を購入するという選択肢もあるため、新品との比較が必要になるのです。

「たとえば、消費者にとって新品の価値が120円で、生産から消費までの費用が60円とすると、差引で60円を社会にもたらします。費用を差し引いてもトータル60円の価値があるなら、50円の価値がある再生品より新品が経済活動では選ばれていきます。これが大量生産・大量消費・大量廃棄の直線型社会です」

「再生品から得られる差引の価値は50円、新品の場合は60円なら、再生品を買っても社会にもたらす価値は10円低い。資源が安くてどんどん使えるなら、『新品を使って何が悪いんですか?ムダは起きていませんよね?』となります」

このままでは循環型社会の分が悪そうです。でも、「一つ忘れていることがあります」と猪野先生。「それは残余物の処分費用です。日本では大半を行政が無料回収・処分していますが、実際は税金によって費用がまかなわれています。仮に処理費用が20円だとすると、〈価値120円-生産・消費費用60円-処分費用20円〉となり、実際には差引40円にしかなりません。循環型社会における再生品がもたらす価値50円と比べると、10円の損、ムダがあることになります」

数字だけで見ると、再生品より新品が社会にもたらす価値は低くなる。分別費用やリサイクル費用は意識しても、多くの人は処分費用にまで考えが及ばないのではないでしょうか。猪野先生は「行政が無料回収していたため、この費用は日常的な経済活動における価格の中に含まれていなかった。だから、意識されてこなかったし、直線型社会で経済が回っていたのです。といって、仮に回収を有料化した場合、不法投棄が予想されます。すると、街の衛生状態が悪くなりますし、不法投棄がないか巡回して回収するほうが、費用がかかるという事情があります」という言葉に、直線型社会も循環型社会も、日常に深く関係していることを実感させられます。

循環型社会はムダを省き、新しい産業を生む可能性がある

行政による処分費用のように、その経済内部(市場)に含まれていないとはいえ、影響を及ぼすものを、経済学では外部性といい、さらにプラスに影響するものを外部経済、公害のようにマイナスに影響するものは外部不経済と分類されます。外部性を考慮しないのが直線型社会、外部性を内部化する(考慮する)のが循環型社会といえますが、どちらの方が経済は発展するのでしょうか。

猪野先生は、「理論的な理想値でいうと、内部化された循環型社会の方が発展します。実際には費用がかかっているのに外部性を無視してしまうと、どこかで歪みやロスが出てくるからです」と話します。直線型社会での大量生産・大量消費で日本経済が発展してきた一面もあるとしつつも、生産資源や、焼却に伴うエネルギー費用といった処理コストが高騰する今後は内部化する方が発展するとし、「外部性を内部化するための手段の一つが拡大生産者責任です」と続けます。

拡大生産者責任とは、企業が生産だけでなく製品の廃棄に至るまで責任を負うという考え方で、これまで行政が負担していた廃棄・回収・再生の費用を生産者に負担させるというもの。この考え方に基づいて、2000年以降、容器包装リサイクル法、家電リサイクル法、自動車リサイクル法といった法律が制定・施行されました。

たとえば、容器包装リサイクル法。容器包装廃棄物は容積にして一般廃棄物の半分以上を占めていますが、それだけ大量のものを、これまでは税金を用いて処分していたことになります。同法施行後は、容器包装を製造・利用している企業がリサイクル費用を負担しているため、費用を負担する企業としては、過剰包装をやめたり、分別・再生しやすい商品をつくろうと考えます。一方、リサイクル費用は商品価格に上乗せされるため、消費者はこれまでのような大量消費をやめる流れが想定されます。そのため、市場規模は小さくなりますが、実際は本来の大きさに戻ってムダが減るというわけです。

ただ、これでは企業の負担が増えるだけで、経済は回らないのではと心配になります。しかし、猪野先生は「リサイクル法によって企業から支払われたリサイクル費用は、分別・再生に関わる産業にまわります。分別や再生の産業が必要になり、ビジネスチャンスが生まれます」と話し、自動車リサイクル法を例に説明してくれました。

自動車リサイクル法では、自動車の所有者が購入時にリサイクル費用を負担し、自動車メーカーなどには将来、廃車になったときに適正に処理することが求められます。これだけでは容器包装リサイクル法と変わらないようですが、「納められたリサイクル費用を管理団体が管理し、実質的にリサイクルに対する補助金として活用するのがポイントです。リサイクル産業は補助が得られるので成長し、よりよいリサイクル方法を開発するなど新たなビジネスが生まれています」

こうした動きは自動車業界に限りません。循環型社会は、資源のムダ使いをなくすとともに、これまでにない産業が発達する可能性を持っています。また、回収・リサイクル費用をある程度企業や市民が負うことで、長い目で見れば税金のムダ使いも減らせます。

「もちろん、外部性を内部化することによって、損するところもあれば得するところもあります」と猪野先生。損だと思えば手を出さなければよいし、得だと思えば積極的に進むことができる。ある意味、拡大生産者責任は循環型社会に適応できない企業を淘汰する役割があるのかもしれません。 「経済学はお金をインセンティブとして社会を回そうと考える学問です。強制されることなく、誰もが自分にとって損か得かを考えて行動していい。循環型社会を機能させるには、損得で行動する人の習性を利用してシステムをつくることが大切です」

取材対象:猪野 弘明(関西学院大学経済学部 教授)
ライター:ほんま あき
運営元:関西学院 広報部
※掲載内容は取材当時のものとなります

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