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未知への歩み ― 信頼をもって選ぶ |聖書に聞く #22

梶原 直美教育学部教授・宗教主事

関西学院のキリスト教関係教員が、聖書の一節を取り上げ、「真に豊かな人生」を生きるヒントをお届けします。

あなたは生まれ故郷、父の家を離れて、わたしが示す地に行きなさい。

創世記12章1節から

わたしたちはそれぞれ、さまざまな日常を送っています。その日常が形成されるまでには多くの選択があったでしょうし、今後の自身の人生もまた、さまざまな選択に直面することによってつくられていくことと思います。ただ、いくら綿密に計画していても計画通りにいかないことがあるということは、すでに多くの方が経験されていることかもしれません。

この聖書の箇所は、家族と日常を送っていたアブラハム(この頃はアブラム)に向けて神さまがおっしゃった言葉です。自分のこれまでの日常の場を離れて、提案されたところで生きていく ― アブラハムは神さまからのそのことばに従って旅立ったことが、このあとの箇所に記されています。

現実的に考えると、ここには少し不思議なことがあります。これまでの人生を断ち切り、新たな場所に旅立っていくという突然の大きな呼びかけに対して、アブラハムは、その言葉がなぜ自分に向けられたのか、どうやって行くのか、行く道に危険はないのか、ちゃんと辿りつけるのか、そして辿り着いたあとはどうするのか、といった質問を一切しないまま、その言葉を受け入れているのです。

わたしたちには判断力がありますし、それを用いて考え、行動を選ぶことはとても重要です。アブラハムも日常的にそうしていたでしょう。慣れ親しんだ生活を離れ、思い描いてもいなかった未知の選択をすることは、わたしたちにとって怖いことかもしれません。にもかかわらずアブラハムがこの呼びかけに応えることができたのは、神さまへの全幅の信頼があったからではないでしょうか。だからこそ、これが自分の歩むべき道なのだと思えたのでしょう。旅立ったアブラハムはこの後目的地に辿り着き、困難に出会いながらも言われたとおりの喜びを得ることになります。

わたしたちの人生には、予想していない突然の大きな変化を受け入れなければならないことがあるかもしれません。それは、明るい将来が予想できるような変化だけではなく、たとえば、自分の意思とは関係なく暗いトンネルの中を歩まなければならないように思えたり、重い結果を抱えて道が閉ざされていると思えたり、拒みたいような大きな変化がある時もです。それでも、わたしたちの人生は終わりではありません。わたしたちにいのちを与えたその存在が、どんな道でも放棄せず、一緒に歩んでくれるからです。「信仰の父」とも称されるアブラハムの歩みは、そのような存在に信頼し、どのような状況をも引き受けて歩む生き方をわたしたちに教えてくれるのではないでしょうか。

Profile

梶原 直美(KAJIHARA Naomi)

関西学院大学大学院神学研究科博士課程前期課程修了、同後期課程単位取得退学。京都大学大学院人間・環境学研究科修士課程修了。博士(学術)。現在、関西学院大学教育学部教授・宗教主事。著書に『オリゲネスの祈禱論—<祈りについて>を中心に』(単著)、『ことばの力-キリスト教史・神学・スピリチュアリティ』(共著)など。

運営元:関西学院 広報部

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