子どもの成長にどのような影響がある? 音楽教育が与えてくれるもの
時代が進んで習い事の種類が増える中でも、根強い人気を誇るのがピアノ。なぜ保護者は子どもに音楽の習い事をさせたいと思うのでしょうか。音楽の魅力や音楽が持つ特性などをふまえ、幼稚園や保育所における音楽活動のあり方や支援方法、また、小学校音楽科の授業や指導方法について研究を進めている、長島礼先生にお話を伺いました。
Profile
長島 礼(NAGASHIMA Rei)
関西学院大学教育学部准教授。同志社女子大学学芸学部音楽学科ピアノ専攻卒業、聖和大学大学院教育学研究科幼児教育学専攻にて修士課程を修了。聖和大学の教育学部幼児教育学科の専任講師を経て、2017年より関西学院大学の教育学部教育学科初等教育学コース、2023年より関西学院大学大学院の教育学研究科で指導・研究を行う。著書に『保育者のためのピアノ曲集』(河合楽器製作所・出版部)『初めて学ぶ教科教育シリーズ 初等音楽科教育』(ミネルヴァ書房)などがある。
この記事の要約
- ダルクローズが創案した「リトミック」は、日本の音楽教育にも大きな影響を及ぼしている。
- 現在の小学校音楽科の目標は、生活や社会の中の音や音楽と豊かに関わる資質・能力の育成。
- 小学校第3学年は行動や考え方の大転換期である。
- 親子で音楽を楽しむ環境は、自ら積極的に音楽を楽しむ子どもを育てる。
日本の音楽教育に影響を及ぼした「リトミック」とは
現在、教育学部で小学校教員の養成を担っている長島先生。大学卒業後に音楽教育の研究者として道を歩み始め、大きな感銘を受けたのがスイスの音楽教育家・ダルクローズが19世紀末に創案した音楽の教育方法論「リトミック」でした。
日本では、戦後の1950年頃から、幼児教育や音楽教育の分野に本格的に取り入れられるようになったリトミック。その始まりはどのようなものだったのでしょうか。
「リトミックは、ダルクローズが一生をかけて創案した音楽の教育方法論です」と長島先生。日本人として初めてわが国に「リトミック」を紹介したのは、歌舞伎俳優の二代目市川左団次(1880-1940)、と作曲家の山田耕筰(1886-1965)といわれており、1900年代初頭のことでした。「リトミックが、音楽教育に携わる者ではなく、歌舞伎俳優や作曲家の目に留まったという事実は、とても興味深いです」と話します。
そして、小学校の音楽教師として初めてパリのリトミック学校で学んだのが小林宗作(1893-1963)。彼はパリのリトミック学校で1923年から2年間学び、東京の成城学園および玉川学園で児童・生徒に対してリトミックを指導しました。また、1930年にも再度パリのリトミック学校で学び、帰国後は幼児教育としてのリトミックの紹介、導入方法の研究、普及に努めています。
その後、1937年に小林宗作は東京都目黒区自由が丘にトモエ学園(私立の幼稚園と小学校、黒柳徹子氏の出身校)を創設し、そこで、「リトミック」の考え方を根幹にもつ子どもの全面発達を促すことを目的とした音楽教育方法を提起し、実践します。そして、戦中・戦後の混乱期を経て、1950年代以降、幼児教育や音楽教育の分野には、本格的に「リトミック」が取り入れられるようになっていきます。また、中学校の音楽教師であった板野平(いたの やすし。1928-2009)が、ニューヨークでリトミックを学び国際免許を取得し1956年に帰国します。その後は、国立音楽大学教育音楽学科にリトミック・コースが設置され、小林と板野が中心となり後進の指導にあたるとともに、全国各地で研修会を開催するなど、「リトミック」の普及活動は勢いを増しました。
歴史を振り返ると、「リトミック」は演劇や舞踏、音楽教育や体操関係などの幅広い分野に寄与してきたことがわかります。では、どのような点が優れているのでしょうか。そして、どのような点に長島先生は感銘を受けたのでしょう。
長島先生によると、リトミックの根幹には、「音楽の基礎はリズムであり、リズムは神経と筋肉の働きを通して音を媒介し、響きの形となって表出される」という考え方があると言います。だから、人が生み出した音楽を理解するにあたり、その音楽をよく聴き、自分の感じ考えたことを身体を使って表現すること、自身の体を動かして奏でられている音楽そのものになりきることによって、その音楽を深く理解し表現することができるようになるはずである、という考え方に至るのだそう。
「実際に体験してみるとわかりますが、まずは音楽に合わせて身体表現をするということ自体が、とても心地のよい活動です。また、適当に身体を動かしているのではなく、楽しい曲は楽しげに、悲しい曲は悲しげに、音楽を細部までよく聴いて、その音楽になりきる感覚で身体を動かすので、耳と心と頭(聴覚・感性・知性)がフル稼働します。耳で聴くだけの時とは異なり聴きこんでいる実感がありますし、実際に、聴覚のみで音楽を捉えている時よりも、音楽をより深く理解することが可能になります。そして、このような音楽の学び方について、幼児や児童期の子どもの「体験を通して学ぶ」という特性と照らし合わせ鑑みると、正に最適な学習方法だということを思わされます」
これまで、楽器演奏や歌唱の上達をめざすことに熱心だった日本の音楽教育が、「リトミック」の導入と普及によって、音楽性の育成や表現力の向上へも目を向ける転機となりました。
こうして音楽教育に取り入れられるようになった「リトミック」ですが、日本ではその導入のされ方において、他国とは異なる様相を見せていると、長島先生は言います。
「本来、リトミックは、音感・発声を鍛えるソルフェージュ、体の動きで表現するリズム運動、即興での演奏力をつけるインプロヴィゼーションから成る音楽の教育方法論ですが、わが国の幼児教育の分野で紹介された当時、幼稚園や保育所の先生方が実践するにはハードルが高い(音楽的に専門性が高い)という事実がありました。また、いわゆる未分化の状態にある幼児の成長発達を鑑みると、リトミックの分析されたリズム教育の姿は適切とは言いがたい、という課題もありました」
しかし一方で、当時の幼稚園教育要領のなかの保育内容「音楽リズム」という領域の観点から、幼児教育の分野における「リトミック(特にリズム活動)」の需要は高いものでした。そこで、この「リトミック」を幼稚園や保育所の実情に合わせた形で実践できるよう、前述した板野平を中心とした専門家によって創意工夫が凝らされました。全国で研修会が開催され、実践事例集などのテキストも多く刊行されました。その結果、幼稚園や保育所、幼児教育関連施設などで「リトミック」が実践されるようになり、幼児教育の分野に急速に普及しました。これによって、わが国の「リトミック」は幼児教育の分野のもの、主に子どもを対象にした教育方法論である、という認識が広まったといいます。
この現象は1990年代初頭まで続きますが、1989年の幼稚園教育要領の改訂によって、保育内容の「絵画制作」と「音楽リズム」は保育内容「表現」として整理され、「音楽リズム」は表現に関わる融合的な活動というように捉えられるようになりました。これにより、幼稚園や保育所では、変わらずリズム活動(音楽に関するさまざまな活動)を実践してはいるものの、音楽教育色の強い「リトミック」の需要は徐々に少なくなっていったといいます。
「しかしながら、その後も、板野氏はリトミックの普及と後進の育成に尽力され、彼のお弟子さんのなかには、指導者として国内外で活躍されている先生が多くいらっしゃいます。幼児教育の分野においては一時期のような勢いは見られなくなりましたが、リトミックは現在も、音楽の教育方法論であるということを根幹にすえながら、小学校や中学校といった教育現場・障がい児教育、高齢者の認知能力の向上・レクリエーションなど社会の中で醸成され続けているように感じています」
現在の小学校の音楽科の授業の実際は?
幼児期の音楽活動では、子どもの主体性や創造性を育むことが最も価値あることとして捉えられていますが、その先にある小学校ではどのような教育が行われているのでしょう。現在、長島先生は、小学校における音楽科教育の現状と課題を把握することと併せて、どのようにすれば学習内容の充実につながるのか、どのようにすれば児童が積極的に参加したいと思える授業を展開できるのか、といったことについて考えていると話します。
小学校音楽科の授業では、「歌唱」「器楽」「音楽づくり」「鑑賞」という4つの活動を通して、自分なりの「見方・考え方」を働かせ、自分の意図することに基づいて試行錯誤しながら、それを表現につなげていくことが行われています。「一人で考えたり仲間と協働しながら学びを深めたり、その活動過程に楽しさやおもしろさがあります」と長島先生。
そして、ここで大事になるのが指導者の指導力だというのが、長島先生の考えです。現在、公立小学校の1年生から3年生の音楽科の授業は担任の先生が受け持ち、音楽専科教員が担当しないことが多い状況にあります。しかし、実はこの1年生から3年生の時期こそ、音楽の学習面では基礎基本を学習する非常に大切な時期にあたるというのです。
「音楽科の授業が『楽しい』ことは最も重要なことですが、ただ楽しいだけで終わってしまうと、学年ごとの学習目標が達成できないだけではなく、小学校から中学校における9年間(義務教育期間)を見越した音楽学習を積み上げていくことができません。そのため、小学校の先生の音楽科における指導力の向上は、喫緊の課題ではないかとにらんでいます。小学校の先生は多くの科目を担当するので音楽科だけにスポットを当てることは難しいですが、『これだけは』というところは、ぜひ頑張ってほしいと期待しています」
さらに小学生の成長過程では、他者を意識するようになる3年生が大きな転換期といわれており、「9歳の壁」という言葉も存在するのだそう。この壁は音楽の授業においても教師が意識しておきたい時期であると長島先生は指摘します。
「それまで自分中心だった思考が他人の視線を意識するようになるため、『自分は音痴なのでは……』と思うと、それを隠そうとして十分な表現ができなくなってしまうこともあります。教師がそこでどのようなサポートをするかによって、子どもたちの音楽との向き合い方も変わってきます。音楽の習い事では、幼児期から続けてきたことがぐっと伸びる時期なので、この時期にたくさん褒め励まして自信をつけさせてあげたいです。好きの度合いが深まり、さらにその先へとモチベーションがつながっていくのではないかと思います」
音楽をどのように受け止め、表現するかが現代の授業
2017年に改訂された小学校・中学校の学習指導要領では、育成をめざす資質・能力の明確化や授業改善の推進など大きな改訂が見られました。
現在の学習指導要領について長島先生はこう語ります。「わが国では、『不確かな社会・世界を生きていくために主体性をもって生きる力を養うこと、多様性を認め合いさまざまな人と協働しながら自分や社会の新しい価値を作り出せる人材を育成する』という大きな教育方針が掲げられています。一方で、音楽教育には大きく分けて2つの目的があります。『音楽に固有の能力を育成する』という目的と、『音楽を通してさまざまな能力を育成する』という目的です」。そこで小学校音楽科の授業では、「主体的・対話的で深い学び」という学習方法を用いながら、わが国の教育方針に沿いつつ音楽教育の目的も果たすべく、授業が展開されています。
子どもの主体性を尊重する方向へとさらに舵を切った現在の学習指導要領。授業は、どのように進められているのでしょうか。
「これまでは教師が『ここはこういうふうに歌いましょう』と主導しながら歌の指導を行ってきました。現在は子ども同士で協働し、まず歌詞を読み込んで、その内容をどのように受け止めたのかを歌い方で表すということをやっています。個人で考えるのが難しい場合はグループでディスカッションし、作詞・作曲者の意図も汲みつつ自分たちらしく歌うことに比重が置かれています」
主体性・多様性・創造性などを念頭に置いた学習指導要領は実施から丸7年。徐々に定着しつつある一方で、そこに生じる課題も見られるようになってきたと、長島先生は言います。
「現在の『主体的・対話的で深い学び』という学び方においては、まずは子どもの主体性がキーワードになるかと思います。つまり、教える側も『なぜこれを学ぶのか』という動機づけが大事になります。児童が主体的に学べるように、文献などでは、児童の興味関心を惹くような教材を選択する、教材の紹介方法を工夫する、あるいは、児童に自分たちの課題を見つけさせる、コメントシートから児童の思いを汲み取り児童の思いに添った課題設定をする、というような、さまざまなアイデアが紹介されていますが、学びの必要性を感じてもらうという意味では、音楽は国語や算数に比べるとハードルが高いです」
実際に、「音楽学習をすれば、普段の生活や社会に出て役に立つ?」という質問をすると、肯定的な回答をした児童の割合は47%だった、という報告もあるといいます。
「仲間と合唱したり合奏したりすることは達成感もあって楽しいものですが、それが社会に出てどのように役立つのか……というところの捉え方を考えていく必要があります。小学校高学年になってくると、『なぜこの歌を歌わないといけないのか?』『なぜ合奏するのか?』と疑問を抱き、モヤモヤする児童もいると聞きます。そのような時に、『音楽の魅力』について語れる教師でありたいです」
今後、さらに広がりを見せると思われる主体的な教育。長島先生は、子どもたちに音楽の必要性をどのように伝えていくべきかを模索しています。
「音楽が必要か必要でないか、ということよりも、音楽の魅力をさまざまな形で伝えていけたらいいな、と思っています。小学校や中学校の音楽の授業において、合唱や合奏を通して仲間とともに一つの音楽をつくり上げていく過程では、一体感や達成感、喜びや充実感などが入り交ざった感動体験を共有することができます。私もそうですが、学生に尋ねても、この音楽経験は印象深く記憶に留まるようです。また、合唱や合奏があまり好きではない児童・生徒には、音楽づくりを通して作曲家目線で音楽にアプローチしていく方法もあります。鑑賞でも、その曲の背景に思いを馳せながら聴くことによって聴き方が変わってきます。このように、いろいろなアプローチ方法をもってして、児童・生徒に音楽の魅力を伝えるとともに音楽への興味関心をもってもらえるように誘うことができれば、しめたものだと考えています」
保護者が知っておきたい音楽教育との向き合い方
最後に、音楽に取り組む子どもを持つ保護者は、どのように子どもに向き合えばいいのかをお聞きしてみました。まず、リトミックや個人レッスンなど、就学前の子どもの音楽教育では、その子どもの成長発達を見守りながら進めることが重要であると長島先生は語ります。
「子どもの習い事は意思疎通がしっかりできる2〜3歳頃から徐々に始めるケースが多いのですが、その年代の最大の目的は感性を育てることになります。楽器を触って実際に演奏するのは、手の作りがしっかりしてくる4〜5歳からです。そこからたとえばエレクトーンやピアノをはじめとする楽器の鍵盤を触りながら、音階など基礎的な勉強をするようになります。まずは楽器で遊びながら、急がずに音楽への興味や学習意欲を育てることを優先しましょう」
親子で楽しむことが必須とされる幼児期の音楽教育。小学校入学以後の児童期には、適度な距離感が必要になるとのこと。
「幼児期は親と音楽の楽しさを共感することが、子どもにとってモチベーションになります。児童期になると自分で音楽の価値を見出して行動することも大事になるため、親は一歩引いて見守る役割になります。ただ、子どもにとって自宅での楽器の練習は、なかなか楽しいと思えないのが正直なところなので、練習する習慣が身に付くまでは関心をもって子どもに寄り添ってあげること、そして、親が音楽に向かう姿勢をどう見せるかも大事だと思います。日頃から音楽に触れる機会の多い家庭で育つのと、そうでない場合とでは、子どもの音楽との関り方も違ってきます」
音楽を楽しむ、好きになる動機は人それぞれですが、音楽に触れることによって得られるメリットについては、長島先生ご自身の経験から出た言葉が大きな説得力を持っています。
「バッハやベートーヴェン、ショパンなど、天才と呼ばれている人たちの傑作は、私たちに感動をもたらしてくれます。もちろん、鑑賞して楽しむことも幸せなことですが、その名曲を楽器や歌で自ら再現できる喜びは、人生を豊かにしてくれるものと思います。難しい曲でなくても、心癒される音楽や楽しい気持ちにさせてくれる音楽はたくさんあります。私自身も、仕事で疲れた時にはピアノを弾いて、自分で自分を癒しています」
取材対象:長島 礼(関西学院大学 教育学部 准教授)
ライター:伊東 孝晃
運営元:関西学院 広報部
※掲載内容は取材当時のものとなります