ヴォーリズ建築から考える、建築装飾の役割ははたして“映え”だけなのか

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ヴォーリズ建築から考える、建築装飾の役割ははたして“映え”だけなのか

皆さんは「建築装飾」と聞いて何を思い浮かべますか? 趣向を凝らした門柱や窓枠、文様の入った屋根瓦など、建物の構造に必要なさそうな“模様”や“飾り”を思い描く方も多いのではないでしょうか。今回は、日本の近代建築の歴史や意匠に詳しく、明治時代より日本に多くの建築物を残したW.M.ヴォーリズ(1880年~1964年)の研究も行う石榑督和(いしぐれ まさかず)先生に、「建築における装飾の意味」を教えてもらいました。

Profile

石榑 督和(ISHIGURE Masakazu)

関西学院大学建築学部准教授。建築学部ヴォーリズ研究センター研究員。博士(工学)。明治大学、東京理科大学などを経て、2021年より現職。専門は建築歴史・意匠。20世紀の日本および東アジアを対象にした都市史・建築史や、W.M.ヴォーリズが設計した建築物の研究を行う。『戦後東京と闇市 新宿・池袋・渋谷の形成過程と都市組織』(鹿島出版会)で2020年日本建築学会著作賞を、『津波のあいだ、生きられた村』(鹿島出版会、共著)は2021年日本建築学会著作賞を受賞。

この記事の要約

  • かつて建築には表層的な装飾と建物を支える構造との分離がなく、一体のものとして捉えられていた。
  • 建築における装飾は、建物と人間をつなぐものとして再評価されている。
  • 宣教者、社会活動家、実業家でもあるヴォーリズの建築は特徴がないことが特徴。

古代から産業革命までの建築装飾の変遷をたどる

私たちが観光で訪れる歴史的建造物の中には、建物の外観や室内に施された装飾が見どころとして紹介されることがありますが、意味を感じられるものも、一見しただけではわからないものもあります。建築における装飾はどのように作られてきたもの、どのように見られてきたものなのでしょうか。石榑先生は、「建築におけるデザインには、建物そのものだけでなく、周辺のランドスケープ、コミュニティデザインなども今や含まれていて、もちろん装飾もその一部です。ただ、古代には今のように装飾を表層的なものと捉える考え方はなかったんですよ」と答えます。

「古代ギリシャの建築物、パルテノン神殿は柱の形や彫刻が視覚的には特徴のように見えますが、あれらは表層的なものではなく建築の本質だと捉えられていました」

パルテノン神殿はドリス式オーダーと呼ばれる様式のもので、建物の基礎となる基壇に溝が掘られた太い柱が列をなして立っています。さらにその柱の上にエンタブラチュアという梁(はり)が置かれ、その上に三角形の屋根であるペディメントが乗っています。

パルテノン神殿。石造りの土台が基壇、崩れながらも上層のペディメントが確認できます

「ギリシャ建築では、こうしたオーダーに則ってつくられる装飾をもった様式と、形の比例関係が建築の本質でした。神殿としてのふさわしさ、構造的にも意味があると信じられていたのです。それ以降も時代ごとに建築様式が生まれていきました」

パルテノン神殿にはさまざまな彫刻が施されていますが、これらはすべて建築の本質である「様式」を構成する要素です。ヨーロッパでは19世紀の工業社会になるまでこの考え方が一般的で、建築物が装飾されているという認識はなかったのだそう。では、ヨーロッパの人々が装飾を表層的なものと捉えるようになったのは、いつ頃なのでしょうか。

「古代ギリシャ、古代ローマ、そして中世キリスト教社会へと移っていく中で、ヨーロッパの建築様式は、西ローマ帝国領域はロマネスク様式やゴシック様式が、東の方ではビザンチン様式が現れます。そしてルネサンス時代は古代ローマを振り返ろうという時代で、中世までの様式を操作可能なものとして、デザインの素材としていく歴史主義の時代に入ります。時代が降るごとに操作可能な様式は流行として展開し、ヨーロッパだけでなく、世界中の様式が、建築の内容のふさわしさを表現するために建築のデザインに取り入れられていきます。

以降、産業革命後、工業社会になるまでは装飾と建築の設計は一体であり続けますが、鉄とガラスとコンクリートが多く使われるようになり、新たな建築構造が可能になったことで、これまで成立しなかった形の建物や工業化された資材でつくられた建物が登場します。すると今まで建築そのものだと思われていた様式が、『建物を支える構造と様式を表現する表層的な装飾に分離』し、『表層的な装飾は建築の本質ではない』とみなされるようになりました。その時代の象徴ともいえるのが、パリ万博の目玉として建てられたエッフェル塔だと石榑先生は言います。

こうして、様式が建物の構造そのものではなく、表層的なもの、つまり装飾であると認識されるようになり、様式(装飾)のない建物が建築されるようになります。

「建物を支える構造や材料といったエンジニア的な要素が建物には大切だと認識されるようになり、様式における装飾的な要素は構造と関係なく不要なものといった合理的精神のもとで生まれたのが近代建築です。そしてこの精神をさらに推し進め、規格化された建築を行き渡らせようとしたのが20世紀です。このように建築の歴史を振り返ると、近代になると様式が表層的な装飾という意味に置き換わりますが、私たちが当然のように思う建築物に装飾がない時代は20世紀の極めて短い期間だけであったということがわかります」

復元してわかった建物と人間を結びつける装飾の役割

削ぎ落とされてしまった建物の装飾に、今、再評価の時代がきていると石榑先生は語ります。装飾がある、なしで何が変わるのでしょうか。ここで石榑先生が例として挙げてくれたのがW.M.ヴォーリズが設計した関西学院大学の時計台です。時計台内部の階段手すりにはかつて鉄製の装飾、アイアンワークが設置されていました。第二次世界大戦中の金属供出によって失われ、80年以上、抜けたままになっていたこの装飾を復元するプロジェクトに携わっている石榑先生。過去の図面や写真、採寸によって製作した木製模型を設置したところ、「階段周りが一気に身体感覚に近づくような感覚に襲われたのです」と驚きをもって語ります。

時計台内部の様子。下の写真では、手すりの手前はアイアンワークが抜けたままだが、奥には木製模型が設置され、その違いを感じることができる

「いわゆる“映え”が視覚依存だとすると、建築における装飾は映えだけではないと思います。その場を三次元に体感する際、凹凸をもった装飾は文字通りの触覚性と、視覚的な触覚性を持っていると思うのですが、そういった性質が建物とその中で過ごす人間というスケールが違うものの間をつなぎ合わせる重要な力を持っているのではないかと考えています」

実際、近年、再評価される傾向にある建築装飾は、ヴォーリズ建築にだけ見られるものではないと石榑先生は言います。

「世界中で、近代の技術を行き渡らせ市民の暮らしをよくするために、団地をはじめとする画一的な建物が多く建てられました。しかし、はたしてそれで本当に豊かになったのか?というのが高度経済成長期以降に起こっている批判です。近代建築の登場以降、表層的、ビジュアル要素とみなされた装飾が、実は極めて歴史や人間的な要素といった多様な価値観を表出しているものであると思っています」

キリスト教伝道師で実業家だからこそ“特徴のない”設計を行ったヴォーリズ

装飾の役割を考察するために石榑先生が例にしたヴォーリズの建築には、装飾性や構造にどのような特徴があったのでしょうか。すると石榑先生は「特徴らしい特徴がないのが、ヴォーリズ建築の特徴です」と話します。いったいどういうことでしょう。

「キリスト教伝道を目的に来日したヴォーリズは、社会活動家でもあり、近江兄弟社グループを築いた実業家でもあります。優れた建築設計でも知られていますが、幅広く社会をよくするための方法の一つとして、建築設計があったのだろうと捉えています。キリスト教の布教のために来日したヴォーリズは滋賀県近江八幡市を中心に活動していましたが、夏の間は軽井沢を拠点としていました。なぜなら、日本にいる外国人宣教師たちが夏になると避暑のため軽井沢にやってくるからです。そこでヴォーリズは自らの建築事務所員と共に宣教師たちの話を聞き、彼らがキリスト教の幼稚園や学校を作るためのサポートを、建築設計を通して行っていました」。そうして約45年間の設計活動で、教会、関西学院をはじめとするキリスト教系教育機関、病院、銀行、百貨店、さらには個人宅と1800件もの建物が設計され、そのうち約600棟が竣工しました。

ヴォーリズが手がけた建築物は、階段の傾斜が緩やかで昇りやすい、玄関脇のベンチが使いやすい、環境的にも快適であるといったことがよく挙げられますが、突出した特徴がそれほどありません。

それはつまりヴォーリズの建築は自己の主張が薄いという言い方もできますが、この「建築とは自己主張の造形芸術である」という捉え方自体が20世紀の作家主義的な建築家像です。ヴォーリズが設計者として取り組んだのは自己主張などではなく、クライアントの求める日本における新しいビルディングタイプに「ふさわしい」洋風建築を提供することでした。彼は時計台以外にも関西学院大学の建物を手がけましたが、その設計もキリスト教の「大学らしさ」と「合理性」から導かれていることがわかります。

「限られた資金の中で、キリスト教の、しかも大学のキャンパスとしていかにふさわしいものをつくるか、そして維持していくかが設計においては重要視されました。そこで選択されたのが、アースカラーの壁面と赤瓦、正面の入り口周りにのみ装飾が施された、全体にシンプルなスパニッシュ・ミッション・スタイルだったのだと思います。建築資材が統一できることからコスト面でも合理的だったはずです。建物群の中でセンターの時計台は特に装飾的につくり、あとはシンプルにデザインしていることからも、合理性を感じます」

曲線が美しい窓枠や、彫刻が施された壁面など、装飾的な要素が多い時計台

ではヴォーリズが設計において、建物の役割と機能を重視したのはなぜなのでしょう。

「建物のデザインは、役割や機能にふさわしいものとしてデザインすることが重要となります。そして、ふさわしいとされるデザインを取り入れた設計が繰り返され、人々に浸透する中で、たとえば教会なら『これがみんなにとっての教会であり神の家である』とみなされ、教会の形式のようなものができあがっていきます。

時間の流れを伴った見方、時間軸を持った解釈は、建築という分野ではとても重要なことです。建物に求められる役割と機能にふさわしいデザインを提示することは極めてクリエイティブな建築の問題。ヴォーリズには、建物からキリスト教を浸透させるという使命感も大きかったであろうと思います」

そこでヴォーリズが行ったのは、欧米で継承されてきた教会の形式を、日本の風土に合わせて置き換える作業です。

「ヨーロッパ的な建築は基本的に小さなレンガや石を積み上げる組積造(そせきぞう)ですが、これは日本の気候風土には適していません。そこで教会の形式を木造建築に翻訳するとどのような建築がつくれるかを模索する作業を行っていました。これは地味ながら非常にクリエイティブな仕事だったはずです。ただ、これは建築業界においては新しい建築スタイルの創造ではなく、あくまでキリスト教の重要さや伝統をなぞり、日本の文脈に導入するための作業だと思います。そういった意味で、ヴォーリズ建築には彼のスタイルとしての特徴がないと私は捉えています」

クライアントに寄り添ったことで「特徴がない」とされたヴォーリズとは対照的に、20世紀後半には作家性が強く、アーティスティックで、世界を変えていこうとする意思を持った建築家が現れます。

「実際にそのような建築家たちが社会を変えてきたという側面はあります。ですが、今の時代、20世紀後半的な建築家像は終焉を迎えています。現代に生きる建築家たちはまちづくりを得意とする人、リノベーションを得意とする人たちが活躍していて、彼らは“施主と共につくる”ということ自体が社会性をもった何かを構築することにつながると考えています。公共建築においても、利用者や地域グループがいかに建築と関わりながら次の社会をつくっていくかを探るため、ワークショップをやることが当然となってから20年、30年が経ち、そういった関わりを育てていくということが一般化しています。このようにものをつくるだけの建築活動はすでに終わっているということを考えると、使う人に寄り添った建築設計を行ったヴォーリズや、人と建物をつなぐ装飾の意味を今この時代に考えることに意味があるように思います」

取材対象:石榑 督和(関西学院大学建築学部 准教授)
ライター:青柳 直子
運営元:関西学院 広報部
※掲載内容は取材当時のものとなります

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