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「当たり前を疑え」。社会学がもたらす、多様なものの見方|学問への誘い #9

難波 功士社会学部 教授

世の中には多くの学問分野があります。研究者はどこに魅力を感じてその分野を専門とし、研究するようになったのでしょうか。関西学院の研究者に聞いたところ、専門分野との出会いや、研究のおもしろさを語ってくれました。その言葉に耳を傾けると、新たな世界が広がるかもしれません。

大学卒業後、広告代理店で何年か働いていたのですが、「チームプレイでものを作っていく仕事は自分には向いていない」と感じ、29歳のときに休職。社会学の中でもマスコミを主に研究する大学院に、社会人枠で入りました。大学院修了後は再び会社に戻りましたが、復職後3年を経て本学で研究・教育に携わることになりました。

「社会学の定義は社会学者の数だけある」と言われるほど、社会学の研究領域は多岐にわたります。私自身は、広告コミュニケーションについての社会学的、社会史的研究からスタートし、現在はメディア史やポピュラーカルチャー史なども幅広く扱っています。

私は昔から音楽も映画も、そして古い小説や落語も好きでした。社会学者は、自分が好きなものを議論や研究の対象にしても許されますし、自分が今やりたいことや気になっていることを仕事に落とし込めます。小さい頃から、好きな作家や作品に出会ったら、その人たちが誰に影響を受けているのか、過去までさかのぼって掘っていきたがる子どもだったので、自分の性に合っていたのだと思います。

社会学は「日常を疑え」「当たり前を疑え」という学問です。社会学の概念を知ると、新しい視点が得られ、世の中の見え方が変わったり、今まで見えていなかったものが見えてきたりします。それが社会学の存在意義ではないかと考えています。

たとえば、社会学で最近よく取り上げられるキーワードの一つに「インターセクショナリティ(交差性)」という概念があります。人種・階級・ジェンダー・セクシュアリティといったカテゴリーが、それぞれ個別ではなく相互に関係していることを示します。たとえば「黒人で女性でレズビアン」など、複数のアイデンティティの交差を見ていくことで、マイノリティの中でもさらに焦点の当たりづらい差別を受けている人たちを可視化するための概念なのです。

近年はマイノリティに対する意識も随分変わりつつあります。インターセクショナリティという概念も知っておくと、普段の生活の中でもさまざまな立場の人に配慮した発言や行動ができるのではないでしょうか。そういった感受性は、今の時代、どんな仕事をするうえでも求められるはずです。

自分が持っている価値観がすべてではないと気づき、多様なものの見方ができるようになる。それこそが社会学の意義であり、学問がもたらす豊かさではないでしょうか。

Profile

難波 功士(NANBA Kouji)

関西学院大学社会学部教授。東京大学大学院社会学研究科修士課程を修了、博士(社会学)。博報堂勤務を経て、1996年に関西学院大学に着任、2006年より現職。専門は広告の社会史、文化社会学、メディア文化論。著書に『広告で社会学』(弘文堂)、『テレビ・コマーシャルの考古学―昭和30年代のメディアと文化―』(共編著、世界思想社)など。

運営元:関西学院 広報部

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