君主政のイギリスから独立したからこそ確立されたアメリカの民主主義|今、あらためてアメリカを知る #1

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君主政のイギリスから独立したからこそ確立されたアメリカの民主主義|今、あらためてアメリカを知る #1

世界の政策や経済に大きな影響を与えている大国アメリカ。2024年には大統領選挙が行われ、いつにもましてアメリカが注目されました。そこで「月と窓」では、政治、外交、経済、文化を切り口に、アメリカを読み解く記事を4回連載でお届けします。第1回となる今回は、建国以来、アメリカが築き上げてきた民主主義をフォーカス。その概念や思想の変遷、アメリカと他国との違いなどを、政治学や政治思想を専門とする上村剛先生にお聞きしました。

Profile

上村 剛(KAMIMURA Tsuyoshi)

関西学院大学法学部准教授。博士(法学)。東京大学法学部を卒業後、日本学術振興会特別研究員PD(法政大学)を経て、2023年4月より現職。研究分野は人文・社会/政治学。近年は18世紀のヨーロッパと建国期アメリカの政治思想やグローバル思想史、政治と言語、時間意識の政治思想などを研究対象としている。著書に『権力分立論の誕生: ブリテン帝国の『法の精神』受容』(岩波書店)、『アメリカ革命』(中央公論新社)など。

この記事の要約

  • 民主主義による政治の価値が理解され、広まるには長い年月が必要だった。
  • 大国ゆえ、政治に関わる人が多すぎたことから連邦制が誕生。
  • 植民地から独立した国々はアメリカの民主主義を手本にしたが、確立には至らないことが多かった。
  • 抽象的に捉えられがちな自由や権利、民主主義の意味を正確に知ることが、問題解決の糸口になる。

哲学者たちに否定された古代ギリシャの民主主義

アメリカだけでなく日本でも導入されている民主主義は、人民が選挙で議員を選出し、多数決に基づいて権力を行使する統治システムです。民意が反映されることから理想的な政治体制と考えられることも多いですが、現在、世界の中で完全な民主主義国家は8%を下回るともいわれています。「民主主義による政治(以下、民主政治)が世界的に普及しない理由を知るには、まず民主主義の定義や歴史、それ以外の政治体制についても理解を深める必要があります」と上村先生は語ります。

「民主政治はもともと、6つの政治体制に分類されたうちの1つを指していました。古代ギリシャでは、政治体制の分類として、六政体論という考え方がありました。これは政治のあり方を、統治者の数と政治によって得られる利益がどこに向けられるかで分けるものです。1人の統治者による君主政(王政)と僭主政(せんしゅせい)、2人以上の少数による統治の貴族政と寡頭政(かとうせい)、そして多数の統治者による民主政と衆愚政(しゅうぐせい)に分けることができます」

民主主義はアテネで発展しましたが、アリストテレスやその師匠であるプラトンは、民主主義に対して否定的な立場を取っていたといいます。「自分の利益をわがままに追求しようとしてしまうことで、結果的には民主政治の腐敗した形=衆愚政や、あるいは僭主政に陥ると評価されました。民主主義や民主政治が良いものであると考えられるようになるには長い年月を必要とし、18世紀後半にアメリカやフランスで起こった革命が、その転換点になったと思われます」

近代以降、民主主義の価値観は徐々に受け入れられるようになり、現在まで続く民主政治のあり方が形成されるようになりました。

「ただ、『民主主義の精神なんて理想論だ』という考えがあったのも事実で、みんな自分の生活で忙しいから、いちいち政治に参加するなんてできないということで、最低限の条件で政治を行うために用いられたのが民衆による選挙という方法です。選挙では誰が自分たちにふさわしいリーダーであるかを選べるし、仮にその人が不適切であれば交代させることもできるので独裁には陥りません。複数の政党が競い合ってリーダーを選出するという方法が確立され、これが現代における民主主義・民主政治の原型になっています。ちなみに、古代ギリシャでは民主政治における公正な手続きとしてくじ引きが用いられていたといわれています」

ゼロからの国づくりによって生まれた連邦制と連邦憲法

アメリカにおける民主主義の導入は、1776年、長らく続いたイギリスによる植民地支配からの独立を宣言したことから始まります。しかし、1人のトップが隅々まで支配する君主政こそ、効率的な国の運営ができると考えられていたこともあり、民主主義や民主政治に対して政府全体での理解が得られず、国の運営を巡って緊張が走る場面が多々ありました。

「アメリカは君主政であるイギリスを倒してできた国家なので、建国当初から君主政は行わない方針を明確に示したことが特徴といえます。ただ、当時のアメリカでは農民が暴動を起こし、政治家に抵抗することもよくあり、これらの民衆の活動から、民主主義には政府を破壊する要素があるとも考えられていました。また、関わる人の数が多すぎてそれぞれの役割が薄まり、モチベーションが下がることも懸念されていました。そういった問題を乗り越えるために採用されたのが連邦制です。各州は中央の連邦政府と同様の組織構成を持ち、知事のもとで独立した法律で運営される、いわば一つの小さな国です。連邦制はこの州をまとめる、上層組織となります。この連邦制により、新たな大国・強国として発展することができました」

1787年に連邦制を採用したアメリカでは、連邦憲法であるアメリカ合衆国憲法が施行され、この憲法を巡る対立によって政党の原型が誕生。さらに1789年にはアメリカの独立の手助けをしたフランスで革命が起こり、君主政が倒され、その思想的影響によってアメリカは民主化を加速させました。フランス革命と同年の1789年には初の大統領選挙が行われるなど、現代的な政治の基礎が次々と形成されました。

「せっかく建国に至っても、それぞれの州が好き勝手にやっているとバラバラになってしまいます。そこで国としての統一感をもたらすためにつくられたのが連邦憲法です。それまでイギリスの植民地だったアメリカには統率や規律もなかったので、本当にゼロから国づくりが始まりました。連邦憲法や民主主義による政治思想は、長年、アメリカを苦しめていたイギリスの君主政への抵抗から生み出されたもの。こうした憲法をもとに国家運営を行うアメリカのスタイルは、後々、世界で増えていく主権国家や国民国家でも取り入れられてきました」

連邦憲法により、新しい国家のあり方を示してきたアメリカですが、やがて課題に直面するようになります。当時、民主政治に参加したのは白人の男性だけであり、それ以外の人々は“少数の存在”とされて政治に参加できず、女性、先住民、いわゆる黒人とされる人たちは、国民・市民からも排除された存在でした。そんな中、民主政治に参加する限られた人たちによる暴政で、少数への抑圧を起こす可能性があることも明るみになり、それをどのようにして食い止めるかが議論されるようになってきました。そこでアメリカ人が導入したのが上院・下院からなる二院制です。

「これはアメリカが民主主義に否定的だった時代にイギリスの政治スタイルを模倣していたことの名残でもあります。日本にも参議院と衆議院があり、衆議院で議論したことを参議院で再度審議を行います。上院と下院も似たようなもので、両院が審議を行うことで時間をかけてダブルチェックにつながるほか、議題に対して冷静になるという効果があります。また、上院は下院より審議機能が高いと考えられており、二院制によって民主政治の動きにあえてストップをかけ、暴政を起こさせないようにしているのです」

なお、1960年代以降はアイデンティティ・ポリティクス(共通のアイデンティティを持つ人々が政治的目標に向かって結束する)という形で、排除されてきた人たちが『自分たちの権利や声を奪うな』という声を活発に上げるようになりました。「こういった運動が多様性を重んじる現在のアメリカの政治に大きな影響を与えています」

アメリカの模倣ではなく独自性がある日本の民主主義

イギリスから独立し、民主主義国家へと変貌を遂げたアメリカの存在は、ほかの国にどのような影響を与えたのでしょうか。19世紀初頭にはポルトガル領のブラジルやスペイン領のアルゼンチン、コロンビアなど南アメリカでも独立運動が盛んになりますが、これらの国々は、独立を果たしたもののアメリカのような民主主義を確立させるに至りませんでした。

「当時、ヨーロッパの国々に支配されていた中南米において、植民地の指導者たちは、アメリカの成功を見て独立をめざすようになります。独立を果たした国々は、アメリカを模倣して大統領制や憲法制定などを採用するのですが、当時の情勢や隣国との関係、民衆の習俗やマインドに合わないなど、さまざまな理由により大半の国で民主主義の確立が頓挫しました。アメリカは他の国にはない状況下で国づくりを行い、民主主義を確立させたので、世界的に見ると偉大なる例外ともいえるでしょう。他の国々が同じようにできなかったのも、最先端の政治モデルをただ導入するだけでは機能しないという現実を表していると思います」

ここで日本にも目を向けてみましょう。明治維新により政治を含む社会全体が西洋化した日本では、第二次世界大戦後に民主主義が確立されます。しかし、その内容はアメリカを参考にしながらも模倣ではない、独自のスタイルを持ったものとなりました。

「日本では明治維新から西洋化を志して以降、植民地にされないために欧米の政治モデルを積極的に取り入れ、大日本帝国憲法では、当時、ヨーロッパに追いつこうと頑張っていたアメリカの連邦憲法を参考にした部分が多くあったと思想研究の観点からも語られています」

ちなみに、戦後に制定された日本国憲法について、「まるごとアメリカの影響下にあると勘違いしている人もいますが、日本は戦前から議院内閣制の採用や大正デモクラシーといった動きがあり、民主主義に転換する地盤がすでにあったということも重要です」

ギリシャで生まれて、アメリカからもたらされた民主主義は、今や日本人にとってベーシックな政治スタイルとなっています。しかし、今後の政治学の研究においては、西洋・東洋といった枠組みにとらわれないグローバルな考え方や、先人たちが積み上げてきた歴史を意識することが重要だと上村先生は語ります。

「私たちは、暮らしの中で政治について特に意識をしなくても生きていくことができます。しかし、社会情勢の変化などが起きたときに、その要因を考えるための道具として歴史を正確に把握しておくことは必須です。また、自由や権利、民主主義といった言葉は大事なものですが、抽象的に捉えられている部分も大きいので、その意味を具体的に知ることが私たちの現実の生活を助け、人生を豊かにすることにつながります。

私自身、幼少期からアメリカに対する憧れを強く持っていましたが、西洋思想史や政治学の研究を進めていると、自分とアメリカとの距離の取り方を見つめ直す必要があると感じています。私たちはアメリカから無自覚なままにたくさんの影響を受けていますが、歴史や文化について詳細に知る人は少なく、まさに『遠くて近い国』というような状態です。私自身も政治背景や他国との関係など、良いこと悪いことを含めてアメリカを再考することが、今後の課題だと思っています」

取材対象:上村 剛(関西学院大学 法学部 准教授)
ライター:伊東 孝晃
運営元:関西学院 広報部
※掲載内容は取材当時のものとなります

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