歴史と密接な関係がある日本の医療制度。誕生と変化から考えるこれからの形

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歴史と密接な関係がある日本の医療制度。誕生と変化から考えるこれからの形

病気やケガをしたとき、病院で治療を受けられることは、現代を生きる私たちにとって、当たり前になっています。では、こうした日本の医療制度はいつ生まれ、どのように形を変えてきたのでしょうか。医療政策・医療制度の形成過程について研究する宗前清貞(そうまえ きよさだ)先生に、歴史的背景や今後の課題などについて伺いました。

Profile

宗前 清貞(SOMAE Kiyosada)

関西学院大学総合政策学部都市政策学科 教授。博士(法学)。財団法人ふくしま自治研修センター、琉球大学、大阪薬科大学を経て、2016年に関西学院大学に着任、2021年より現職。専門分野は政策過程論で、特に医療政策・医療制度に着目し、政策・制度がつくられた背景やその後の変化などを研究している。著書は、日本公共政策学会2021年度著作賞を受賞した『日本医療の近代史--制度形成の歴史分析』(ミネルヴァ書房、2020年)をはじめ、『ポリティカル・サイエンス入門』(共著、法律文化社、2020年)、『日本政治研究事始め―大嶽秀夫オーラル・ヒストリー』(共著、ナカニシヤ出版、2021年)など多数。

この記事の要約

  • 法律や背景の違いから国によってさまざまな医療制度が生まれた。
  • 江戸時代に病院はなく、医師の養成学校ができたのも明治時代に入ってから。
  • 平均寿命の長さ、新生児死亡率の低さから見て日本の医療レベルは高い。
  • 日本の“安くて良い”医療を今後も維持するには課題がある。

江戸時代には医師はいたが、病院はなかった

日本では、医療制度というと、「すべての国民が公的医療保険に加入する国民皆保険制度」を思い浮かべる人は多いかもしれません。しかし、この制度は世界共通ではありません。たとえば、アメリカは公的医療保険の対象者は限定的で、民間の医療保険が主流。イギリスの「国民保健サービス」は無償ですが利用の制約が厳しく、日本とは仕組みが異なります。

「国によって医療制度が違うのは、各国の法律や慣習、歴史、外因の違いが関係しています。たとえば、利益団体の形成は、各国の法律・制度の状況によって、団体の生まれやすさが異なります。また、結成された団体の特色が政治に影響を与え、制度の内容や定着させる方法も変わります。医療のような公共政策に関わる制度は、さまざまな要素が絡み合ってできているので、仮に他国の制度の良いところ取りをしたくても、そのまま自国に適用できません」

現在の日本では、総合病院から町の診療所までたくさんの病院・医院があり、誰もが必要に応じて医療を受けられる体制が構築されているように見えます。しかし、意外にも日本に病院ができてからの歴史は浅いといいます。

「庶民の間に医療が広まったのは江戸時代ですが、この時代には病院はありません。医師であり薬剤師でもある漢方医が自宅で診療していました。このとき、治療行為に対する技術料は請求せず、患者からの報酬は薬代のみ。その薬代も、患者によって金額を変えていました。そのため、現在の診療所のようなものはあっても、患者の症状に応じて診察、治療、経過観察を行う病院の原型となる施設は存在しませんでした。東京の小石川養生所(※)が病院の原型だという意見もあります。しかし同様の施設がほかに見当たらないのです。ちなみに、江戸時代の漢方医による治療は、現在でいうところの内科にあたり、外科や感染症には対応できません。そのため、幕府は鎖国状態を維持しながらも、江戸中期以降、蘭学を認めていました」

※江戸幕府の第8代将軍・徳川吉宗の治世に設置された医療施設で、江戸庶民に無償で医療を提供していた。

なお、同時代のヨーロッパには病院の原型となる施設が多くあったと宗前先生は言います。現存する最古の病院は、1400年ほど前につくられたパリのオテル・デュー(神の家)病院です。欧州各地の大学に医学部が設立された中世には、既存の病院を利用した医学教育が実施されていました。医療が普及した江戸時代でも医師養成の主流は学校ではなく、師匠について学ぶ属人的な教育が行われていたのです。

明治維新や戦争を機に日本の医療制度が変化

漢方医が治療を行っていた江戸時代から、日本の医療制度はどのように変わってきたのでしょう。時代ごとにたどっていくと、社会情勢を背景に法制度、専門職、保険、病院がそれぞれに整備されていったことがわかります。

まずは法制度。日本の医療制度が大きく変化したのは、開国した後でした。明治政府は西洋医学の導入を決め、1874(明治7)年に医療や衛生行政に関する規定を定めた「医制」を発布。調剤専門職である薬剤師が誕生して医薬分業が定められたり、医学校に関する規定が定められたり、さまざまな制度が整えられました。

次いで専門職として看護師や保健師(当時は看護婦、保健婦)が誕生しますが、その活躍には戦争が影響していると宗前先生は話します。「日本の看護師は明治末期の日露戦争時(1904~1905年)、負傷兵の看護を担う役割として整備され、“従軍看護婦”として戦地に赴いていました。地域の公衆衛生を指導する保健サービスは、日中戦争(1937~1945年)開戦が契機となっています。周産期保健を向上させることで人口を増やし、結核罹患を防いで青年の健康を守るため、公衆衛生看護婦である保健婦を全国に配置したのです。戦後、日本の保健医療政策を主管したGHQから『伝染病予防に日本の保健婦制度は有効』と判断され、全国各地の保健所は解体されることなく発展していきました。日本の医療制度は、戦後のアメリカによる制度改革によってガラッと変わったと思われるかもしれませんが、実はその仕組みは戦前からつながっているのです」

日本の医療制度を語る上で欠かせない健康保険制度は、1922(大正11)年の健康保険法が始まりで、戦争中に停滞したものの、戦後になって再建・浸透が進みます。1950年ごろまでは公的な医療保険が適用されない自由診療の割合が多かったのですが、健康保険制度の浸透とともに保険診療が広がります。さらに1961年に国民皆保険制度が発足し、国民全員が何らかの公的保険制度に加入する仕組みができると、保険診療を前提とした医療が当たり前になりました。しかも軍医を増やすため戦時中に医学校を拡大したことで、戦後の医師余剰が常態化しました。そのため、かつては単価が安く手続きも煩雑なので嫌われていた健康保険制度による診療を、医師たちも受け入れざるを得なくなった、すなわち宗前先生いわく「保険制度の中に医療が組み込まれ」、現在の医療体制が形づくられていきました。

最後に、病院の設置です。もともと日本の公立病院は結核患者の療養(=長期入院)のために主に郊外で建設されたのですが、1940年代に特効薬が開発されたことで入院患者は減少、また外科などへの転換もできず、医療上の存在意義が問われるようになりました。その結果、それまで拡大していた国公立病院の伸びが止まります。一方、高度経済成長がもたらした経済力によって、国民は医療費を捻出できるようになり、都市部を中心に「病院ブーム」が生じました。そうした医療機関の多くは100床から150床という小規模な民間病院であり、また採算の視点から個室ではない相部屋の病室が多くなっています。日本の人口あたり病床数は先進国で最大なのですが、多くの病院は高度な医療というよりも、療養的な医療需要に対応していると言ってよいでしょう。その結果、コロナ禍では相部屋であるがゆえに入院受け入れに制限が発生し、医療が逼迫したという弊害が発生しました。

保険制度の仕組みが浸透するまでには長い時間が必要であり、また医師や看護師などの医療職が学んで独り立ちできるまでにもそれなりの時間がかかります。そう考えると、医療制度の形成と定着は一朝一夕に出来上がったものではないことがわかります。

揺らぎが生じている日本の“安くて良い”医療

「社会や歴史的背景、そして政府や軍部、医師会など、さまざまな立場の人や組織が関与し、それぞれの思惑が交差する中で変化してきた」と宗前先生が指摘する日本の医療制度。このようにして確立された日本の医療制度には、どのような特徴があるのでしょうか。宗前先生は「安くて良いシステムです」と断言します。良い、つまり医療レベルが高い例として周産期医療を挙げました。

「50年前なら出生児に2500グラム未満だと未熟児と定義され、困難な出産とみなされていました。今では900グラムで誕生しても多くの病院で対応可能です。今、日本の新生児(生後4週未満)死亡率は1000人あたり0.9人で世界最低値です。医療には、科学技術と社会制度という2つの面がありますが、世界一安全な環境で赤ちゃんが生まれる国になったのも、医療レベルの高さという『科学』と、保健師の働きや皆保険という『制度』の両輪がうまく機能しているからです」

もうひとつの指標として宗前先生が示したのがGDPに対する総医療費の割合です。経済協力開発機構(OECD)の『G7諸国における総医療費(対GDP比)と高齢化率の状況』(2018年)によると、日本の対GDP比医療費は10.7%で6位となっています。しかし日本は高齢化率が25.1%で世界1位であり、また一般に高齢者は一人当たり医療費が嵩むことを考慮すると、医療費は相対的に抑えられているといえます。こうしたことから、日本の医療は「安くて良い」といえるのです。

厚生労働省「OECD加盟国の保健医療支出の状況(2018年)」より
・OECDの「総医療費」には、国民医療費に加え、介護費用の一部(介護保険適用分)、民間の医療保険からの給付、妊娠分娩費用、予防に係る費用等が含まれていることに留意が必要
・総医療費の対GDP比(%)は2017年度、高齢化率(%)は2014年度(日本、フランスは2013年度)のデータ

ただし宗前先生によると、以前はもっと「安かった」とのこと。たとえば、2012年には高齢化率が2018年より1%低い24.1%で世界最高なのは同じですが、総医療費の対GDP比は0.4%低い10.3%で10位と、2018年よりも医療費が安く済んでいました。

つまり世界的には「安くて良い」ものの、高齢化率の上昇とともに総医療費も徐々に上がってきており、2025年現在、「安さ」については揺らぎが生じています。今後も安定した医療制度を維持するには、構造的な課題があることを宗前先生は指摘します。

「今、日本の医療は、医療供給者の善意に頼っている部分が多く、ギリギリで成り立っている状況だといえます。本来なら高齢者の介護は福祉で対応をする分野ですが、そうした医療需要のかなりの部分を医療機関に依存している面があります。福祉が医療に流れこむことを避け、介護が必要な方を民間の福祉サービスでケアするために介護保険制度が創設されたのですが、現状はうまく回っていません。“すべてを手厚く”は無理となった現代において、医療関係者ではない政治学者が、いわば門外漢として研究することで、より良いアイデアが発生し、定着するための条件を考えることにつながるのではないかと思います。私は医療現場での“当たり前”がどこで生まれ、どう定着したかを追いかけています」

取材対象:宗前 清貞(関西学院大学 総合政策学部都市政策学科 教授)
ライター:ほんま あき
運営元:関西学院 広報部
※掲載内容は取材当時のものとなります

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