
ジェンダー視点でケア労働を考える。介護職員が働きやすい職場環境とは
澤田 有希子人間福祉学部 教授
高齢化が進み、労働力人口が減少する中で、介護や保育といったケア労働の業界では人手不足が深刻な問題になっています。今回、話を伺うのは、ケア労働をジェンダーの視点から研究している澤田有希子先生です。ケア労働の中でも、特に澤田先生が研究対象とする高齢者介護の領域に焦点を当て、介護業界の実情や現場が抱えている課題についてお聞きしながら、働きやすい職場環境の実現のために何が求められるのかを考えます。

Profile
澤田 有希子(SAWADA Yukiko)
関西学院大学人間福祉学部教授。博士(総合政策)。大阪人間科学大学助教、関西大学助教を経て、2016年関西学院大学に着任、2024年より現職。ジェンダー視点によるケア労働をテーマに研究を行う一方で、大阪市、箕面市、神戸市、尼崎市、芦屋市、宝塚市の福祉系委員会で委員を務める。
この記事の要約
- 介護業界の人手不足の根本にあるのは、社会的評価の低さによる低賃金。
- 低賃金の背景には、女性が家庭内で行っていた労働の延長線上で始まったというケアワーカーの歴史がある。
- 人手不足を解消するには、処遇改善や働きやすい環境といった組織の取り組みが必要。
- ケア労働の現場の改善のために、行政も民間もさまざまなアプローチで取り組んでいる。
介護職不足の背景にある、社会的評価の低さによる低賃金
近年、ケアという言葉をよく目にするようになりました。澤田先生によると、福祉分野におけるケアとは「日常生活を営む上で、困難な状態にある人に対する世話」のことで、身体的な世話だけでなく、身の回りの世話やちょっとした声かけや気遣い、配慮なども含まれます。ケアの対象は、乳幼児や高齢者、障害者、病人などさまざまです。
障害や病気のある家族のケアを担った経験から、この分野に関心を持つようになったという澤田先生。現在、主に研究テーマとしているのは、高齢者介護の領域です。「介護と聞くと、身体的な介助を思い浮かべる人が多いかもしれませんが、身体に接触しない介護業務もたくさんあり、その内容は多岐にわたるんですよ」と澤田先生は言います。
高齢者介護の仕事は「訪問介護」と「施設介護」に大きく分けられますが、訪問介護の目的は、高齢者が慣れ親しんだ地域や自宅でなるべく自分らしい暮らしを自立的に送るために、生活援助と身体介護の二方向からサポートすること。生活援助では炊事や掃除、洗濯、買い物といった家事を手伝い、身体介護ではADL(日常生活動作)が低下した高齢者の食事・入浴・排泄・移動・着替えなどの介助を行います。
一方、施設介護の目的は、「なじみのない施設における集団生活の中で、個人としての尊厳が保たれ、なるべくその人らしく安心した生活を送ることができるように、スタッフと入居者の関係を築きながら自立支援を行うこと」だと言います。「たとえば、特別養護老人ホームは基本的な入居要件として『要介護3以上』と定められていて、認知機能が低下している人も高い割合で入居されています。その中で、食事・入浴・排泄などの介助を行うのはもちろん、入居者が安心できるような生活空間をつくることも大切な業務です」
このように業務内容の細分化が進んでいるのは、専門性が必要なものと不要なものを切り分け、介護報酬の設定を見直し、未経験者や短時間労働者、ボランティアといった多様な人材で業務分担できるようにという行政の意図があってのこと。しかしそれでも、業界の人手不足は深刻な状況で、厚生労働省の「介護サービス施設・事業所調査」によると、介護職員数は介護保険制度が始まった2000年度から毎年度増え続けていましたが、2020年代から増加のペースが落ち、2023年度には初めて前年比マイナスに転じました。一方で要介護(支援)認定者の数は毎年約10万人ずつ増えています。
「そもそも労働力人口が減少しているので、今はどの業界も人手不足、超売り手市場の状況です。特に介護・漁業・農業・製造・建設・飲食・宿泊といった業界は、外国人労働者の受け入れがないと人材を確保できず、業務が滞る事態にも直面しています。加えて介護業界では、2024年度の介護報酬改定によって訪問介護の基本報酬が引き下げとなってしまいました。熱意だけでは乗り越えられず、その影響で倒産する介護事業所も過去最多となっています。こういった状況では、よほど思いの強い人でないと介護業界を選択しないのではないでしょうか」
制度的につくられていった、女性がケアを担う体制
人手不足を解消するためには採用を増やすだけでなく、離職率を下げることも必要です。離職の根本的な理由として、澤田先生は「賃金の低さ」を挙げます。「それも単なる賃金の低さだけではなく、社会的評価の低さが関係しています。資本主義社会の中でケアの価値が十分に評価されていないからこその低賃金。介護職は非正規雇用の割合が高く、平均給与も他の産業と比べて低い状況です。この問題は、ケア労働が女性職とされてきたことと関係していると私は考えています」
ではなぜ、今の日本においてケア労働の大部分を女性が担う体制になったのでしょうか。
「その理由をひも解くには、明治憲法までさかのぼる必要があります。明治憲法下の民法において規定された家族制度(通称:家制度)のもと、日本では長年にわたって男系優位で戸主の権力が家族員の中で、法的に最も強いものとされ、家庭内で性役割が固定化されていきました」
戦後の民法改正によって家制度は廃止されますが、性役割分業はその後の時代も続いていきます。「高度成長期に職住分離が進んだ結果、“男性は仕事、女性は家庭”という考えが広がり、男性が生産活動を円滑に進めるために、女性は専業主婦として家事、育児、介護といった再生産労働を期待されました。こうした性役割は人々の慣習だけでなく、国民年金の第3号被保険者(※)など、社会の制度にも根強く残っています。女性が家庭内でケアを担う体制が、制度的につくられていったといえるでしょう」
※国民年金の第3号被保険者とは、第2号被保険者(厚生年金保険や共済組合等に加入している会社員や公務員の方)に扶養されている配偶者の方で、原則として年収が130万円未満の20歳以上60歳未満の方。
そして、もともと家庭内での慣習だった性役割分担が、介護職をはじめとする職業分野にも波及していきます。「日本のケアワーカーの歴史を振り返ると、1956年に長野県で始まった家庭養護婦派遣事業が、ホームヘルパーの始まりだといわれています。1962年には国庫補助事業として、老人家庭奉仕員制度がスタートしました。当初、業務内容は老衰や傷病等の理由で介護を要する高齢者の家庭において、洗濯・炊事・掃除などの家事や身の回りの世話をしたり、話し相手になったりすることでした」
その後、ホームヘルプサービスの変遷とともに、業務内容に関する規定も変わり、その専門性が問われるようになっていきます。1982年には有料ヘルパー派遣事業が始まり、研修制度が導入されたことで技術や専門性が向上。さらに、1987年には社会福祉士及び介護福祉士法により、国家資格が誕生しました。そして、1989年に策定されたゴールドプラン(高齢者保健福祉推進十か年戦略)以降、家庭奉仕員はホームヘルパーと呼ばれるように。このようにホームヘルパーの社会的立場は向上していったものの、「賃金が発生しない主婦の家事労働の延長線上にあるものとして、奉仕の気持ちでなされる仕事としてスタートしたことが社会的地位の低さにつながり、賃金設定が低い状況が今も続いています」と澤田先生は指摘します。
働きやすい環境を実現するには、組織的サポートが重要
歴史的な背景もあり女性が多いケア労働の現場ですが、近年は介護職として働く男性ももちろんいます。厚生労働省所管として設立された介護労働安定センターが、2023年度に行った「介護労働実態調査」によると、男性の割合は訪問介護では16.6%、施設介護では27.2%。今も女性が多いのは変わりませんが、介護保険法が施行された2000年と比べると、男性は着実に増えています。しかし、男性職員への聞き取り調査を行ってきた澤田先生は、さまざまな問題がネックとなり、男性の割合が今以上に増えていくかどうかは疑問だと話します。
「やはり低賃金の問題は大きいです。共働きなら何とかなっても、パートナーが産休・育休などで収入が減ったり、事情があって退職したりした場合には、自分1人で家族を養うのは難しいという声が多くありました。また、介護職のキャリアパスとしては、『技術を極めてスペシャリストになる』『後進の育成を担う指導者になる』『資格を取得してケアマネジャーになる』『施設の経営やマネジメントに携わる』といった選択肢がありますが、昇進や他職種のポストは数に限りがあるため、めざしても全員がなれるわけではありません。そのため、キャリアに行き詰まって離職する人もいます」
ちなみに、女性がキャリアアップをめざす場合も、ポストに限りがあるのは男女とも同じです。ただ、女性が多い職業の場合、いわゆるガラスのエスカレーターという現象によって男性は女性よりも早く昇進する傾向があるため、女性のキャリアはより厳しい状況になります。また、介護施設勤務の仕事では夜勤があることから、産休・育休後に正職員として女性が復帰する際の高いハードルとなっているそうです。
とはいえ、これらは介護業界に限らず、多くの業界で起きている問題。男女問わず誰もが働きやすい職場環境には、どのような特徴があるのでしょうか。ケアワーカーや施設へのインタビュー調査から、澤田先生は法人の組織規模を特徴として挙げました。
「以前、ケア労働の離職の背景にあるバーンアウト、いわゆる燃え尽き症候群を研究していたのですが、理由として最も大きかったのは職場の人間関係でした。特に、組織的なサポートが得られないことや、昇進の意欲や期待がもてないことが、バーンアウトにつながると明らかになりました。一方、規模が大きい法人は、研修やメンター制度といった組織的サポートがあったり、育休復帰後の時短勤務といった柔軟な働き方に対応していたりと働く方を支える制度が充実していることも多く、それが離職率の低下に関係していると考えられました。また、規模が大きければ業務の種類やポストの数も多いので、キャリアの選択肢が増えるということもメリットだと思います」
ケア労働の現場をより良くしていくために
規模の大きい組織では働き方改革や働きやすい環境整備が推進されているものの、中小規模の組織にとって限界がある中、国としても介護人材を確保していくための施策を講じています。
厚生労働省が2024年7月に「総合的な介護人材確保対策」として打ち出した主な取り組みは、①介護職員の処遇改善、②多様な人材の確保・育成、③離職防止/定着促進/生産性向上、④介護職の魅力向上、⑤外国人材の受け入れ環境整備、の5つ。澤田先生は、この中でも特に早急に取り組むべき施策について、次のように話します。
「まず必須となるのは、やはり①の処遇改善ですね。介護の質の確保を真剣に求めるならば、賃金体系を公務員並みにするくらいの抜本的な改革が必要ではないでしょうか。現在、介護職には無資格者から国家資格者まで多様な人が含まれますが、これまで以上に専門性に対する適切な評価をすることが重要だと思います」
一方、③で取り上げられている生産性向上については、介護現場でもICT導入が進められ、効率化がはかられているとのこと。ただ、これには課題もあると澤田先生は疑問を呈します。「たとえば、今は超音波センサーの技術が発達していて、施設ではモニター遠隔監視により居室にいる利用者さんの膀胱内の尿の量までリアルタイムで把握することもできるんです。もちろん、この技術によって居室内の安全性の確保や排泄介助を効率化できるというメリットはありますが、職員が利用者さんに『トイレは大丈夫ですか?』といった声かけの機会が減るので、関係が希薄化してしまいますし、プライバシーについても考慮する必要があります。ある施設の方は、『介護の本来あるべき姿から離れているのでは』と深刻な問題として捉えていました。私もその意見に共感しますが、一方で人手が足りない状況でそうも言っていられないというジレンマを感じています」
②多様な人材の確保・育成、④介護職の魅力向上については、厚生労働省では、介護に関心を持つ介護未経験者に対する入門研修の実施推進や、介護の仕事魅力発信ポータル「知る。わかる。介護のしごと」などの取り組みを進めています。

近年、介護現場の人手不足から外国人労働者の受け入れが進んできていますが、実態把握のための調査は十分に行われていませんでした。そのため、澤田先生は、新たな介護の担い手と期待される外国人介護士の現状について深堀りし、就労意識調査によって、「どのようなソーシャルサポートを必要としているのか」「職場定着や就労継続に必要なことは何か」「どのようなキャリアを求めているのか」といった聞き取り調査を行っています。
「ケア役割が女性に固定化されている体制や社会構造を変えていきたいというのが、私のもともとの研究関心です。しかし現在、介護職として働いているのは、日本人も外国人も圧倒的に女性が多く、ジェンダー体制は堅持されています。この状況を変えていくのは時間がかかることですが、研究者としてジェンダーの視点できちんと指摘していくことが大切だと考えています。また、外国人介護士の人たちの環境をどうすればより良くできるのか、研究を進めていきたいと思います」
取材対象:澤田 有希子(関西学院大学人間福祉学部 教授)
ライター:藤原 朋
運営元:関西学院 広報部
※掲載内容は取材当時のものとなります