幸せを信じるという選択 |聖書に聞く #33
福万 広信初等部宗教主事・教諭
関西学院のキリスト教関係教員が、聖書の一節を取り上げ、「真に豊かな人生」を生きるヒントをお届けします。
ところが主は、「私の恵みはあなたに十分である。力は弱さの中で完全に現れるのだ」と言われました。だから、キリストの力が私に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。(中略)私は、弱いときにこそ強いからです。
コリントの信徒への手紙二12章9節、10節
“Because I’m happy. Clap along”
これはファレル・ウィリアムスの世界的ヒット曲「Happy」の一節です。2014年のグラミー賞を席巻したこの曲は、今もなお、多くの人々の心を明るく照らし続けています。軽快なリズムに乗って繰り返されるこのフレーズは、単なる楽しい言葉ではなく、現代社会に生きる私たちに「幸せとは何か」を問いかけているようです。
私たちは日々、ストレスや責任、人間関係の悩みの中で生きています。成果を求められ、忙しさに追われる毎日の中で、「幸せだから手をたたこう」と言われても、素直にそう思えないことも多いでしょう。しかし、「Happy」の歌詞には、「幸せを信じられるなら」「自分にとって何が幸せかわかったら」「幸せこそ真実だと思えたら」といった言葉が続いています。つまり、幸せは外から与えられるものではなく、自分の内側から見つけ出すものだというメッセージが込められているのです。
困難な状況にあっても、小さな喜びや感謝に気づくことができれば、それが幸せへの第一歩になります。日々の忙しさの中で見失いがちな「自分にとっての幸せ」を見つめ直すきっかけを、この曲は私たちに与えてくれているのです。
ファレル・ウィリアムスは子どもの頃から教会に通っていたそうで、聖書の言葉やキリスト教の価値観が彼の音楽に影響を与えているのかもしれないと私は感じました。今回冒頭に引用した言葉には、そんなキリスト教の価値観が表れています。
「私の恵みはあなたに十分である。力は弱さの中で完全に現れる」という言葉は、使徒パウロが深い苦しみの中で神から受け取ったメッセージです。ただ、パウロはすぐにその言葉を受け入れたわけではなく、悩み、苦しみながらも、神が与えてくださった恵みに少しずつ気づいていきます。そして彼は、「だから、キリストの力が私に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。(中略)私は、弱いときにこそ強いからです」と語るようになります。
弱さを誇る、弱いときにこそ強い…といった一連の言葉は、私たちの常識とは逆のように感じられますが、よく考えてみると、人生の転機や大切な気づきは、順調なときよりも苦しいとき」にこそ訪れているのではないでしょうか。幸せとは、何かを手に入れることではなく、すでに与えられている恵みに「気づく」ことなのです。
「Happy」の歌詞が示すように、「幸せを信じられるなら」「自分にとって何が幸せかわかったら」、そのときこそ、私たちは心から手をたたくほどの喜びを実感できるのではないでしょうか。
神は今日も私たちに語りかけています。「私の恵みはあなたに十分。あなたの人生は必ず支えるから。だから大丈夫。私は、ずっとあなたと共にいる」と。この声に耳を傾けながら、弱さの中にある力を信じ、希望をもって歩んでいきたいと思います。
Profile
福万 広信(FUKUMAN Hironobu)
1967年生まれ。1990年、関西学院大学神学部卒業。1992年、関西学院大学大学院神学研究科博士課程前期課程修了。日本基督教団熊本白川教会、日本基督教団大阪昭和教会牧師を経て、現在、関西学院初等部 部長・宗教主事、日本基督教団聖峰教会協力牧師。著書として、『聖書』(日本キリスト教団出版局)、『教会暦による説教集第2巻 キリストの復活』(共著・キリスト新聞社)、『主よ、用いてください-召命から献身へ-』(共著・日本キリスト教団出版局)などがある。
運営元:関西学院 広報部