
万博でもキャラクターは大人気。キリスト教から見るキャラクターの存在意義とは|万博を学問で読み解く #3
大阪では55年ぶりの万国博覧会となった「大阪・関西万博」。社会や私たちの生活に、万博の開催はどのような影響を与えるのでしょう。 そこで「月と窓」では、過去・現在・未来における万博の役割を、観光や外交、宗教、経済の視点から研究者が読み解き、4回連載でお届けします。第3回はキャラクターに注目。大阪・関西万博では、公式キャラクターのミャクミャクが幅広い層から人気を集めています。このようなキャラクターをキリスト教の視点から読み解くため、キリスト教の思想や芸術について研究を重ねている柳澤田実先生の研究室を訪問。万博におけるキャラクター、そしてキリスト教とキャラクターの関係について伺いました。

Profile
柳澤 田実(YANAGISAWA Tami)
関西学院大学神学部 准教授。東京大学大学院総合文化研究科修了。博士(学術)。2013年より現職。宗教などの文化的背景とマインドセットとの関係を専門分野とし、現在は日米におけるキリスト教保守層の現状について研究中。著書に『ディスポジション──哲学、倫理、生態心理学からアート、建築まで、領域横断的に世界を捉える方法の創出に向けて』(共著、現代企画室、2008年)など。海外書籍の翻訳も手掛けている。
この記事の要約
- キリスト教でもカトリックは美術的要素に肯定的だが、プロテスタントは否定的。
- カトリックの総本山バチカンが公式マスコットを設け、大阪・関西万博で活用している。
- プロテスタントの禁欲的な思想への反動で、アメリカはエンタメ大国になった。
- “推し”が宗教の代わりになることもあるが、宗教は経済的な活動とは別の領域にある。
カトリックとプロテスタントでの偶像の捉え方の違い
キリスト教とキャラクターの関連について語るうえで、まず知っておきたいのが2大教派であるカトリックとプロテスタントの違い。両者は同じ信仰を持ちながらも、その教義には大きな違いがあります。
「ローマ教皇を中心とするカトリックは視覚芸術に対して肯定的で、長い歴史の中、教義を広める手段としてキリスト教美術を発展させてきました。一方、16世紀の宗教改革によって生まれたプロテスタントは、聖書のみを拠り所にし、ギリシャ・ローマの文化を筆頭にさまざまな異教の文化が混淆したキリスト教をいったん白紙に戻すという原点回帰の運動を展開しました。宗教改革では、ルターと並んで著名なカルヴァンが絵画や偶像を特に厳しく批判し、排除を押し進めました。この活動によって多くの信者が自分で聖書を読むようになり、プロテスタントの地域では識字率が大幅に向上したといわれています。とはいえ、感覚に訴えかける手法は布教において非常に有効なので、プロテスタントでは神への崇敬を表現する手段として、讃美歌などの音楽が発展しました」
さらに歴史をひも解くと、キリスト教における偶像崇拝の禁止は、旧約聖書のモーゼの十戒にまで遡ることができ、プロテスタントが誕生するよりもはるか前から説かれていました。その後、313年のミラノ勅令によってキリスト教がローマで公認されると、修道院によって数々の壁画や聖像が制作されるようになります。しかし、726年に東ローマ帝国のレオン3世が聖像禁止令を発布し、聖像や宗教画の制作を禁止したことで東ローマ帝国とローマ・カトリックとの対立が深まっていきます。
「キリスト教には、全世界から司祭らが集まって教義などについて議論する公会議があります。325年にキリスト教初の公会議であるニカイア公会議が行われ、以後も場所を変えながら続けられ、教義の基本が形成されました。787年の公会議では、レオン3世の聖像禁止令発布以降に起きた聖像破壊運動(イコノクラスム)に対して、聖職者や民衆の反感が強まっていたことを受け、聖像禁止令の撤廃が決定されました。これにより、キリストがこの世に人間として生きた証として絵画や像を制作しても良いということになりました。キリスト教で偶像崇拝を禁止している背景には、『神は目に見えない無限の存在で、すべてを超越しており、そのコピーを絶対視して有限なものにしてはいけない』という考え方があります。そのためコピーである絵画や像は、信仰の対象ではなく、あくまで信仰のきっかけという名目で制作が許されたのです。その後、カトリックは勢力を拡大しますが、中世後期からルネサンス期にかけて聖職売買や贖宥状(しょくゆうじょう、※)など制度的に堕落し、先に述べたプロテスタントによる改革運動が勃発するという動きにつながっていきます」
※贖宥状とは、現世での罪の償いを軽減できる証書のこと。教会で販売され、その金銭は教会の財源となった。
大阪・関西万博に登場したキャラクター「ルーチェ」と「ミャクミャク」
キリスト教においてはカトリックが美術とのつながりが強く、聖像や宗教画など、長い歴史の中で数多くの作品を生み出してきたことが、柳澤先生の話からわかりました。その流れを汲んでいるといえるのが、キャラクターの創作です。カトリックの総本山であるバチカンは、カトリックにおいて25年に一度の「ローマ巡礼者に特別赦しを与える年」である「聖年(Holy Year)」と大阪・関西万博バチカン館の公式キャラクターとして「Luce(ルーチェ)」を発表し、アピールに努めています。
「バチカンの聖ピエトロ大聖堂にはミケランジェロのシスティーナ礼拝堂もあり、絵画館にはカラヴァッジオやラファエロによる宗教画の名作が収蔵されています。芸術がアピールポイントなのは間違いないのですが、教皇庁公認でルーチェちゃんのようなポップなキャラクターを作るのは、私としても予想外だったので、かなり驚きました」と柳澤先生。
2025年は聖年にあたります。聖年は聖ヤコブの墓があるスペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼が重要な意味を持ち、Luce(ルーチェ)のデザインにも関係しています。
「ルーチェちゃんが手に持つ杖やブーツなどに、巡礼者の格好が忠実に再現されているほか、希望の象徴として身につけるホタテ貝がルーチェの瞳のハイライトにあしらわれています。日本のアニメのテイストを用いながらカトリックの習慣や伝統が表現されていて、SNSでも話題になったようです。最近の教皇庁は、SNSをはじめ若者への働きかけに注力しているのですが、こういったかわいいキャラクターでキリスト教に関心を持ってもらうよう働きかけるのも、そうした方策の一環だと思います。」

そして、大阪・関西万博の公式キャラクターであるミャクミャクのデザインにも、日本人の神秘的なものや呪術的なものへの関心が反映されているのではないかと柳澤先生は語ります。
「日本人は、どんなに宗教に関心がない人でも、お正月の初詣やお盆など、なにかしら宗教的な儀式に携わっており、このような習慣は共同体を安定させるためには必要なものなのであると私は思っています。またサブカルチャーには宗教的な意匠が多く、怪談が流行したり、神秘的で呪術的なものを日本人は好みますよね。ミャクミャクも最初は気持ち悪いと言われていましたが、徐々に人々に神秘性や呪術的な要素を感じさせたのではないでしょうか。結果、ただ単にかわいいだけではない魅力で人気を博したのだと思います」
教義への反動で生まれたカリフォルニアのディズニーランド
キリスト教は、世界的にはカトリックが主流とされていますが、アメリカではプロテスタント信者のほうが多いことが特徴です。これは、建国時にヨーロッパから移住してきた人々が、プロテスタントの一派であるピューリタン(清教徒)だったことに由来します。そして、このプロテスタント信者の多さが、後にアメリカをエンターテインメント大国に押し上げる要因の一つになったようです。
「17世紀のイギリスでは、国王であるジェームズ1世によって、英国国教会を離れたピューリタンが迫害されており、彼らの一部は迫害を逃れ、自分たちの理想郷をつくるためにアメリカにやってきました。ピューリタンは言い換えればカルヴァン主義者で、宗教革命を指導したカルヴァンは美術などの視覚に訴える“見せ物”的な要素をキリスト教から排除しようとした人でもあります。こうした禁欲的な性格を持つピューリタンですが、人間はやはりそれだけでは生きていけないので、新天地アメリカでもさまざまな娯楽が生み出されます。もちろん、世俗的なことを良しとしない教派の考えから派手なものは制限しようという動きもあるのですが、規制するほど反動も大きく、さらに新たなエンターテインメントが数多く生み出されたのではないかと思います」
イギリスからアメリカ大陸にやってきたアングロ・サクソン系のプロテスタント信者は勢力を拡大し、アメリカ合衆国の建国に大きく携わります。質素倹約や勤勉、神から与えられた使命といった彼らの宗教的な信念は、そのままアメリカの価値観として定着していきます。一方で、こうした規範の下で窮屈さを感じる人々も増え、禁欲主義と、その反動で娯楽を求めるという二極的な動きによって文化が形成されるようになりました。1955年にカリフォルニアにオープンしたディズニーランドも、プロテスタントによる娯楽の制限の産物だと柳澤先生は語ります。
「プロテスタントの国であるアメリカにおいて、幻想的できらびやかなディズニーランドは、宗教改革以前のキリスト教が発展させた、視覚を楽しませる“見せ物”的な文化の代替物だと思います。あれだけ大規模なテーマパークが長年にわたって人気を保ち、リピーターや新規のファンによって支えられているという構図は、もはやビジネスを越え、宗教的だとさえ言えるでしょう。実際にディズニーランドはアメリカ人にとっての“聖地”だという研究もあります。興味深いのは、カトリックが主流であるフランスのディズニーランド・パリは、一時は経営難に陥るほど現地では受け入れられていなかったということです。“見せ物”的な文化を維持し続けたカトリックの国では、禁欲を経て新たな“聖地”として生み出されたアメリカ式のディズニーランドは特にアピールしなかったのかもしれません。」
信者減少の一方で、静かな信仰復興が起きている?
柳澤先生は現在、日本とアメリカにおけるキリスト教保守層の現状について研究を進めています。近年、世界的に宗教離れが進んでいる中、アメリカでもキリスト教信者の減少が顕著になっています。しかし、これは衰退を意味するのではなく、人々のキリスト教に対する受け止め方が変化したことで、役割が変わってきたためだと柳澤先生は考えます。
「アメリカではキリスト教の保守層がトランプ大統領の大きな支持基盤になっています。トランプ大統領がアメリカのルーツに立ち返ろうという運動を展開するにあたり、キリスト教的な価値観を復興させようとする動きも見られます。信者の減少については、20年ほど前から段階的に進んでいるのですが、反対に信者の熱量はものすごく上がっています。ですので単純に宗教離れが加速しているとは決めつけにくい状況です。不安定な社会情勢が続く中でも、まだ世界には期待できるものがあると思わせるのが宗教や神の存在意義であり、それゆえ人々が神聖なものを求める動きにつながっているのかもしれません」
他の国はどうなのでしょうか。イギリス国教会が設立されるなど、独自の発展を遂げてきたイギリスでは、教会への出席率が増加していて、特に若者に顕著です。2018年には18~24歳の定期的な教会出席者はわずか4%でしたが、2024年には約16%になりました。「静かな信仰復興が起きているという指摘もあります」と柳澤先生は語ります。
「従来、中心的だったプロテスタントのイギリス国教会からカトリックに信者が流れるなど、これまでは考えられなかった動きも起きています。若い世代、その中でも男性を中心に、お香を焚くなどカトリック的な儀式や神秘性に惹かれる人が増えているようです」
日本では伝統的宗教への回帰は見られませんが、特定のキャラクターや芸能人に多大な熱量を注ぎ込む「推し活」が、宗教に取って代わっているようにも見えます。
「自分が安心して心を預けられるような存在があることは、推し活も含めて、とても良いことだと思います。ただ、それがすべて産業化され、経済的な活動が過剰になることに懸念を感じます。宗教も実際にはお金に関係しているわけですが、それでも信者の心理の中では経済とは別の領域として位置付けられ、人間の純粋な部分に訴えかけ、希薄になりつつある社会への帰属意識を回復させる上で重要な役割を果たしています。私も研究する中で“タイパ”や“コスパ”では測れない“聖なる価値”に注目しています。今後も宗教や文化に現れる合理性だけでは説明できない人間の心理に注目していきたいと思っています」
取材対象:柳澤 田実(関西学院大学神学部 准教授)
ライター:伊東 孝晃
運営元:関西学院 広報部
※掲載内容は取材当時のものとなります