私たちは災害とどう向き合うのか。「災害復興学」の視点から、コロナ・パンデミックを考える
地震、台風、水害……毎年のように大規模な自然災害に見舞われる日本。さらには新型コロナウイルスの流行という世界規模の困難に直面し、災害対応のあり方に新たな課題が突きつけられています。
私たちはどのように災害と向き合っていけばいいのでしょうか。社会科学の視点から災害復興にアプローチしている、関西学院大学災害復興制度研究所所長の山泰幸先生にお話を伺いました。
Profile
山 泰幸(YAMA Yoshiyuki)
関西学院大学災害復興制度研究所 所長。関西学院大学 人間福祉学部 人間科学科 教授。超高齢社会における持続可能な地域づくり、防災・減災まちづくり、災害復興、高齢者の社会参加をテーマに、住民・行政・NPO等と連携しながら、長期密着型のフィールドワークに基づく実践的な研究を行う。災害や過疎からの地域復興まちづくり、自主防災組織とコミュニティづくり、「哲学カフェ」による高齢者の社会参加のための場づくり等、取り組みは多岐にわたる。災害復興制度研究所には設立準備段階から関わり、2016年4月から副所長を務め、2022年4月に所長に就任。京都大学防災研究所巨大災害研究センター客員教授、日本災害復興学会理事を兼務。
この記事の要約
- 災害復興にはコミュニティの復興、人と人のつながりの回復が不可欠。
- コロナ禍によってコミュニティの希薄化が加速している。
- 日常的な近隣コミュニケーションが長期的な災害対応につながる。
被災者中心の視点で復興を研究する本邦初の研究所。
1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災。関西学院大学では学生・教職員23人が亡くなったほか、多くの関係者が家や家族を失いました。この未曾有の都市型災害を経験し、10年後に設立されたのが災害復興制度研究所です。当時としては日本で唯一「災害復興」を掲げた研究所の設立経緯を、山先生はこう振り返ります。
「日本ではこれまで、防災のテクノロジーや地震発生のメカニズムといった自然科学分野での研究が発展してきましたが、災害が起こってしまった後にどう生活を取り戻していくかという社会科学的な分野の研究は十分ではありませんでした。そもそも、国が公共事業を投入して被災地を再開発することが『復興』だと思われてきましたから、被災者の目線に立った議論自体がほとんどなかったのです。阪神・淡路大震災で研究者自身がこの問題の深刻さを身をもって感じたことから、被災者を中心に据えた『人間復興』のための災害復興制度研究所が設立されるに至りました」
山先生によると、これまでの被災者を支援する法律は、その時々の必要に応じて制定・改正されてきたため、体系化されておらず、さらに長期的に被災者を支援する制度や法律はほとんど存在しないのだそう。「災害救助法では、被災者への支援は基本的に被災した直後のみ、それも原則として現物支給に限られています。災害弔慰金の支給等に関する法律もありますが、十分とは言えず、ひとたび災害で家や財産を失うと、貧困状態から抜け出すことが非常に難しいのが現実です」
そこで災害復興制度研究所では、法学、経済学、社会学、心理学、工学など多分野を横断した「災害復興学」を立ち上げて研究・教育活動に取り組んでいるそうです。被災者対応に必要な理念や具体的な方策について研究し、政策提案につなげるというユニークな活動は、他に例がありません。
「復興」の名の下で失われる人と人とのつながり。
山先生の本来の専門は、過疎地域や少子高齢化時代のまちづくりの実践研究。日本各地で住民や行政、NPOと協力して地域の課題に向き合ってきました。研究所の立ち上げに関わりはじめた当初は災害復興というテーマにピンとこなかったものの、研究所のメンバーで被災地のフィールドワークに訪れたとき、まちづくりと災害復興が根本で関わっていることに気づいたそうです。
「被災地を訪ねてみると、その多くが被災前から高齢化などの問題を抱える地域だったのです。地域社会に活力がある場合は災害からの復興だけを考えればいいのですが、もともと弱っていた地域が災害に見舞われると、復興に向かう体力すら残っていないという場合があります。そこで私は、災害からの復興と同時に地域が抱える問題を克服する『地域復興』に取り組んできました」
地域復興のために重要な視点として、山先生は生活の再建、コミュニティ復興、人と人とのつながりの回復といった要素を挙げます。
「再開発されて街が綺麗になるのは一見良いことのように見えますが、その一方で地価が上がって元々住んでいた人々は出ていかざるをえないという問題が起こっています。また、被災者生活再建支援法があり、住宅の被害程度の判定によって、住宅再建のための支援金が下りる家もありますが、そのままでは住めない状態でも支援金が下りない家があることで格差が生じ、不公平感が募って人間関係に亀裂が入ってしまうこともあります。目に見える財産だけでなく、生活の重要な基盤である人と人とのつながりも失われてしまうのです。
被災地の人々のなかには、『復興』という言葉を嫌う人もいます。復興という美しい言葉のもとで、自分たちが置き去りにされてしまうという現実があるからです。そして、こうしたことは災害が起こるたびに繰り返されています。こうした当事者の声が復興に反映されにくい現状を変えていくとともに、次に同じ問題を繰り返さないように社会全体で『復興知』を共有し、次世代へ伝えていくことが必要です」
コロナ禍という新しい災害で希薄化するコミュニティ。
現在、人類はコロナ・パンデミックという大きな危機を経験しています。山先生によると、災害研究の中でもコロナ禍は重要なテーマとなっているそう。これまでの自然災害とは違うコロナ禍での災害対応について、山先生はこう語ります。
「感染症そのものを災害とみなす考え方は、日本ではまだあまり定着していません。現在議論されているのはむしろ、コロナ禍において自然災害が起こった場合の対応についてです。コロナ禍での自然災害は、これまでの災害対応に加えてさらに二重三重の対応が求められる『複合災害』といえます。たとえば2020年に熊本で起こった豪雨災害では、感染拡大を防止するためボランティアが現地に入れないという事態が発生しました。また、避難所で大人数が『密』になって避難するリスクも問題になりました。これらを踏まえて、遠隔地からの支援のあり方や避難所の運営などについて議論を深めてゆく必要があります」
コロナ・パンデミックとこれまでの自然災害とのもうひとつの違いは、災害時の国際関係のあり方だと山先生は指摘します。
「東日本大震災が発生したときには、諸外国から日本に支援の手が差し伸べられました。これまでならば、関係が微妙な国同士であっても、大規模災害が起きると関係改善の機運が高まることがしばしばありました。ところが、コロナ・パンデミックはほぼ同時に世界中を襲ったため、国同士での助け合いがあまり振るわなかった。それどころか、コロナ対応を巡って優劣を競い、分断が広がってしまったのは非常に残念です」
つながりの希薄化は、国同士だけではなく私たちの身の回りでもあらわになりました。とくに都市部において、コミュニティのあり方にも大きな影響があったといいます。
「人同士のつながりが強い田舎に比べて、もともと都市部のコミュニティは希薄でした。『人に縛られず自由だけれど、人に頼れず不安』というジレンマで言い表すこともできるでしょう。コロナ禍でますます人と会う機会が減り、都市のコミュニティの脆弱さはますます加速しているように思われます。インターネット上のコミュニティがその代わりを担っている側面がある一方、インターネットを使い慣れていない高齢者などの層で孤立が深刻化しています」
さらに追い打ちをかけるように、特定のカテゴリーの人々への差別も横行しました。山先生はその背景について、コロナ禍で生活が立ち行かなくなる不安や、楽しみを奪われた不満など、行き場のない苛立ちがあるのではないかと分析します。こうした分断と孤立化が進めば進むほど、災害時の人々の団結力も弱まってしまうでしょう。
自由に話し合える場づくりがロングランの災害対応につながる。
人と人とのつながりが危機にさらされている現在、災害に備えるにはどうすればよいのでしょうか。大切なのは、日頃から意識して地域社会のつながりを作っておくことだと山先生は言います。
「災害時、いざというときに知らない人同士が突然協力するのはなかなか難しいことです。価値観が違う人同士が避難所で共同生活すれば、トラブルも起こります。そうならないために日常的なご近所づきあいはとても大切なのですが、とくに都市部ではそれがほとんど機能していません。マンションなどの集合住宅では、むしろお互い過剰に関わらないことがマナーになっているぐらいです」
山先生が問題視しているのは、高齢者の孤立です。とくに年功序列の男社会の人間関係が身に染み付いた高齢男性は、地域のフラットな人間関係に溶け込めずに孤立を深めてしまいがちなのだそう。そこで山先生は、高齢男性も参加しやすい場づくりに取り組みはじめたといいます。
「高齢女性の場合は、長年の間に、地域のなかで人とのつながりを築いている方が多いのに対して、いわゆる『会社人間』として過ごしてきた高齢男性の場合は、地域につながりがない場合が多いです。また、一昔前と違い、現在高齢にさしかかっている人の多くは大学を出た『高学歴高齢者』です。高齢者向けに提供されている娯楽では知的に満足できない。これまで自分が培ってきた知識や経験を認めてもらえる機会がないことが、高齢男性が孤立を深める一因になっています。そんな高齢男性の社会参加を促すために『哲学カフェ』を始めました」
哲学カフェとは、ひとつのテーマをめぐって参加者が自由にお互いの意見を語り合う対話の場のこと。山先生は兵庫県宝塚市の老人福祉センターにて、高齢者向けの哲学カフェを運営していて、参加者は男性が半数以上を占めているそうです。
「まずは、この場所では自分は認められているという安心感をもってもらうことが大切です。参加者のなかには、はじめは前のめりに自己主張される方もいらっしゃいますが、回を重ねるごとに落ち着いて、むしろ充実した時間になるように協力的になってこられる場合が多いです。哲学カフェに参加したことがきっかけになって、自ら新しい地域活動をはじめる方もおられます。もともと哲学カフェはフランスに留学したときに出会いました。過疎地域のまちづくりに役立つと直感して、帰国後、地域コミュニティの土壌づくりのために導入し、定期的に運営してきましたが、高齢男性に居場所を提供するうえでも非常に有効だと考えています」
「現代社会は『大切なことほど人に話せない社会』になってしまっています。ですがそのままでは、いざ災害が起こったときにご近所に声をかけて避難したり、避難所で助け合ったりすることができません。だからこそ、日常的にさまざまな問題を話し合うという姿勢を身に付けてもらうことが、ロングランでの災害対応になるのです」
コロナ禍の今こそ、つながりを再考して災害に備える機会に。
コロナ・パンデミックは、逆説的に人と人とのつながりの大切さを再認識する機会になったと山先生。「コロナ禍では孤立、孤独の問題がこれまでになく多く語られるようになりました。人間にとってつながりは不可欠なのだという認識が社会で共有が進んだことには、大きな意味があると思います。また一方、これまで対面のコミュニケーションに負担を感じており、オンライン授業や在宅勤務によって社会に参画しやすくなったという人もいます。これを機会に、人にとってよりよいコミュニケーションのあり方とはなにか、それをどうデザインするかを考えていく必要があるでしょう」
最後に改めて、私たちにできる災害への備えについてお聞きすると、「まずは過去の災害や復興の過程でどんな問題が起きたのかを知り、共有すること。そして、地域のつながりを絶やさないことです。毎日顔を合わせるご近所さんに一声挨拶をするだけでも、いざというときに助け合いやすい関係ができるはずです」と教えていただきました。
人間はいつの時代も集団で知恵を出し合い、力を結集して困難を乗り越えてきた生き物。身近なつながりこそが災害時のセーフティーネットになることを意識して、災害への備えを見直してみてはいかがでしょうか。
取材対象:山 泰幸(関西学院大学災害復興制度研究所 所長。関西学院大学人間福祉学部 人間科学科 教授)
ライター:谷脇 栗太
運営元:関西学院 広報部
※掲載内容は取材当時のものとなります