良いこととは何か ─星野富弘と聖書に学ぶ「fine」の心 |聖書に聞く #37
松隈 協関西学院高等部宗教主事
関西学院のキリスト教関係教員が、聖書の一節を取り上げ、「真に豊かな人生」を生きるヒントをお届けします。
なぜ、この人を困らせるのか。私に良いことをしてくれたのだ。
マタイによる福音書26章10節
2025年秋、高等部で「星野富弘アート展」を開いた。50点の詩画がそろうことは西日本では珍しい。かなりの費用がかかったが何とか捻出した。なぜそうまでしてアート展をやりたかったのか。それはこの行為が「fine」だからだ。
「fine」という言葉には「この時、この瞬間にぴったり合う」という意味がある。
星野さんは、中学校の教諭で、体操の模範演技をしている時に落下、首から下が麻痺してしまい、車椅子の生活を余儀なくされた。その後、絵筆を口にくわえて、すばらしい詩画を描かれ、私たちに感動を送り続けてこられた。その星野さんが2024年4月28日に神様のみもとに召された。私は2025年秋、「この時、この瞬間」にアート展をやらなければならないと強く感じた。
私が好きな星野さんの詩は「たんぽぽ」。「いつだったか/きみたちが/空をとんでゆくのを見たよ/風に吹かれて/ただひとつのものを持って/旅する姿がうれしくてならなかったよ/人間だって/どうしても必要なものはただひとつ/私も余分なものを捨てれば/空がとべるような気がしたよ」。星野さんは、「余分なものを捨てれば/空がとべるような気がしたよ」と言われた。
手足が不自由になった星野さんにとって「空をとぶ」とはどういうことか。それは自由になる、解放されるということではないか。
私たちは、物欲、情報欲、人間関係を大切にしたいといった欲の海に溺れながら生きている。なぜ、こんなにも欲望に限りがないのか。それは、すべてにおいて増やしていくことこそが、人生の目的であるという価値観が、私たちの中にあるからだ。
今日の聖書は、一人の女性が高価な香油をイエス様の頭に注いだという物語だ。他の福音書では、その香油は売れば300デナリオン、日本円で300万円にもなる高価なものだったことが記されている。弟子たちの目には、この女性のしたことは、無駄で、無意味な行為に見え、憤慨した。しかしイエス様はこの行為を黙って受けられ、「なぜ、この人を困らせるのか。私に良いことをしてくれたのだ」と言われた。
なぜイエス様は、この女性の行為を「良いこと」と言われたのか。ここで「良い」と訳されている言葉は、英語の聖書では「fine」になっているものがある。この後、イエス様は十字架にかけられる。「この時、この瞬間」でなければ、女性はこの行為ができなかった。
私たちは「良いこと」をしたいと願っている。しかし何が良いことなのかわからない。ヒントはその行為が「fine」であるかどうかではないか。
Profile
松隈 協(MATSUKUMA Kanau)
1968年生まれ。関西学院大学神学部、西南学院大学神学部専攻科卒業。教会牧師・幼稚園主事をスタートに、学童保育指導員、梅光女学院中高宗教主任を経て、関西学院高等部宗教主事に就任。日本キリスト教団甲陽園教会牧師兼務。特技はギター弾き語り、曲作り。第12 回赤池町童謡子どもの歌創作曲コンクールでグランプリ受賞。著書『もういいかい』『あなたに逢いたい』(日本キリスト教団出版局)。
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