“その土地らしい”建築はどのように生まれ、今後どこに向かうのか

CULTURE

“その土地らしい”建築はどのように生まれ、今後どこに向かうのか

風情ある建物やまちなみを見たときに“その土地らしさ”を感じたことは、多くの人が経験したことがあるはずです。では、何が“その土地らしさ”を生み出すのでしょう。地域の文化や歴史を研究し、持続可能な建築やまちづくりの実践に活かす山根周先生に、“その土地らしさ”の根幹にあるものや、今後、地域が “その土地らしさ”を維持していくために必要なことを伺いました。

Profile

山根 周(YAMANE Shu)

関西学院大学建築学部 教授。京都大学を卒業後、同大学の大学院工学研究科建築学第二専攻博士課程を修了。2012年に関西学院大学総合政策学部都市政策学科に着任、2022年より現職。建築計画、地域生活空間計画を専門とするほか、本学「ヴォーリズ研究センター」に所属し、ヴォーリズ建築に関する研究にも取り組む。著書に『ムガル都市 イスラーム都市の空間変容』(京都大学学術出版会、2008年)、『シルクロード学研究30 インド洋海域世界における港市の研究 -インド・カッチ地方を中心として-』(シルクロード学研究センター、2008年)などがある。

この記事の要約

  • 歴史的、伝統的にその土地に根づいた空間の構成を研究するのが地域生活空間計画学。
  • “その土地らしさ”はマレーシアのショップハウス、兵庫県の古民家などにも見ることができる。
  • 都市開発が進む中、その土地の“生活空間の型”を見いだすことで豊かな暮らしをめざす。

歴史や伝統を踏まえながら、地域にふさわしい空間を見いだす

“その土地らしさ”を捉えるには、地理学や文化人類学など、さまざまなアプローチがありますが、山根先生は、地域の歴史や文化、生態環境などに基づいて生活空間を読み解き、計画する「地域生活空間計画」をベースとしています。「地域生活空間計画は建築計画学から発展した分野です。近代的な合理性を基礎としながらも、一方で地域に継承される生活文化を読み解き、両者をうまく融合させていくことが、“その土地にふさわしい空間”を考えるうえで重要です」と山根先生は語ります。

「日本における『建築計画学』の源流は明治時代後期にまでさかのぼりますが、学問としての基礎が築かれたのは昭和前期。後に京大教授となる西山夘三先生が、庶民住宅の綿密な調査研究から食事と就寝の空間を分けるべきとする『食寝分離論』を提唱します。その後、第二次大戦後の復興期に、東大の吉武泰水先生が、公営住宅の標準設計の開発において、食寝分離の考えを取り入れ、『食事のできる台所=ダイニング・キッチン』を備えた間取りを提案します。現在、日本で使われている2DK や3LDKといった呼称はこれがもとになっています。吉武先生は『建築計画学』を発展させ、集合住宅や学校、病院などさまざまな施設における機能的な空間づくりに貢献されました。後に西山先生は『建築計画学』の考え方を基礎としながら、地域にふさわしい建築のあり方を示す学問として『地域生活空間計画学』を提唱されました。私の恩師である布野修司先生はこの『地域生活空間計画学』をアジア地域に展開され、私もその研究を継承しつつ、自らの地域での実践に結びつけていく活動をしています」

機能性を主軸に、安全性や経済性などに基づいた効率的な空間のあり方を考える「建築計画学」に対して、「地域生活空間計画」は歴史や人々の営みに寄り添ったものであることが大きな特徴なのだそう。

「建築計画学は、機能的で経済的な建物をつくるためには必須ですが、その考え方だけだと地域の伝統や継承されてきた生活空間に対する視点が抜け落ちてしまうことがあります。効率性だけではなく、先人たちが培ってきた生活文化を継承することで、豊かに暮らせるという側面もあります。とはいえ、昔のものを単に復活させるだけでは不便なことも多いので、地域の伝統的な生活空間の“型”、建築の技術や材料といった要素に、建築計画学で示される合理的な考え方を織り込むことで、その地域に適した新たな空間の“型”を創造することが地域生活空間計画のめざすところです。現在では、さらに景観を構成するものとして、地形や集落空間なども含めて地域の生活空間を総体的に考えていこうという流れがあります」

マレーシアの建築に見る“その土地らしさ”が生まれるプロセス

“その土地らしさ”は、地域の伝統を受け継ぐ以外に、外部からの影響で形成されることもあります。山根先生は南アジアや東南アジアの現地調査で、まちなかの建築様式に共通性があることに着目。特にマレーシアでは、植民地支配の影響を色濃く反映して“その土地らしさ”が上書きされてきたと語ります。

「マレーシアの都市では、店舗併用住居である『ショップハウス』が代表的な建築物として知られています。中でも世界遺産に登録されているマラッカ、ペナンという2つの港町に建つショップハウス群は、それぞれの都市景観を特徴づける建築として有名です。しかし、いずれの土地も、もともとはのどかな漁村だったところで、西欧列強によって交易拠点として都市化が進められました。特にオランダやイギリスが支配していた時代は、比較的平和な時代が続き、さらに中国やインドなどから多くの移民が移り住み、共存しながらまちを築いていったことが、新たな“その土地らしさ”を生み出していく要因になりました」

同じ国に建つショップハウスですが、マラッカとペナンではその建築様式やまちなみに大きな違いが見られます。これは、マレーシアが辿ってきた植民地としての歴史が関係しています。

「マラッカは東洋風と西洋風のまちなみがどちらもあるのが特徴です。マラッカをポルトガルが最初に占領して以降、オランダ、イギリスと支配国が変わっていきました。16世紀初頭にまちの基礎ができ、その後、発展の過程で中国から多くの移民がやってくるようになり、ショップハウスが建てられるようになりました。そしてアジア系の人たちとヨーロッパ系の人たちの住むエリアがはっきり分かれ、まちなみに影響を与えました」

マラッカのショップハウス。1階手前に設けられた共用通路部分に、軒がせり出しているのが特徴。また、各ショップハウスのデザインも異なる

「一方ペナンは、18世紀末にイギリスが進出して以降発展したのですが、この頃にはショップハウスの建て方もシステマチックになってきたことが違いとして挙げられます。また、当時、イギリスはマラッカ、ペナンの後にシンガポールの開発にも着手し、シンガポールの行政官ラッフルズが制定した都市計画制度がのちにペナンにも導入されたことが、マラッカとのまちなみの違いが生まれる要因になりました」

ペナンのショップハウス。1階通路部分に2階部分がせり出すことで軒の代わりとなっている

「マラッカとペナンの現在のまちなみは植民地支配によって生まれた側面がありますが、どこまで歴史をさかのぼって“その土地らしさ”とするかは地域に住む人々が主体となって決めること。私たちは、あくまでそれを見守る立場に過ぎません。しかし、伝統を継承しつつ地域を発展させるにはコミュニティや生活様式を守ることは必須。そこに暮らす人々が過去と断絶せずに進めることが重要であると思います」

神戸市北区の古民家再生プロジェクトで“らしさ”を継続

海外を中心に研究調査を展開している山根先生ですが、近年では国内における“その土地らしさ”と向き合うプロジェクトにも取り組んでいます。2018年にスタートした神戸市北区での古民家再生事業では、築100年以上の茅葺き民家を地域交流や地域医療を担う施設として生まれ変わらせ、新たな“その土地らしさ”を創出しました。

山根先生はアドバイザーとしてプロジェクトに携わり、施設の利用方法を考えるワークショップや県内で再生した古民家の見学会、建物の調査などを行う中で、やがて、この建物が持つ背景も見えてきました。

「私たちが手掛けた古民家は調査の結果、『摂丹型(せったんがた)民家』と呼ばれる形式であることがわかりました。一般的な民家の間取りは、戸口を入ると建物の幅いっぱいに土間が広がっているのですが、摂丹型では土間は片側だけで、それが長手(※)方向に奥まで伸びています」

※縦と横の長さが異なる空間において、長いほうを長手という

山根先生が監修に携わった古民家。右側の土間が奥に続き、左側が居室スペースになっている。山根先生は当時のゼミの学生と再生事業に参加し、学生は改修作業も行った。中村写真工房 中村大輔氏撮影

「また、入母屋(いりもや)造りの妻側(屋根が三角形に見える側)に入口を持ち、屋根の破風(はふ)を強調した造りになっています。これは格式の高い家を示すもので、通常は農家には許可されない形式でしたが、室町時代にこの地を治めていた細川氏が農村の支配を強めるために在地の名主や地侍層に許可したものだったとされます」

破風は屋根の三角形の縁部分のことで、写真で見ると強調されていることがよくわかる。中村写真工房 中村大輔氏撮影

「この再生事業では、そんな由来を持つ建築形式を活かしながら新たな価値を生み出すことをめざしました。特に注力したのが玄関から奥まで抜けられる土間。柱間ごとに学びの場や集いの場として区切り直し、新たな交流が生まれる空間に再構成しました」

改修後、この施設は「ふれあいの里おくっちょ」と名付けられ、2019年に開所しました。現在は地元の医療法人と地域住民が協力しながら運営を行い、書道教室や俳句教室、さまざまなグループ活動の会場などとして、地域の活性化に貢献しています。山根先生は、この建物を地域の中だけでなく、地域外の人にも広く開かれた場として利用できるようにしたことが成功の要因だと語ります。

「再生事業に参加して、具体的なプランが固まるまで、およそ1年の時間を要しました。現在のような多様な使われ方も、実際に開所して地域の皆さんの要望を受け入れる中で広がったものです。古民家の再生は、改修が完了してもその後が続かず閑散とするケースも多く見られます。これは運営している団体の目的だけが前に出てしまうことが一因。誰もが気軽に、さまざまな用途で自由に使えるようにするのが大事だと思います。私たちも地元の方々と情報交換をすることで、行政が古民家再生を支援している背景や、どのような施設が求められているかがわかりました。『ふれあいの里おくっちょ』では地域の魅力を伝える新しい取り組みを積極的に進めています。今後もこういった活動を続け、新たな“その土地らしさ”を生み出していけたらと思います」

これからの都市・生活空間の形成に求められる視点とは?

現在、日本の都市において持続可能なまちづくりを実践するには、“その土地らしさ”は上書きされるべきなのでしょうか、それとも残されるべきなのでしょうか。たとえば、高度経済成長期に進められた大規模ニュータウン開発は、日本における新たな暮らしのあり方を創出しました。郊外で開発が進められ、その土地の暮らしや風景を上書きすることで新たな地域性が生まれ、育まれていきました。しかし、開発のピークを過ぎた現在は住宅の再生を考える必要に迫られ、“ニュータウンらしさ”を上書きするフェーズを迎えようとしています。

「大規模ニュータウンでは現在、高齢化や空き家問題が深刻化しています。今後は、住宅のストックは十分あるので、新たな移住者がこれらをどのように活用し、手を入れて住みこなしていくかが重要になってきます。半世紀以上もの歴史の中で人々の営みが紡がれてきた大規模ニュータウンですが、衰退の危機にある今、持続可能なまちとして活用するなら、都市計画の規制緩和や個人商店などの出店ハードルの引き下げといった取り組みが必須だと思います。生活の利便性を高めることで新たな価値や“その土地らしさ”を生み出し、暮らしたいと思わせるような魅力を創出し、人々を惹きつけることが課題だと思います」

海外や日本での地域生活空間計画の研究を通し、さまざまな地域での“その土地らしさ”を探ってきた山根先生。その経験を今後、さらに豊かな暮らしを実現させるために役立てたいと語ります。

「私の研究では、時代の中で変化していく生活空間において、変化せず維持されていく“型”を見いだすことをテーマにしています。この“型”は、それぞれの土地の気候風土や伝統、文化、歴史などを含んだものといえます。それを理解することで、その土地に合った暮らし方がおのずと感じられるようになると思います。より長く快適に、土地や住まいに愛着をもって暮らすためにも、この“型”の見いだし方を、社会全体で共有できるようになればと思います」

取材対象:山根 周(関西学院大学建築学部 教授)
ライター:伊東 孝晃
運営元:関西学院 広報部
※掲載内容は取材当時のものとなります

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