善きペンギンのたとえ |聖書に聞く #36
トリーベル・クリスティアン関西学院宣教師、学長直属准教授
関西学院のキリスト教関係教員が、聖書の一節を取り上げ、「真に豊かな人生」を生きるヒントをお届けします。
イエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」
ルカの福音書10章37節
先日、小学四年生の長女の授業参観に参加してきました。授業では、いじめられている男の子が問題を起こし、クラスメートに責められるというストーリーについて児童同士が話し合っていました。そのストーリーの最後には、男の子を擁護する女の子が登場します。すると娘の先生が「この女の子のような人を何といいますか?」と尋ねると、児童全員が一斉に「ファースト・ペンギン!」と答えました。
「ペンギン?どういう意味だろう?」と気になり、授業中にもかかわらず思わず携帯で検索してしまいました。社会の中で新しいことに挑戦し、リスクを冒して誰もやっていないことを最初に行う人を、危険が潜む海へ勇気を出して一番に飛び込むペンギンになぞらえてファースト・ペンギンと呼ぶのだそうです。ストーリーの中の女の子は、自分もいじめられるかもしれないリスクを承知でクラスメートをかばい、話し合いの流れを大きく変えることができたファースト・ペンギンだったのです。
その時、私はファースト・ペンギンのような人は他にもどんな人がいるのだろうかと考えました。たとえば聖書の物語やイエスのたとえ話にも、同じような人物が登場するのかもしれません。そこで私が最初に思い浮かべたのは、「善きサマリア人のたとえ」です。隣人を自分のように愛することの意味についてのイエスのたとえ話です。エルサレムからエリコへ向かう途中、強盗に襲われて傷つき道端に倒れている男を、ユダヤ教の祭司とレビ人は見て見ぬふりをして通り過ぎます。しかし、当時ユダヤ人と敵対していたサマリア人が男を助けるストーリーです。
祭司とレビ人には助けない理由があったのでしょう。自分も襲われるのではないかと恐れたのかもしれませんし、神聖な神殿での務めを担当していた二人は、死体に触れて不浄になることを避けたかったのかもしれません。祭司の後ろを歩いていたレビ人は、祭司が助けなかったので、自分も助けなくてよいと思ったのかもしれません。常識、伝統、宗教、世間の目など、彼らを思い切った行動から遠ざける要因があったのです。しかしサマリア人は、リスクを冒してまで仲間でもないユダヤ人を助けました。
イエスは最後に「行って、あなたも同じようにしなさい」と言います。自分の損得や都合、好き嫌いを脇に置き、善を選んだサマリア人は、まさに最初に海へ飛び込んだファースト・ペンギンの模範です。そして2000年もの間、数多くの人々が善きサマリア人にインスピレーションを受け、自らファースト・ペンギンとなりました。私たちには、正義のために思い切った行動をとる勇気を与えてくれるヒーローやヒロインの存在が必要なのかもしれません。海へ飛び込むペンギンの姿を見ることで、私たちも一歩踏み出す力を得るのだと思います。完璧にはできないのかもしれません。できるところから、できる勇気を。私も、誰かのためにペンギンになりたいです。
Profile
トリーベル・クリスティアン(TRIEBEL Christian)
1982年横浜生まれ、ドイツ人。東京基督教大学(BA神学、2005)、Claremont Graduate University(MA神学・宗教哲学、2009)、King’s College London(PhD神学、2016)。2017年より関西学院大学神学部助教。現在、関西学院宣教師(神戸三田キャンパス)、学長直属准教授。
運営元:関西学院 広報部