
デフリンピックを機に、その意味や障がい者固有の文化について考える|デフリンピックが私たちに語ること #1
2025年11月15日から26日にかけて「東京2025デフリンピック」が開催されました。日本で初開催のデフリンピックは、私たちに何を語りかけたのでしょう。そこで「月と窓」ではデフリンピックを軸に、3回にわたって特集記事を連載します。初回となる今回は、デフリンピック開催の背景や、障がいを持つ人たち独自の文化などについて、障がい者ソーシャルワークなどを専門とし、関西学院大学手話言語研究センター長も務める松岡克尚先生に話を伺いました。

Profile
松岡 克尚(MATSUOKA Katsuhisa)
関西学院大学人間福祉学部社会福祉学科教授。関西学院大学大学院社会学研究科社会福祉学専攻修了。博士(社会福祉学)。四国学院大学助教授などを経て、2011年4月より現職。2023年から関西学院大学手話言語研究センター長も務める。専門は障がい者ソーシャルワークや障がい者の社会モデル、インペアメント文化など。著書に『ソーシャルワークにおけるネットワーク概念とネットワーク・アプローチ』(関西学院大学出版会、2016年)、『障害者(身体障害者)とその家族への相談援助演習』(共著、中央法規出版、2015年)などがある。
この記事の要約
- デフリンピックは主に手話を第一言語にする人たちのスポーツ大会。
- 歴史的な背景や理念が違うことからデフリンピックはパラリンピックに統合されなかった。
- 文化的なアプローチから障がいを捉える「インペアメント文化」という考え方がある。
- インペアメント文化を知ることは自分の文化や社会を見つめ直すきっかけにもなる。
デフリンピックは奪われた言語を取り戻す場として始まった
デフリンピックのデフ(deaf)は、日本語で“ろう”という意味です。デフリンピックは、「デフ+オリンピック」で耳が聞こえない人たちのスポーツ大会だろうと推測できますが、それ以上となるとわからない人が多いのではないでしょうか。そこでまず松岡先生に、デフリンピックとは何か、そして、身体障がい者アスリートを対象としたパラリンピックとどう違うのかを教えていただきました。
「聴力は両耳で聞こえる一番小さな音が何デシベル(dB)かによって表すのですが、医学的には100dB以上を“全ろう”といいます。ただ、デシベルに関係なく、手話を第一言語にする人や、ろう文化をアイデンティティに置く人のことも“ろう者”と呼びます。日本語ではどちらも“ろう”なので区別がつきませんが、英語では医学的な“ろう”を“deaf”、手話を第一言語、あるいはろう文化にアイデンティティを有する人“the Deaf”と記します。いわば言語・文化的なカテゴリーとなります。デフリンピック、そしてこのあとの話は“the Deaf”のほうの“デフ”が中心、と理解していただければと思います」
ちなみに、医学的な区分であるデシベルの目安は、25dBは軽度難聴で小さな音が聞こえにくく、40dB以上は中等度難聴で、普通の会話が聞きづらいなど日常生活に支障をきたすレベル。70dB以上は身体障害者福祉法によって聴覚障がい者の認定を受けられ、100dBは地下鉄構内の音や耳元の大きな声でも聞こえにくいそうです。聞こえにくい、聞こえないはあるものの運動能力的には聞こえる人と差がなく、また、スポーツには聴覚に頼らないものもあるので、デフの人たちは19世紀の終わり頃から聞こえる人たちに混ざってスポーツを楽しんでいたのだそう。 「デフの人たちは手話を用いて生活してきましたが、1880年にイタリアのミラノで開かれた国際ろう教育会議で、学校での手話の使用を禁止し、口話を奨励する宣言が可決されました。聞こえない人も、口話を勉強して聞こえる人と同じように話せるようになるべきだ、それこそがろう教育だという考えを国際的に打ち出したのです。以降、デフの人たちは公の場で手話を使えなくなりました。そこで、せめてスポーツの場ではデフ同士で手話を使って楽しもうと、1924年にフランスのパリでスポーツ大会が開催されたのです。デフという言葉を入れると『手話を使っている』とわかってしまうため、国際サイレントゲームズ(International Silent Games)と表現したのです」。つまりデフリンピックは、奪われた手話という言語を取り戻す場として位置づけられたことが始まりといえます。なお、ミラノでの宣言については、2010年に国際ろう教育会議理事会が正式にそれを「拒否」し、深い遺憾の意を表明しています。
パラリンピックとデフリンピックは歴史的な背景や理念が異なる
一方、パラリンピックはどのように始まったのでしょうか。松岡先生によると、もともとはリハビリテーションの一環だったと言います。「デフリンピックとパラリンピックは、歴史的な背景や理念が異なります。一時期、デフリンピックをパラリンピックに統合しようとする動きもありました。ですが、理念の違いに加えて、デフの人たちの抵抗感、手話通訳の手配といった問題などがあり、うまくいきませんでした」
そのような経緯から、デフリンピックはパラリンピックと統合されることなく、今も単独で開催され続けています。現在、デフリンピックには、補聴器などを外した状態で聞こえる音が55dBを超えることなど、いくつかの条件を満たした選手が参加できます。「55dBは聞き取りにくいものの、補聴器があれば日常生活でも何とかなるレベルなので、手話を使わない人もいます」と松岡先生。そうなると、手話を第一言語にする人という本来のデフの定義から外れますが、「できるだけ門戸を広くして、たくさんの人を受け入れるようになっています。なお、競技をする際には補聴器や人工内耳を外し、同じ状況・条件のもとで行うことがルールとして定められています」
なお、松岡先生によると、聞こえにくい、聞こえない人たちが競技するため、デフリンピックならではの工夫があると言います。たとえば、陸上のトラック競技ではランプの光でスタートを知らせたり、サッカーでは口笛と同時に旗を振ったりするなど、視覚情報による提供を重視しています。聞こえなくても伝わるようになっているのです。それに比べると、私たちが生活する社会は、聞こえることを前提に設計・運用されていると指摘します。
「電車の遅延情報をはじめ、情報というものは、テレビ、ラジオなどでも、基本的に視覚以上に音声で届けられることが中心です。その意味で、私たちの社会は、聞こえることが当たり前という概念に支配されているといえます。そうなると、“聞こえない人たちは劣っている”という差別や偏見といったオーディズム(Audism)が生まれてしまうでしょう。デフリンピックでは、視覚情報を重視したルールを用いることで、オーディズムとは別の社会のあり方を示すことができます。違う文化を尊重し、そこから自分の文化を見つめ直すことを文化的謙虚さ(Cultural Humility)といいますが、デフリンピックやパラリンピックには、オーディズムに慣れてしまっている感覚や自分の文化の見つめ直しを喚起する可能性があるのではないかと考えています」
障がいがある人が生む“文化”が社会を見つめ直すきっかけに
聴覚障がいだけでなく、そのほかの障がいがある人たちにも、独自の文化があるといいます。松岡先生は、障がいを文化的なアプローチから捉え直し、障がいごとの個別の文化を「インペアメント文化」と名づけて研究しています。
「インペアメント(impairment)とは、目が見えない、耳が聞こえない、幻聴が聞こえる、指が一本多いあるいは少ないなど、身体構造上の制約や機能の制限のことです。インペアメントを個人の問題と捉えて治療やリハビリで解決しようとする考え方を“医学モデル”と呼びます。一方、インペアメントのある人たちが不利益を被っているのは、社会のあり方の問題と捉えて社会そのものを変えようとする考え方が“社会モデル”です。なお、社会モデルでは、社会が十分な配慮や仕組みを欠いていることによって、インペアメントのある人たちに生じる不利益や制約をディスアビリティ(disability)と呼びます」
松岡先生は、ここまで説明すると「とはいえ、どんなにディスアビリティをなくしても、インペアメントは残ると思いませんか?」と問いを投げかけました。
たしかに、車いすが通りやすいよう歩道を整備したり、耳の聞こえない人のために視覚情報を充実させたりすることは有効な手立てですが、だからといってインペアメントがあるという事実そのものがなくなる訳ではなく、社会モデルに従いディスアビリティの解消をめざすことによって、インペアメントという存在が、かえって見えづらくなる可能性があります。逆にインペアメントだけに焦点を当てると医学モデルに回収されてしまいがちになります。このような背景を受けて、1990年代終盤から障がいを文化的な視点で捉える新たなアプローチが生まれたと松岡先生は話しました。何を障がいと見なすのかは文化的な背景によって左右され、また逆に障がいが文化の在り方に影響を及ぼすこともありえます。こうした考え方を文化的アプローチと呼ぶそうです。それは、芸術やスポーツなどと障がいとの関係をリハビリテーションの観点からではなく、文化的な視点で捉え直そうとする視点ということです。
「従来の医学モデルでも社会モデルでもなく(社会モデルの影響を受けていますが)、インペアメントを文化的なアプローチから捉え直すことで生まれてきたのがインペアメント文化という考え方です。インペアメントがある身体でもって環境に適応しようとする中で、独自のルールや習慣が生まれてきます。それらは文化と呼べるのではないでしょうか。そうであれば、それぞれのインペアメントには、それぞれの文化があるし、五体満足の人には五体満足の文化があると私は考えています」
たとえば、耳の聞こえにくい人が冷蔵庫や電子レンジのドアを閉める際、ガチャンと大きな音を立てるのは、きちんと閉まったかどうかを音の衝撃で判断するからだと言います。また、誰の話をしているかを示すために、手話では人を指差すことがあります。大きな音でドアを閉めることも指差しも、耳が聞こえる人にとっては失礼だと感じるかもしれませんが、聞こえない人にとっては当たり前の習慣であり、あるいは必要な生活の知恵であり、生きていくための手段なのです。目の見えない人が、触覚と臭覚を頼って外を歩くのもまた同じことがいえそうです。ちなみに全盲の方も帰宅すると部屋の明かりをつけるという習慣があります。ただ本来暗くても平気なのにあえてそうするのは、留守ではなく在宅していることを知らせるためだと言います。
「外国の文化に目を向けると、私たち日本人と異なる文化や風習がありますが、それらを理解はできなくても尊重しなければならないと思いますよね。同様に、障がいをがある人たちは違う文化を持つ人たちだと考えると、その習慣などを理解できなくても尊重しようと思ってもらえるかもしれません。あえてインペアメントに“文化”という言葉をつなげたのは、そうした狙いもあるのです。私たちの社会は、外国の文化や地域の文化、そしてインペアメント文化も含めて実に多くの文化で構成されているのではないでしょうか」
松岡先生は、インペアメントがある人にインタビューを行い、その人が普段の生活の中で意識、無意識にかかわらず工夫していること、その人たちの文化を聞き集めているそうです。デフリンピックやパラリンピックはもちろん、一人ひとりの文化を通して見えてくることがあると話しました。
「テレビドラマでもたびたび取り上げられましたが、『個人的なことは政治的なこと(The personal is political)』という言葉があります。もともとはフェミニズム運動の中で生まれたもので、女性が苦しんでいるのは、ただ個人的な問題ではなく、社会構造や政治が反映しているという意味が込められています。私は、それを応用して『個人的なことは社会的なこと(The personal is social)』と表現してもよいと思っています。障がいは個人の問題と思われがちですが、実は社会的な問題でもあるのだと。障がいの捉え方は多様であることを発信しつつ、さらには社会の新しい常識、判断基準をつくっていきたいと考えています」
取材対象:松岡 克尚(関西学院大学 人間福祉学部 社会福祉学科 教授)
ライター:ほんま あき
運営元:関西学院 広報部
※掲載内容は取材当時のものとなります