WELL-BEING

「極めて良い?」世界から「極めて良い!」世界に向けて|聖書に聞く #6

井上 智関西学院宗教センター宗教主事、神学部助授

関西学院のキリスト教関係教員が、聖書の一節を取り上げ、「真に豊かな人生」を生きるヒントをお届けします。

神はお造りになったすべてのものを御覧になった。「見よ、それは極めて良かった」

創世記 1章31節

私は関西生まれの関西育ち。しかし、大学を卒業後、牧師として14年間岩手県の教会に赴任しておりました。岩手にいるのだから、岩手が舞台の小説を読んでみようと思い、高橋克彦著『炎立つ』を読みました。この小説に記されるのは、大和朝廷から滅ぼされる奥州藤原氏の物語。いわば、滅ぼされる側の視点にたった小説です。この小説を読み、ふと思いました。「坂上田村麻呂、蝦夷征討」と日本史で学びますが、実は東北からの視点にたつと、蝦夷は、東北は坂上田村麻呂に“滅ぼされた”ことになるのだと。

どうして同じ出来事でも見方が異なるのでしょうか。それは、その人の立場や状況によって変化するからと言えるのではないでしょうか。そして、その変化が大きくなり、お互いが、お互いの正しさを主張することによって、対立が生まれ、対立がひどくなると戦争へと繋がっていくのです。しかし、正しさは、絶対的なものではありません。冒頭でも紹介したように、正しさは「見方」や「立場」によって、変化するものともいえるからです。

聖書は語ります「神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった」(創世記1:31)と。神様が造られたこの世界の最初。それは極めて良かったのだと聖書は語っているのです。

今、私たちの周りを見てみると、「極めて良い」と言えるでしょうか。戦争が起こっている、災害が起こっている、軍備拡張の動きがある、環境破壊が行われている、そして、この社会に息苦しさを感じ、個人が大切にされているとは思えない状況がある…。世界の初めは「極めて良かった」。しかし、今は極めて良いとは言えない状況にあると私には思えてしまうのです。

私たちは改めて神様が造られたこの世界の最初の状態。「極めて良かった」状態に戻る努力を今こそしなければならないのではないでしょうか。その最初の一歩として、お互いを「良い」と思うことから始めたいと思うのです。「お前の語っていることは理想だ」。そんな声も聞こえてきそうです。しかし、理想を語ることをやめてしまっては希望がありません。違いを乗り越え、互いに尊重し合うこと、お互いを「良い存在」だと思うこと。このことを通して、神様が造られた「極めて良かった」と言われた世界を再構築することができるのではないでしょうか。その一歩を、小さな一歩かもしれませんが、皆さんと一緒に始めたいと心から願います。

Profile

井上 智(INOUE Satoshi)

関西学院宗教センター宗教主事、関西学院大学神学部助授。神戸市出身。2002 年関西学院大学大学院神学研究科修了、2005 年博士課程後期課程満期退学。2002 年より岩手県・日本キリスト教団日詰教会主任担任教師、付属幼稚園でのキリスト教保育に 14 年間携わる。2016 年度より関西学院大学神学部教員(任期制教員。旧約聖書学担当)。2019年度より現職、現在に至る。

運営元:関西学院 広報部

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