みこころのままに―Let it be|聖書に聞く #8
福島 旭中学部宗教主事・教諭、大学兼任講師、関西学院会館宗教主事
関西学院のキリスト教関係教員が、聖書の一節を取り上げ、「真に豊かな人生」を生きるヒントをお届けします。
父よ、御心なら、この杯を私から取りのけてください。しかし、私の願いではなく、御心のままに行ってください。
ルカによる福音書22章42節
「御心」はキリスト教では「みこころ」と読みます。ではこの「みこころ」とは何でしょうか? 「みこころ」とは神の心、神の意志、神の思いという意味ですが、何回考えても難解です。しかし、この語には人生を考えるヒントがあるのではと、ふと思います。
イエスの生涯を描くルカによる福音書の初めと終わりにこの「みこころ」が現れています。
イエスの母となるマリアが結婚前に天使ガブリエルによって受胎を告知された場面で、自分の身に起こった妊娠という出来事に「どうして、そのようなことがありえましょうか」と叫びます。予期すらしていなかった現実に嘆きつつも気を落ち着かせ、最後には「お言葉通り、この身になりますように」と祈ります。
「マリアは言った。『私は主の仕え女です。お言葉どおり、この身になりますように。』」(ルカによる福音書1章 38節)。英語では“Let it be to me according to your word.”と訳されています。この“Let it be”は「みこころのままに」とも訳されます。
「みこころのままに」とは、「なるようになれ」と自暴自棄になったり、「どうなってもいい」と投げ遣りになったりするのではなく、また「人事を尽くして天命にまかす」といったやるだけのことはやったのであとは運命にゆだねるということでもありません。マリアは突然、自分の人生や生活の中に起こった出来事にもうどうすることもできなかったのです。「みこころのままに」とは、これから将来、どのようになろうとも、それをありのままに受け止めるだけの力を与えてくださいという決意の祈りに他なりません。これからの人生に対する絶対的信頼とも言えるでしょう。
他方、母の胎にいたときにささげられた母の祈りと同じ「みこころ」をイエス自身が祈る場面があります。イエスにとって、この世の人生の最後の夜、ゲツセマネという名前の園で孤独の中でささげられた祈りです。
「父よ、御心なら、この杯を私から取りのけてください。しかし、私の願いではなく、御心のままに行ってください。」(ルカによる福音書22章42節)。
「杯」は磔刑や受難を表すと考えられますが、イエスはそこから逃げ出したい人間的な感情を吐露しつつも、最終的には「みこころのままに」という言葉で祈りを締めくくります。母マリアと子イエスの思いは「みこころのままに」という祈りでつながります。
The Beatlesのラスト・シングル『Let It Be』を作詞したポール・マッカートニーはバンドが解散する予感の中でこの曲を書いたと言われています。ポールが14歳の頃に亡くなった母マリアが夢で囁いたとされる言葉が歌詞に引用されます。「Let it be(みこころのままに)」とは、あるがままにこれからの自分たちの歩みを受け入れたいという祈りの言葉でしょう。
私たちの日常は不可解で不愉快で不思議な出来事の連続です。過去を振り返り、現在を見つめて、将来を「みこころのままに」受け容れていきたいという祈りは、面白くて楽しくて驚きに満ちた出来事を日常で感じていくためのヒントであると、聖書は告げているのではないでしょうか。
Profile
福島 旭(FUKUSHIMA Akira)
関西学院大学大学院神学研究科博士課程前期課程を修了後、日本キリスト教団益田教会、広島南部教会に牧師として遣わされる。その間、フレーザー幼稚園園長、広島女学院高等学校講師、ホスピス・ボランティア研究会代表等を務める。現在、関西学院中学部宗教主事・教諭、関西学院大学兼任講師、関西学院会館宗教主事。キリスト教学校教育同盟教育研究全国中央委員ならびに教職員後継者養成部会全国委員長。保護司。FMラジオ『8時だヨ!神さま仏さま』のパーソナリティ。著書は『GOOD NEWS~新約聖書』、『EXODUS~旧約聖書』他。
運営元:関西学院 広報部