VR研究者に聞いてみる、実世界は果たして「リアル」なのか?|当たり前を考える #1

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VR研究者に聞いてみる、実世界は果たして「リアル」なのか?|当たり前を考える #1

普段は深く考えることの少ない基本的な物事について、専門家の視点や知見に触れることであらためて考えてみよう、というのがこの「当たり前を考える」シリーズです。第1回は、VR(バーチャル・リアリティ)を研究する井村誠孝先生のお話を通じて、人はどのような状況になることでリアルだと感じるのか、そもそも「リアル」とは何かを考察。実際にVRを体験した感想も交えてお伝えします。

今回お話をうかがった井村誠孝先生。投影されているのは学生と制作したVRシミュレーション

Profile

井村 誠孝(IMURA Masataka)

関西学院大学 工学部 知能・機械工学課程 教授。修士(理学・工学)、博士(工学)。研究分野は、VR、ヒューマンコンピュータインタラクション、生体医工学。VR技術を基盤として、コンピュータをはじめとする人工物を使う側である人間の特性に着目したインターフェースを構築し、人や社会の知的活動を活性化・支援する研究を幅広く展開。コンピュータやネットワークの中に存在するバーチャル世界と実世界との間の垣根を技術の力で取り払うことにより、高度に情報化された生活がより豊かで楽しいものになることをめざしている。

この記事の要約

  • リアルは情報×伝達手段×経験の掛け算で再現され、人により違う。
  • いくら技術が進んでも、リアルが個人の中にあることに変わりはない。
  • VRでの経験が、他者への理解や生きやすい世界の構築にもつながる。

リアルの本質的な部分を再現し、存在するように感じさせるのがVR。

——そもそもVRも、なんとなくわかった気でいる言葉なんですけど、どんなものを指すのでしょうか。よく「仮想現実」と訳されていますが……。

確かに「virtual(バーチャル)」は「仮想」とも訳されますが、辞書には最初に「事実上の」「実質的な」などと載っていて、「実体・事実ではないが『本質』を示すもの」といった表現もされています。つまりVRは、リアルの本質的な部分を再現して、目の前にない物事をあたかも存在するように感じさせる工学的技術の集合だと言えるでしょう。

——仮想=ニセモノ、みたいなイメージもあったのですが、本質となるエッセンスを抽出している、みたいな意味合いだったんですね。VRは社会でどこまで実用されているんですか。

ご存じのとおり、アミューズメントパークやコンピュータゲームなどエンターテインメントの方面で多用されていますが、シミュレーションや訓練などに使われるケースも多いです。鉄道会社では、失敗すれば施設全体に影響を与えるため実地練習がしにくい架線交換の訓練に活用されたりしています。

また、デザインのプレビューにも有効です。たとえば、自動車のモックアップ(模型)をつくるのは、かなりの労力が必要です。しかし、VRならその労力を大幅に減らせますし、色変更なども瞬時に行えるうえ、乗車したときの印象などもリアルに伝えられます。

——自ら体験する感覚が、ただ画像を見るのとは違うわけですね。

実世界の情報を適切に再現し、感覚器に入力するのがVRの技術。

——VR上の物事をリアルに感じさせるためには、どうすればいいんですか。

私たちは実世界の情報を目、耳、手などの感覚器を通じて認識しているので、まずは感覚器に与える情報を適切に再現し、正しく伝える必要があります。つまりリアルと同じだけの情報を感覚器にそのまま入力できれば、リアルとバーチャルの区別がつかなくなる、究極のVRが実現できる可能性もありますが、まだまだ難しいのが現状です。そもそも何かを身につける時点でVRだとわかっちゃいますし、究極とは言えないでしょう。

——確かにVRといえば、ゴーグルのようなものを装着して見るイメージがあります。

視覚の場合はそうですね。最近では映画を見ても、どこがCGでどこが実写かわからないぐらいになっているので、情報の再現率はほぼ100%だと言えますが、それをリアルに感じるためにはHMD(ヘッドマウントディスプレイ)などを装着しなければいけません。装置を身につけず、空間に立体像を現そうとしても、現在の技術だと特別な機器を準備したり、霧などを出して投影したりする必要があります。

左のヘッドマウントディスプレイを装着。VR世界では、右のコントローラーを手にしてバーチャルな物体を操作します

——何もない空間に表示させるのは難しいんですね。聴覚の場合はどうですか。

五感のなかで最も進んでいるのが聴覚で、視覚はその次です。忠実に録音さえすれば同じレベルで提示できますし、ヘッドホンなしでも、スピーカーを並べて再現する技術も整っているので、生音と録音との区別はほぼつかないでしょう。

——装置を身につけなくていい分、進んでいると。聴覚、視覚の次はなんでしょう。

触覚ですね。物を触ったときの力の感覚も含めた力触覚は、デバイスを持つことで、特定の状況ではある程度、再現できます。しかし一つのデバイスでどんな触感も再現する、たとえばザラザラの質感とツルツルの質感を与えるのは難しい。また、同じものでも、触り方や持ち方によって触感が変わるのは、視覚や聴覚にない難しさです。

「スマートフォンの画面ボタンを操作したときの振動はVRなのかなど、VRの定義は難しい」と井村先生

残る嗅覚や味覚は、鼻や口に化学物質を送り込まないといけない時点でハードルが高いです。

——しかも味って、においとセットで感じたりもしますもんね。

そうなんですよ。我々は一つの感覚だけで何かを判断しているわけじゃありません。とくに味覚嗅覚は完全に相互作用している。ワイン醸造学を専攻しているフランスの学生でも、白ワインを着色すれば赤ワインと勘違いするという実験もありました。

——そんな簡単に騙されるんですね! そういえば、かき氷のシロップも、全部同じ味ですし。

逆に、味覚の再現性がそんなに高くなくても、視覚で騙せるとも言えます。そういうコントロールしやすい感覚を使って、コントロールしにくい感覚を操作することも可能というわけです。多くの場合、複数の感覚をミックスさせる必要がある。高級なステーキを食べるVRを実現させるには、視覚も聴覚も力触覚も嗅覚も味覚も、すべてフォローしないといけないわけです。まぁ本物と区別がつかないレベルにならなくても、安価なお肉を美味しく食べられたら、それで“勝ち”なんですけどね。

——充分です(笑)。何を目的にするかですよね。

いずれにせよ、感覚器から入力された情報を脳が解釈する必要がある。与える情報のクオリティと、伝達手段のクオリティに、自分の経験を掛け合わせて、リアルかリアルじゃないかを判断することになるんです。

——リアルかどうか判断するには、元のリアルを知っている必要がありますもんね。

VRをリアルに感じるためにも、経験が大事になってくるわけです。

自分の人生以外の体験を可能にしてくれるVRは、他者理解にも有効。

——井村先生が手がけられているVR研究についても教えてください。

一例として、インスタントコーヒーをつくるVRを体験していただきましょうか。まずは僕がHMDを装着し、練習モードでお手本を見せますね。見えている映像をスクリーンに投影します。

——おおっ! ちゃんとお身体の動き通りに、再現されていますね。瓶の蓋を外し、カップにスプーンで粉を入れて、ポットのお湯を注ぐと。これならできそうです!

本編はカップやコーヒーが棚の下に隠れているので、それを取りだして時間制限内に入れてみてください。

——まずはHMDを装着して……目の前が別の部屋になりました! スタートボタンも指で押せますね……棚を開くと……あ、コーヒー瓶です。台の上に置いて……カップも見つけました! これも台の上に……って、あれ!? 出したコーヒー瓶がなくなってる! 棚の中? もう一度取りだして……って、今度はカップがない! あああ、そうこうしているうちにタイムオーバーに! なんで!?

筆者もVRを体験。コントローラーはすぐに扱えるようになったものの、あるはずのモノがなくてパニック!(撮影時のみマスクをはずしています)

実はこれ、コーヒーを入れるゲームに見せかけた、認知症の体験VRなんですよ。自分が思っていることと、実際の環境が食い違っている状況が、認知症の方の混乱を招いているので、それを体験していただこうと。健常者の場合、自分の記憶を変えることはできませんが、バーチャルな環境なら変えることができますからね。

——ものすごくパニックになりました……。体験してみると、「こんなに大変だったのか!」と実感できますね。

認知症の再現は、兵庫県にある三田市社会福祉協議会と協働している取り組みですが、ほかにも兵庫医科大学と一緒に、視覚疾患の再現にも取り組んでいます。診断に役立てることはもちろん、患者さんの頭の中にしかなかったものを外在化すれば、その体験もできるでしょう。他人を理解するツールとしてVRを使おうというのが、私の研究における視点の一つでもあります。VRは自分の人生以外の体験を可能にしてくれますからね。

——普段通りの自分ではできない経験ができますし、経験することが理解につながりますものね。

実世界が選択肢の一つになれば、生きやすくなる人も多いはず。

——今後、VRの技術が発展していくと、リアルの捉え方も変わっていきそうな気がするんですが、どうなのでしょうか。

リアルの定義が、そもそも難しいですよね。客観的な実世界は確かに存在していますが、個人にとっては、入ってきた情報を脳が主観的に再構築したものがリアルなのだと思います。つまり今の僕にとっては、この部屋の中のことがリアルのすべてなわけで。もしこの瞬間に建物の外壁が真っ青に塗り替えられていても、現段階ではわからないし、それは僕のリアルの外にある。今後どう社会が変わっても、人間がこの形状でいる限り、結局リアルが一人ひとりの中にあるのは変わらないと思います。

——言われてみれば、そうですね。実世界=リアルだと思いがちですが、そもそも他人と同じように捉えられているわけでもないですし。

実際、現実世界よりもインターネットの世界にリアルを感じている人もいます。たとえば不登校の子供がいるとして、リアルだと代替手段が少ないですけど、バーチャル上に学べる世界が別にあるなら、そっちで学びを得ても個人的にはいいと思うんです。しかもVRなら一つの世界じゃなく、それぞれに合ったいくつもの世界を提供できるんですから。

メタバース的な世界に軸足を置いた学習で、学校の機能の一つである社会的な価値観の醸成が達成されるかは保証できないし、実験のしようもありません。でも、選択肢としてはあってもいいんじゃないかと。

——実世界に適応できなければ居場所がない世の中より、よっぽど自由な気がします。

VR研究において、リアルとの境界がゼロになることも一つの目標ですが、より大切なのはリアルで体験できない価値をもたらすことだと思うんです。見えなかったものが見えるようになったり、時間や空間を超えたりと、さまざまな価値観が共存するメタバースがいくつもできて、それぞれを認めることができる社会になれば、生きやすくなる人も増えるのではないでしょうか。

——真に豊かな人生を送るための選択肢が増えると考えれば、気も楽になりますし。これから行き詰まることがあったとしても、実世界に固執するばかりが人生じゃないと思えれば、閉塞感を打破できそうな気がします。貴重なお話と体験を、ありがとうございました!

取材対象:井村 誠孝(関西学院大学 工学部 知能・機械工学課程 教授)
ライター:三浦 彩
運営元:関西学院 広報室