CAREER

人生の節目ごとに、道行きを照らしてくれた恩師の言葉|人生を豊かにした出会い #11

松井 学洋教育学部 准教授

私たちの人生は出会いにあふれています。みなさんは、どんな出会いが記憶に残っていますか? ここでは「人生を豊かにした出会い」をテーマに、関西学院の研究者のエピソードを紹介します。彼らの出会いや体験から“豊かさ”について考えてみませんか?

私の人生の選択に大きな影響を与えてくれたのは、神戸大学医学部保健学科で看護学を学んでいた頃の恩師である高田哲先生です。すでに退官され神戸大学名誉教授となられていますが、今なお小児神経科医として総合療育センターなどで診療を続けておられる闊達な方です。そんな先生に私は、「看護師ではなく小学校の先生になりたいので、教育学部に転入できますか?」と相談に行きました。

というのも私は当時、神戸大学児童文化研究会(どうけん)というサークル活動に夢中で、また私自身が高校3年生のときに不登校を経験したこともあり、「保健室で働く養護教諭や小学校の先生になりたい」と考えるようになっていました。そんな私に先生は、「松井くん、健康な子どもはいつでも見れるよ。 せっかく医療や障害について勉強してきたんだから、そういうことを必要にしている子どもと関わったら?」と諭してくれました。ともすれば目の前のことに夢中になりがちな私でしたが、その言葉に自分の考えを見直し、先生のゼミに入ることにしました。

高田先生のゼミの特徴は、障害のある子どもとその家族の支援に関わるさまざまなフィールドがあることでした。例えば障害を持つリスクが高い1500グラム未満で生まれた極低出生体重児をフォローする親子教室や、発達障害のある子どもを対象とした支援教室を運営されていて、学生を積極的に関わらせてくれたんです。私も大学4年生から院生時代にかけて、そうした活動に密に携わることができました。

その後、私は看護師として医療福祉センターや特別支援学校で、主に医療的ケアを必要とする重症心身障害児の看護で臨床経験を積み、その後大学教員となりました。大学教員になったきっかけも、「いやいや松井くん、障害を持っている子どもを見るのなら、医療的ケアや肢体不自由だけじゃなく知的障害や発達障害も全部見れないと」という高田先生の一言がきっかけです。そうでなければ、そのまま重症児の医療的ケアの道を突き詰めていたかもしれません。そう考えると、私の人生の岐路には常に高田先生の存在がありました。

また私は現在、極端な不器用さが特徴である発達性協調運動障害を持つ子どもとその家族を対象とした支援教室『ハロハロ』と、HSC(Highly Sensitive Child)と呼ばれる人一倍敏感な子どもたちの勉強会を主宰しています。親子教室などを運営していた高田先生との出会いがなければ、こうした地域支援活動を運営するような自分にもならなかっただろうなと思います。

妻と共に結婚の報告に伺ったときも、「本当に松井くんでいいの? 返品不可だよ!」と先生は朗らかに祝福してくださいました。今なお相談に乗っていただくことの多い、すばらしい恩師です。

Profile

松井 学洋(MATSUI Gakuyo)

2003年神戸大学医学部保健学科看護学専攻卒業。同大学院で博士号(保健学)を取得。幼少期に自身がHSC(Highly Sensitive Child)と呼ばれる人一倍敏感な子どもの特性を持っていたことなどから障害者支援に関心を持つ。養護学校、医療福祉センター、神戸大学医学部保健学科地域連携センターなどでの勤務を経て大学教員に。病気や障害のある子どもと家族の支援をテーマに、支援者教育にも取り組む。2018年より関西学院大学教育学部助教、2021年より准教授。

運営元:関西学院 広報部

この記事が気になったら、
感想と共にシェアください

  • X(Twitter)
  • Facebook
  • LINE
  • URLをコピー