あなたは幸せですか? 幸福を形づくるものの正体
デジタル化の波に乗って膨大な知識を簡単に得ることができる一方、過度な情報の吸収で心身のバランスを崩す人も増えていると聞きます。日常生活を脅かす不安要素はあちこちに転がっているといえるのではないでしょうか。そんな日々の中、“幸せ”は、どのような形をしていて、どのように感じ、得ることができるのでしょうか。比較文化心理学の枠組みで、“幸せ”について研究する一言英文先生に、話をお聞きしました。
Profile
一言 英文(HITOKOTO Hidefumi)
関西学院大学文学部総合心理科学科准教授。関西学院大学文学部卒業後、同大学大学院文学研究科にて心理学専攻博士課程を修了。公益社団法人国際経済労働研究所準研究員、佐藤学園大阪バイオメディカル専門学校常任講師、ミシガン大学心理学部客員研究員、京都大学 こころの未来研究センター特定助教、福岡大学人文学部講師等を経て、2020年より現職。日本感情心理学会、日本心理学会会員。
この記事の要約
- 比較文化心理学によってさまざまな形の幸福が見えてくる。
- 家族やコミューンのつながりが協調的幸福感を生み出す。
- 現代の情報化社会には利便性と裏腹に幸福を遠ざける要素がある。
比較文化心理学が映し出す“幸せ”の概念
家族との暮らしや仕事・学びへの情熱、富や名声の獲得など、人間の幸福感にはさまざまな種類が存在します。幸福感の定義は心のあり方や人間関係、周囲の環境で変化し、国や人種によってさらに多様性を帯びてきます。一言先生が研究の主軸とする比較文化心理学は、異なる社会や文化、民族性などを比較して、人間同士の共通性や深層心理を探ることを目的としています。
日米における感情の比較から研究を開始した一言先生は、そこから文化の違いがウェルビーイングや幸せの捉え方の違いとして現れるという概念にたどり着きました。
「幸福感の研究は20世紀の後半からさまざまな形で行われ、私も“幸福感の比較文化”、つまり文化間における幸福感の違いを比較するために、研究者として駆け出しのころから研究を重ねてきました。幸福感の定義には客観的なものと主観的なものがあり、客観的なものは健康状態や犯罪の発生率、金銭面といった要素から定義されるものです。
一方、心理学で一般的に扱うのは主観的なもので、本人がどう感じているかに主眼を置いて捉えます。お金があって体が健康でも、気持ちが沈むということがありますよね。客観的に見る幸福感と、自身が感じている幸福感は、必ずしも比例関係にあるものではないんです。これは国単位で見ても言えることで、どの国でもGDPが世界の平均を越えたぐらいから、平均的な幸福度がそんなに上がらなくなるんです」
人の目に映る豊かさでは捉えられない幸福感は、心の隙間を埋める存在にこそあると一言先生は語ります。
「どんなに文化や年齢、収入、民族性が違っていても、何かトラブルが起きたときに頼れる人や心の支えになる人がいるか。私たちが心理的リソースと呼んでいるものですが、そういった存在がいるだけで人は幸福感を得ることができます。これは協調的幸福感と私が呼んでいるもので、他者との関係性の中から生まれるものです。一方で一時的な快楽の中から生まれる幸福感や多幸感、またはユーフォリアと呼ばれるようなものなどがありますが、これは人間関係の構築や仕事のやりがい、生きがいなど、長い時間をかけて築かれる幸せとは、ちょっと意味合いが違います。それもふまえて研究すると、心の豊かさや私たちが幸福感と呼んでいるものには、さまざまな種類があるといえます」
家族やコミューンとのつながりが、協調的幸福感をもたらす
環境によって変わる幸福の概念。2013年、JICA(国際協力機構)と共にタイで幸福感についての現地調査を行った一言先生は、現地で興味深い回答にふれることになります。
「地元住民のお宅を訪問し、幸福感について伺う突撃型の調査だったので最初はみなさん驚かれていました(笑)。印象的だったのは農村部の考え方です。都市部での幸福感についての考え方は、『自分の理想とする仕事がある』など回答者の個性を感じるようなものが多かったんです。これは欧米などでも多く見られる傾向です。対して農村部の場合は、『家族が健康でいることが幸せ』や『普通の生活を送れている』などという回答が多かった。タイの地方エリアでは大半の人々が農業中心の生活を送っているのですが、彼らは個人の欲求を満たすことよりも、家族や他者との穏やかな関係を維持しているところに幸せを感じているということが、調査の中でわかってきました」
さらに、一言先生が農村部で見たような家族やコミューン(小規模な生活共同体)のつながりを重視する傾向は、幸福感の高さだけでなく健康面にも良い効果を及ぼすことが示されています。
「先日参加した2023年のアジア社会心理学会大会で、私と私の共同研究者が『家族の幸せが、さまざまな面で健康を支えるのではないか』という報告をしています。私も2022年の論文で、パンデミックの最中に協調的幸福感が高い人は新型コロナウイルスに罹患しても、胸や関節の痛みなどWHOで定義している主観的なコロナ症状が、そこまでひどくなかったという調査結果を発表しました。その原因について、現在、研究を進めており、幸福感と体の健康のメカニズムは少しずつ解明されてきています」
「ワクチンや治療薬ほどのインパクトはありませんが、頼れる人がいるという安心感は免疫機能、たとえば炎症反応の低下などを介し、体の健康に影響するということは、私が研究する以前から考えられています。反対に、頼れる人がいない、すなわち『孤独感』を感じるような状態は、私たちの先祖である動物の進化の過程で、『安全な状態ではないため、他個体を探しに行け』という根源的な脅威の状態であるという説もあります。このようなことから、他者と関わることで成り立つ社会やその歴史的な所産としての文化、それによって私たちの目の前に広がる周囲の環境とそれとの関わり方が、私たちに生来備わっている身体生理的なシステムを介して、私達の健康状態を良くしたり悪くしたりするのではないかと、私は考えています」
一見、協調的幸福感につながり、いいことづくめに見えるつながりを重視する傾向ですが、同調圧力などネガティブな感情を生み出す要素も含んでおり、単純につながるほうがよいというのではありません。
「協調的な文化では和を保つことは幸福感につながっていきます。しかし、それを重んじるあまり、排他的な状況が生まれるダークサイドもあります。たとえば、個性的であることで周囲の他者からのねたみを買ったり、そうしたネガティブな自他の比較が学校の教室で横行することでいじめといった問題を生み出す要因になることがあると考えています」
情報化社会における幸福感との向き合い方
国民性によっても幸福の捉え方が異なると一言先生。「“幸福”という言葉の印象を調査すると、アメリカでは約95%がポジティブなことを言っているのですが、日本だとその数字は60%程度にとどまり、残りの40%は『得ようとしても得られないもの』『失った時に気づくもの』など、抽象的かつ中立的な回答となりました。これには、『幸せになると、ねたまれる』という、いわば他者との和を乱すことを未然に防ごうとする思考や配慮ともいえる日本的な考えが影響しています。幸福感をより詳しく知るためのアプローチの一つとして、生理反応でも幸せを測定する必要があり、脳科学など生物・物理的な面からも捉えようとする幸せの研究も進んでいます。幸福感の数量化についても、どのように基準を定めるかが課題です。たとえば、戦争が起これば幸福感は大きく損なわれ、こういったことには文化の違いはないため、基準はどこでも同じであるようにも思われますが、上記のような幸せに関する意味や微妙な感覚を含めて考えると、心理的な幸福の基準について国や文化によってどれほどの多様性があるのかは、まだまだ、研究を重ねる必要があります」
社会や家族など周囲の環境と連携して得る幸福感とは対象的に、現代ではインターネットやSNSの発展によって個人の幸せを追求する動きが強くなっています。しかし、直接的な交流がなくても気軽にコミュニケーションが取れるメリットと、それゆえに匿名で容易に人を傷つけるような発言ができるデメリットが渾然一体となっている現代の情報化社会は、適切な幸福感を得るには厳しい環境であると一言先生は語っています。
「インターネットの普及は社会に大きなインパクトを与えています。興味深いのが、情報化が進んでいる国ほど、人生のクオリティを低く感じている人が多いという報告もあるということです。SNSでは大半の人がキラキラした生活を発信し、そういう投稿を見た人、特に若い学生などが『自分の人生は、なんてみじめなんだ……』と卑下してしまう傾向がよく見られます。アメリカでは、特にそうした自他の比較や人間関係上の攻撃に脆弱な10代の女性を中心に、SNS依存で抑うつ状態になったり、自殺したりしてしまう若者が増えているとも報告され、社会問題になっています。そもそも人の境遇と比べることで得られる幸福感は、そんなに大きなものではありません。ただ、寂しさや、みじめさ、孤独感を感じたときは、他の人と共感することで癒される相互扶助のような効果もあると思うので、SNSとの健康的な向き合い方についても研究が必要ですね。
ただ、1回の投稿に詰め込めきれないほど、私たちの感情やそれを使ったコミュニケーションは膨大な情報量を含んでいます。今後、SNSがより発展し、発信者のリアルな部分や密な情報を的確に交換できるようになれば、そういった問題も改善されるかもしれません。しかし今のところ、気持ちを正確に伝える手段は、まだ対面のほうが強いといえるでしょう。現在、アプリケーションの制作会社とも幸福感についての共同研究を行っています。幸せな生活を送る助けになる、実証的な裏付けのある技術を実現させたいですね」
多様な側面をもつ幸福という感情。目に見えないものだけに、私たち自身がどのように捉えるかで、人生にも影響してくるはずです。さまざまに広がる幸福の形は、どのように受け止めるべきなのでしょう。
「メディアなどによく出てくる幸福度ランキングなどは、質問の仕方が限定的であることが多いので、鵜呑みにしない方が良いでしょう。政府やメディアが行うこのような調査には多指標的なアプローチが重要で、幸福感の社会や心理、生理的な基盤がしっかりわかったうえで、現在の社会状況の中でどのように応用するべきかが問われるところです。おそらく、体の健康やコミュニティにおける人間関係はその基準になってくるはずですが、心については基づくものが無い単純な比較には警鐘を鳴らす必要があります。根拠と安定性は乏しいですが、とにかく人に見せられる得点化だけをするというのでは、その得点は何も意味せず、それゆえ、どこかで無理が生じますから。質的にも量的にも、幸福の度合いを信じられる、意味のある数値として可視化させることをしっかり踏まえたうえで、私たち研究者も調査などを行うべきでしょう。みなさんにはまず、今の自分の幸福感はどういう性質をもつのかという主観的な認識を持ち、そのうえでさまざまな幸せのあり方を大切にしてもらえればと思います」
取材対象:一言 英文(関西学院大学 文学部 准教授)
ライター:伊東 孝晃
運営元:関西学院 広報部
※掲載内容は取材当時のものとなります