ビジネスや暮らしに取り入れたくなる! 行動経済学のエッセンス

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ビジネスや暮らしに取り入れたくなる! 行動経済学のエッセンス

ここ数年、メディアでも取り上げられ、注目を浴びている行動経済学。企業や国・自治体の取り組みにも応用されています。しかし、行動経済学という言葉を耳にしたことはあっても、どんな学問なのか、どんなふうに活用されているのか、よく知らない人も多いのではないでしょうか。今回は、ビジネス雑誌などでも執筆が多い黒川博文先生にお話を伺い、行動経済学を日々の仕事や暮らしに役立てるためのヒントを探ります。

Profile

黒川 博文(KUROKAWA Hirofumi)

関西学院大学経済学部准教授。博士(経済学)。関西学院大学経済学部卒業後、大阪大学大学院経済学研究科博士前期課程・後期課程修了。日本学術振興会特別研究員、兵庫県立大学国際商経学部准教授などを経て、2023年4月より現職。専門の行動経済学、実験経済学について研究を行うだけでなく、ビジネス雑誌への寄稿や書籍などの執筆も手掛ける。著書に『今日から使える行動経済学』(共著、ナツメ社)などがある。

この記事の要約

  • 行動経済学は、経済学に心理学等の知見を応用した学問分野。
  • ビジネスシーンや公共政策での応用が進んでいる。
  • 長時間労働の問題など、社会課題の解決にも行動経済学が役立つ。
  • 日々の仕事や暮らしにも行動経済学のエッセンスを活用できる。

経済学と心理学を掛け合わせた新しい学問分野

「行動経済学を一言で表すならば、経済学に心理学等の知見を応用した学問分野」と黒川先生は説明します。「伝統的な経済学では、少し極端に思われるかもしれない仮定を置いて人間行動を分析します。その仮定のもとで予測通りの結果が得られることもありますが、うまくいかないこともあるんです」

ここで黒川先生は、いくつか例を挙げてくれました。「たとえば経済学では、『人は自分の利益のみを最大化するために行動する』と考えられています。でも実際は、他人のことを考えて、寄付やボランティアをする人たちもいるわけです。他にも、経済学では『一度計画を立てたら計画通りに実行する』という人間像を想定していますが、実際はそうはいかない。お酒の量を控えようと決めても、いざ飲みに行ったら飲みすぎて二日酔い、なんてことはよくありますよね」

このように、伝統的な経済学のモデルではうまく説明ができない時に、心理学などほかの分野で研究されてきたことを当てはめて活用すると、経済学のモデルで説明できるようになる。それが行動経済学だと黒川先生は語ります。

「心理学や社会学、人類学などの知見を活用することで、経済学のモデルで人間行動をよりうまく分析できます。『消費者が何を選ぶか』『労働者が何時間働くか』など、人間のあらゆる選択行動が行動経済学の分析対象です。数理モデルを使った理論的な分析だけではなく、データを用いて因果関係を明らかにしようとする実証的な分析も行います」

ビジネスシーンや公共政策で幅広く活用

「人が何をするか」という選択行動を分析する行動経済学。私たちの身近なところでは、どのように活用されているのでしょうか。

「行動経済学に基づいたある保険商品では、健康を促進するためのインセンティブがうまく設計されています。この保険では、最初に加入した時点で保険料が15%オフに設定されているんです。1年ごとに保険料が更新されていくのですが、1年後に目標が達成できていたら、保険料がさらに安くなる。でも達成できなかったら、保険料が高くなります。保険料を安くするために、日々歩いたり、タバコを控えたり、健康診断を受けたりして、加入者が頑張って健康を維持しようとするようにインセンティブが設計されているんです」

ここでポイントになるのは、15%オフというおトクな状態でスタートするところだと言います。「最初は得な状態で始まり、頑張らなければ保険料が高くなって損をしてしまう。人間には損を回避しようとする性質、行動経済学では損失回避と呼ばれていますが、この損失回避を保険商品にうまく組み込んでいるんです」

黒川先生は、損失回避についてさらに例を挙げて説明します。「1000円もらった時のうれしさと、1000円失った時の悲しさ、どちらのインパクトが大きいですか? おそらく失ったときのほうが大きいと思います。人間は利益よりも損失を約2倍大きく感じると言われています。だから損を回避しようとするんですね」

ビジネス分野だけではなく公共政策においても、行動経済学の活用は広がっています。たとえば新型コロナウイルスの感染対策の際、「あなたと身近な人の命を守るために」というメッセージが盛り込まれていましたが、この文言にも行動経済学が応用されているそうです。

「『あなたの命』ではなく、あえて『あなたと身近な人の命』となっているのは、人間は他人のことも考えて行動するという性質を踏まえているからです。このような利他的な性質は、行動経済学では社会的選好と呼ばれています」

他にも、厚生労働省が風しんワクチン接種を促進するプロジェクトや、環境省が中心となって発足した日本版ナッジ・ユニット(BEST※)など、行動経済学を政策に取り入れる動きが広がりつつあります。実は生活の中のあちこちに行動経済学が潜んでいるのです。

※BESTはBehavioral Sciences Teamの略で、行動経済学などの行動科学の知見を活用する方法論や課題の共有と、これらの知見を様々な分野における課題解決に向けて活用する方法について検討している。

行動経済学を用いた調査結果を取り入れ、厚生労働省が作成した風しん対策のポスター(厚生労働省ホームページより。https://www.mhlw.go.jp/content/A2_final.pdf

夏休みの宿題を後回しにしていた人は残業しがち?

ここからは行動経済学を日常に活用した事例をもとに、より具体的に黒川先生にお話を伺いました。今回取り上げるのは「働き方改革」。長時間労働は行動経済学で減らすことができるのでしょうか。

「共同研究者である大阪大学教授の大竹文雄先生が、人事制度の変更を予定していたある企業の人事担当者との会話がきっかけで、当時、院生仲間であった佐々木周作さん(現・大阪大学特任准教授)とともに制度変更の効果検証を行うことになりました」と黒川先生は研究のきっかけを語ります。

「どういう人が長時間労働をするのか」「働き方改革に効果があるのか」という2つの問いを立て、研究の同意を得られた社員へのアンケート調査と、提供された労働時間のデータをもとに分析したところ、興味深い結果が得られたと言います。

「長時間労働をする人には、大きく2つのタイプがあることがわかりました。1つ目は、夏休みの宿題を後回しにしていた人。これは仕事を先延ばしにした結果、定時になっても終わらず、結局深夜まで残業してしまっていると考えられます。2つ目は、お金を分配するときに、自分も相手も平等であることを選択するような平等主義的な人です。このような人は他人を気にするような人で、オフィスに誰かが残っていると帰りづらくて自分も残ってしまうのではないかと考えられます」

1つ目の夏休みの宿題を後回しにする性質は、行動経済学でいう時間選好と関係していると、黒川先生は説明します。

「人間はどうしても今に価値を置いてしまう。これを時間選好と呼ばれる性質の中でも、『現在バイアス』と言います。たとえば、今日1000円もらうか、1年後に1200円もらうか、どっちがいいですか? 多くの人は今日の1000円と答えます。では、1年後の1000円と2年後の1200円ではどうでしょうか? こう聞くと大半の人は2年後の1200円を選ぶんです。でも、1年後にあらためて最初と同じ『今日1000円もらうか、1年後に1200円もらうか』という質問をすると、今日の1000円がいいって言っちゃうわけですよね。1年前に選択した『2年後の1200円』は選ばれない。そうやって計画倒れをしてしまうんです」

今すぐ宿題をやらずに先延ばしにしてしまうのも、今に重きを置いてしまう現在バイアスにあたると言います。2つ目の平等主義は、前述の感染対策の話でふれていた他人のことを考えて行動する社会的選好に当てはまるそうです。

では、働き方改革を行って変化は見られたのでしょうか。

「人事制度を変更し、残業時間の上限を原則45時間として、上限を超える場合は上司の事前承認が必要というルールを設けました。また、完全フレックスタイム制に移行し、働く場所もオフィスや自宅に限らず自由にするなど、個人の裁量を大きくしました。その結果、制度変更前よりも残業時間が削減されました」

制度変更前後での月間総残業時間の変化。制度変更前に月45時間以上残業していた人(青線)の残業時間は制度変更後に減少している。制度変更前に月45時間以上残業を経験していない人(橙線)は制度変更の影響を受けないとすると、この期間、社会情勢等の影響で2.7時間残業が増えている。こうした社会情勢の影響を除去する差の差分析と呼ばれる手法で分析すると、新人事制度の導入で月45時間以上残業経験者の総残業時間は4.7時間減少したといえる(黒川博文、佐々木周作、大竹文雄、2017「長時間労働者の特性と働き方改革の効果」より改変)

しかし、よく長時間労働をしていた人は、以前より時間は減ったものの、他の人と比べるとまだ残業が多い傾向があったそうです。彼らに対して、行動経済学の観点からアプローチできることはあるのでしょうか。

「実際に検証はできていないのでアイディアレベルの話になりますが、この研究結果から示唆されることは2つあります。1つは、タスクを細分化して、締切を細かく設けること。それによって先延ばしを防げるのではないかと思います。もう1つは、『残業しているあなたは少数派ですよ』と伝えること。平等主義者は、他人を気にして残業しているわけですから、『全体で見るとあなたは少数派』と伝えると効果的だと考えられます」

さらに黒川先生たちは、同じデータを使って、「残業は伝染するのか」という研究も行ったそうです。

「人事異動で自分のチームに残業しやすい人が入ってきたら、周囲はつられて残業してしまうのかを分析しました。その結果、同じチームに長時間労働をする同僚がいると、周囲も労働時間が長いことがわかりました。つまり、残業が伝染する可能性があるわけですね。さらに、長時間労働と幸福度の関係性を調べてみると、同僚の残業時間が長いと周囲の人たちの幸福度は低く、一方で、同僚よりも自分が長く働いている人は幸福度が高いという結果が出ました。したがって、長時間労働をしやすい人が入ってくると、残業が伝染してその人よりも長く働いた結果、幸福度が高まり、それを見た同僚がより残業してしまう可能性があるため、負のスパイラルが生まれてしまっている恐れがあります」

昨今は働き方改革が進んでいるとはいえ、長時間労働を美徳とするような価値観、慣習がまだ残っているのも事実。残業が伝染してしまっているかもしれないうえに、周りの人の幸福度にまで影響してしまうという研究結果から、なかなか根深い問題だと気づかされます。

これらの研究を振り返りつつ、黒川先生は「これからも企業や自治体と協力して、行動経済学を実社会で活かすことに取り組んでいきたいです。その時々の社会課題にアプローチすることは非常に大切だと思っています」と今後の展望も語ってくれました。

2023年2月に関西学院大学で開催されたシンポジウムに、大竹先生とともに登壇。黒川先生は「データは社会でどのように活用されているのか」をテーマに語った

行動経済学のエッセンスを日常生活にも活用

この研究結果から示唆された、「タスクを細分化して締切を設け、先延ばしを防ぐこと」は、日々の仕事や暮らしですぐに取り入れられそうです。他にも、日常生活の中に行動経済学のエッセンスを取り入れる方法はあるのでしょうか。

「非金銭的インセンティブは、仕事でも家庭でも活用しやすいかもしれません。インセンティブ=お金というイメージが一般的ですが、お金をあげられない時もありますよね。企業なら給料アップがなかなかできない状況もあるでしょうし、子育てだったら『お金で釣るのはどうなのか』と思うこともあるでしょう。そんな時は非金銭的インセンティブを活用する方法があります」

黒川先生はこんな例を挙げながら説明します。「表彰や称賛のようなレコグニション(承認)が職場における非金銭的なインセンティブです。子どもなら、シールやスタンプをあげてもすごく喜びますよね。それ以外にも、大学生を使ったある実験で、データ入力のアルバイトの報酬として、現金を手渡しするのではなく、その金額相当の水筒を渡すほうが、生産性が上がったという事例がありました。このように、ちょっとした工夫やプレゼントで人のやる気を後押しできることもあるんです」

行動経済学を活用して、自分自身や周りの人のモチベーションや生産性を高めようとする時に、何かコツはあるのでしょうか。そう尋ねると、黒川先生はこうアドバイスしてくれました。

「とにかく実験的にいろいろ試してみることですね。まずやってみて、うまくいったから取り入れようとか、うまくいかなかったから違う方法を試してみようとか、トライ&エラーでやっていくことが大切だと思います。そのためには、これをやった時の結果がどうだったのか、ちゃんと記録をつけて自分でフィードバックしていくことが必要ですね」

もし行動経済学に興味を持ったら、まずは一冊入門書を読んでみて、自分に合いそうなものを一つずつ試してみる。そして日々の仕事や暮らしを行動経済学の「実験」だと捉えることで、日常が少し彩り豊かになるはずです。

取材対象:黒川 博文(関西学院大学 経済学部 准教授)
ライター:藤原 朋
運営元:関西学院 広報部
※掲載内容は取材当時のものとなります

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