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主は羊飼い |聖書に聞く #15

ベネディクト・ティモシー社会学部准教授、関西学院宣教師

関西学院のキリスト教関係教員が、聖書の一節を取り上げ、「真に豊かな人生」を生きるヒントをお届けします。

主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。主はわたしを青草の原に休ませ、憩いの水のほとりに伴う。魂を生き返らせてくださる。主は御名にふさわしく、わたしを正しい道に導かれる。

詩篇23:1-3節

神様は私たちの羊飼いであると聖書では何回も繰り返されます。なぜ羊飼いなのでしょうか?それは人間と羊がとても似ているからです。人間は羊のように可愛らしいという意味ではありません。私は以前、羊飼いが書いた本を読んでわかったのは、羊はまずとても無力な動物であるということです。羊飼いがお世話をして守ってくれないと羊は生きていけません。また、とても神経質でもあります。慣れない音や、突然違う動物が現れると、羊はすぐ驚いて脱走します。そして、1匹の羊が脱走すると、群れ全体がその1匹について逃げていきます。

この集団性によって危機に陥ることもあります。2005年のトルコのお話ですが、草を食べていたある羊がなぜか、崖から飛び降りてしまったそうです。そして、見ていた他の羊もその羊の後を追い、飛び降りてしまいました。結局1500匹の羊が崖から飛び降りて何百匹もの羊が死んでしまったのです。

このように羊は集団で動いて自分で考える力があまりないようです。英語ではこのように自分の考えを持たずに集団についていく人を”Sheeple”と言います。“Sheep”と”People” をミックスした言葉です。確かに人間はこの面では羊にとても似ています。人間は変化や危険を感じたらすぐに感情的になり、集団で間違った方向に行く傾向があります。

また、羊は迷うこともよくあるそうです。例えば、羊の中には、常にもっと美味しい草を探し求める者もいます。関西学院大学の中央芝生のように美味しい草が十分ある芝生にいたとしても、さらに美味しい草を探すために出て行き、結局は迷子になってしまうのです。私にもよくある話です。自分の周りにある沢山の恵みから目を離し、さらに良いものを求めようとし、さまよってしまいます。

このように羊と人間は共に弱い動物ですが、幸いなことに羊にはそばで守ってくれる羊飼いが必ずついています。そして、私たち人間の羊飼いは神様であると聖書は教えています。羊飼いは群れを必ず守ってくださり、羊が迷ったらすぐに探しに行って、助けてくれます。

羊は人間と同様に弱い面がたくさんありますが、賢いところもあります。それは何かというと自分の羊飼いの声を見極めることができるのです。羊飼い以外の人の呼びかけを無視し、羊飼いの声を聞くとその声についていきます。私たちも神様の声に、つまり、聖書の言葉に耳を傾けることができます。忙しい日々に追われる中、私たちを「青草の原に休ませ、憩いの水のほとり」に導いてくださる神様の声に、私たちも耳を傾けながら日々歩む者でありたいと思います。

Profile

ベネディクト・ティモシー (BENEDICT Timothy)

日本生まれのアメリカ人。ハーバード大学大学院東アジア地域研究科修士課程終了。プリンストン大学大学院宗教学科博士課程修了。2019年より関西学院宣教師。社会学部准教授。著書 “Spiritual Ends: Religion and the Heart of Dying in Japan”、”The Routledge History of Death since 1800” (共著)、『ことばの力-キリスト教史・神学・スピリチュアリティ』(共著)など。

運営元:関西学院 広報室