WELL-BEING

あなたを根底から支えるもの |聖書に聞く #18

橋本 祐樹神学部准教授

関西学院のキリスト教関係教員が、聖書の一節を取り上げ、「真に豊かな人生」を生きるヒントをお届けします。

わたしの目にあなたは価高く、貴く…

イザヤ書43章4節

※値高くは「あたいたかく」、貴くは「とうとく」。

学生たちと接していて耳に残る言葉の一つに「自己肯定感」があります。「自己肯定感が低いので」とか、「自己肯定感があがりました」といった言葉は日常的に用いられています。自分を、あるいは人をいかに認めることができるのかという関心は、他の世代にも通じます。ひと月ほど前、ある学部のセミナーに参加した際、中堅世代の講師がdoingばかりではなくbeingの視点を大切にしたいと語り、中高年世代を主とする参加者からの賛同を得ていました。私たちの間ではdoing、つまり何かを「する」こと、出来ることが必要とされ、広く重視されているわけですが、他方でbeing、すなわちあなたがそこに「いる」だけでいい、いるだけで価値があるという人間の存在の根本を肯定する視点がもっと必要ではないかというのです。

自らを批判的に問いつつ軌道修正をすることや、そのようにしてdoingを繰り返す中で自分や人や組織の可能性を主体的に広げていくことはもちろん大切で不可欠だと思います。と同時に、成果ばかりを求められる厳しい環境の中で、課題を一つひとつ乗り越えていくためにも、上手くいくことばかりではない状況で喜びをもって胸をはって共に生きていくためにも、自分の存在を根本的に肯定してくれる視野、自分や人をあるがままに認める視点を見出すことは、確かに私たちの切実な課題になっています。とはいえ、成果で物事の価値をはかり、周囲との比較の中で自分の位置と価値を保ち、人から抜きん出ることさえ必要となるこの変化の激しい混迷する時代の中で、そんなものがどこにあるというのでしょうか。

聖書は私たちを驚かせる多彩な視点に満ちています。そのうちの一つは、私たちの想像を超えた深い肯定の視点です。冒頭にあげた、私の目にはあなたは高価で尊い、と語る聖書の言葉は、神が、ある具体的な人々に告げた言葉なのですが、それはありていに言えば成功に満ちた褒められるところの多い人々ではなく、むしろ逆で、現実に過ちを犯して窮状にあった人々に向けられた言葉でした。言わば成果を持たない人々に、恥ずかしげもなく、あなたは高価で尊い、あなたを愛していると告げる言葉が伝えられています。何かを達成することによって得られる自分や他者の承認に左右されない、揺らぐことのない人の価値を見出す視点があり、人の存在そのものを肯定する、弱さをも包み込むような眼差しがあるのです。

先のセミナーに参加していた多忙なキリスト者の友人が、自分のbeingの価値をもっと大切にしたいと口にしていました。それを素直に言葉にできるのは、自分がただbeingにおいても愛された存在であることを知っているからなのかもしれません。冒頭の聖書の言葉を前に、自分や人の成長の可能性を信じて行動と研鑽を続けることの大切さと共に、私たちの存在を根底から支える変わることのない眼差しがあることを忘れないでいたいと思います。

Profile

橋本 祐樹 (HASHIMOTO Yuki)

関西学院大学神学部卒業、同大学大学院神学研究科博士課程前期課程修了、後期課程修了(神学博士)。日本キリスト教団飫肥(おび)教会牧師、神戸栄光教会副牧師、ハイデルベルク大学神学部客員研究員を経て、2017年より関西学院大学神学部教員。

運営元:関西学院 広報部

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