あらゆる細胞に変化し、再生医療や絶滅種保全の鍵となる「全能性細胞」を解き明かす

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あらゆる細胞に変化し、再生医療や絶滅種保全の鍵となる「全能性細胞」を解き明かす

人間への臓器移植ができるブタが生まれたり、iPS細胞からつくった網膜細胞移植の治験が始まったりと、再生・生殖医療に関するニュースがときおりメディアに登場します。今、生物・生命科学の分野ではどのような研究が進んでいるのでしょうか。あらゆる細胞に変化できる全能性細胞を研究する関由行先生に伺いました。

Profile

関 由行(SEKI Yoshiyuki)

関西学院大学生命環境学部生命医科学科教授。博士(医学)。大阪大学大学院修了。研究分野はエピジェネティクス、生殖細胞生物学、幹細胞生物学。2009年4月に関西学院大学理工学部専任講師に着任、2021年4月から現職。「始原生殖細胞によるエピゲノムリプログラミング機構に関する研究」で2018年度日本遺伝学会奨励賞受賞。

この記事の要約

  • ヒトの体にある約200種類、約 37兆個の細胞は、たった一つの受精卵から生まれる。
  • 精子や卵子などの生殖細胞は、次世代に遺伝情報を伝える“永続的な細胞”
  • 始原生殖細胞から生殖細胞になる過程に全能性を発揮させる何かがある。
  • どんな細胞にもなれる全能性細胞が完成すれば、絶滅危惧種の保全にもつながる。

“死なない細胞”、生殖細胞について研究

ヒトの体には、どのくらいの細胞があるのでしょう。関由行先生によると、一般的な成人男性の場合、約200種類、約 37兆個もの細胞があるとのこと。そのすべては、受精卵というたった一つの細胞から生まれます。

中学理科の授業などで、受精卵の細胞が2つになり、4つになり、8つになり……と、分裂を繰り返し成長していく様子を、教科書などで見た覚えがある人も多いはず。一つの細胞から、神経の細胞や心臓の細胞、皮膚の細胞など、さまざまな役割を持つ細胞が生まれるというのは、よく考えると不思議なものです。

関先生はヒトの細胞について、体をつくる「体細胞」、精子や卵子といった「生殖細胞」、そして、「胎盤細胞」(哺乳類の場合)の3つに分類し、中でも生殖細胞のことを「永続する細胞、“死なない細胞”」として注目しています。

「ヒトが死ぬと体細胞は死に絶えますが、生殖細胞である精子と卵子は受精して別の生命になることで、個体を超えて生き続けることができます。つまり“死なない細胞”、永久不滅の細胞といえます。精子と卵子が受精して新たな生命が生まれ、その生命がまた受精して……と繰り返すことで生物は進化していき、僕ら人間もその中で出現しました。細胞レベルで生殖細胞をさかのぼると、35億年前の生物の誕生までたどることができるのです」

そんな生物誕生にまでさかのぼれる生殖細胞には、卵子、精子、受精卵などがあり、生殖細胞の元となるのが、始原生殖細胞(しげんせいしょくさいぼう)。この細胞ができるメカニズムを探り、「生殖細胞」だけでなく、「体細胞」「胎盤細胞」のどれにでもなれる「全能性細胞」を生み出す研究を、関先生は続けています。

ところで、よく耳にするiPS細胞(人工多能性幹細胞※)やES細胞(胚性幹細胞※)と全能性細胞は何が違うのでしょう。関先生によると、「大きな違いはありませんが、名前の通り全能性細胞のほうが能力は高く、iPS細胞とES細胞は能力が制限されるとイメージしていただければ」とのこと。ただ、この分野の研究スピードは速く、これまでiPS細胞やES細胞から胎盤細胞はつくれないとされていたものの、3年前に京都大学の研究所がヒトのiPS細胞から胎盤細胞をつくることに成功するなど、それまでの概念が覆されることも普通にあると関先生は言います。

※iPS細胞は大人の体の細胞からつくられるのに対して、ES細胞は受精卵からつくられる。

精子や卵子の元になる細胞ががん化する動画の撮影に成功

現在、関先生の研究室では、イモリやマウスのiPS細胞から全能性細胞に変化させる研究を進めています。実は、イモリとマウスの両方を扱う研究室は世界でも珍しいのだとか。「これまでは実験動物としてマウスがよく使われてきましたが、マウスは哺乳類の中でも特殊な進化を遂げていることが近年分かりつつあります。一方で、有尾両生類のイモリは、約3億8000万年前に初めて陸上に進出した両生類と形態が類似しており、ヒトの祖先的な形質が保存されているのではないかと注目しております」

そして、イモリを使うメリットの一つは、結果が早くわかること。「イベリア半島原産のイベリアイモリの場合、月曜日にホルモンを打つと、翌日の火曜日には数百個ほどの卵子を採取できます。この卵子に人工授精と遺伝子操作を行うと、だいたい、その週のうちに結果が見えてきます」と関先生。遺伝子操作の内容を変えながら、始原生殖細胞が精子や卵子になる過程などを探っていると話します。

ゲノム編集を行う際に使う顕微鏡とインジェクター

もし、始原生殖細胞が正常に精子や卵子といった生殖細胞に変化しなかったら、どうなるのでしょうか? 「うまく変化しなかった始原生殖細胞は、通常、プログラムされた細胞死で排除されます。しかしながら、ごく稀に、脳や精巣内でどの細胞にも分化できる多能性を持った腫瘍になったりします。なお、始原生殖細胞の分化異常を起因とした奇形腫は、小児がんの約7%を占めることも知られています。

ちなみに、ある遺伝子が一つでも欠損すると、始原生殖細胞ががん化することはわかっていたものの、その様子を捉えた画像などはありませんでした。ところが関研究室では、ES細胞から始原生殖細胞を培養皿上で大量調整する技術を開発し、その遺伝子を欠損させることで、始原生殖細胞ががん化する様子を世界で初めて動画で撮影することに成功したのです。

正常な始原生殖細胞は移動して分化していくが(左)、がん化すると塊をつくったまま永遠に増殖する(右)

「このインパクトは大きいと思います」と関先生。「分化が止まり死滅すると思っていたので、正直、驚きました。通常、培養皿で培養できるのは1週間くらいですが、その細胞は1週間を過ぎても延々と増え続けたのです。今、その細胞をマウスに移植して、本当にがんができるかを調べているところです」

SFの世界が現実になることも。いかに想像力を働かせるかが大切

生物・生命科学の分野において、関先生たちが取り組む始原生殖細胞、生殖細胞の研究は比較的歴史が浅く、まだわからないことが多いものの、2000年ごろから急激に技術や研究が加速。特に、ヒトの全遺伝情報を読み解くヒトゲノム計画が2003年に完了し、さらに2013年ごろにゲノム編集(※)ができるようになった影響が大きいと関先生は言います。

※ゲノムとは生き物の遺伝情報全体をさす言葉。遺伝情報はDNAに書き込まれており、ゲノム編集はDNA上の特定の塩基配列を変化させること。

「以前は10年ほどかけて、一人分のゲノム情報を読むのがやっとでしたが、今では2日で読めます。コストも10万円、20万円くらいに下がってきています。この人はどういう病気になりやすいとか、こういう栄養を摂ると太りやすいなどの情報はすべてゲノムに書き込まれています。また、ゲノム配列を種間で比較することで、生き物の進化を解明するスピードも速まってきています」

精子や卵子といった生殖細胞の仕組みを解明し、どんな細胞にもなれる「全能性細胞」ができれば、全能性細胞から人工胚の作製も可能になってきます。これらの技術の開発によって、移植・不妊治療といった再生医療や生殖補助医療、さらには絶滅危惧種の保全、移植につながると考えられています。

不妊治療への活用も期待される、人工的に再現された全能性細胞。実際に活用されるまでには、技術面だけでなく倫理面の課題があります。そして、これまでの研究をふまえて関先生は「私たち人間の出産年齢が高くなっていること、30代、40代で不妊治療を受ける夫婦が多いことが気になります」と警鐘を鳴らします。「生殖細胞は、日々の生活に大きく影響され、さらに不妊は世代で連鎖するともいわれています。不必要に出産を先送りすることなく、いつでも出産できて、みんながハッピーになる社会に早く変わってほしいですね」

では、絶滅危惧種の保全という点では、どれくらい研究は進んでいるのでしょう。

「たとえば、キタシロサイはもう2頭のメスしか残っていない絶滅危惧種で、とても深刻な危機にあります。これを保全しようと、大阪大学などが参加する国際チームが研究を進め、キタシロサイの精子や卵子の元となる始原生殖細胞をつくることに成功しています」

関先生のお話は、聞けば聞くほど、まるでSFのようで驚くようなことばかり。私たちが思っている以上に研究・技術が進んでいるのかもしれません。 「実はSFも大事。SFが好きな研究者はたくさんいます。映画『ジュラシックパーク』を見て、マンモスを復活させようと考えた研究者もいるくらいです。SFで描かれたことが本当に現実になることもあるので、研究にもどれだけ想像力を発揮するかが大切になると思っています」

取材対象:関 由行(関西学院大学生命環境学部生命医科学科 教授)
ライター:ほんま あき
運営元:関西学院 広報部
※掲載内容は取材当時のものとなります

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