WELL-BEING

私たちの内なるレジリエンス|聖書に聞く #01

中道 基夫関西学院院長、神学部 教授

関西学院のキリスト教関係教員が、聖書の一節を取り上げ、「真に豊かな人生」を生きるヒントをお届けします。

エッサイの株からひとつの芽が萌えいで、その根からひとつの若枝が育ち、その上に主の霊がとどまる。

イザヤ書 11章1−2 節

世界的なパンデミックによって何もかもがストップし、傷つき、なぎ倒されたような経験をいたしました。この目に見えない破壊的な力は何年も猛威を振るい、消えることのない大きな傷跡を残しています。世界中で6億人以上が感染し、650万人以上の人が命を失いました。さらに生活、産業構造や経済も大きな影響をうけています。それは、これまでの経験をはるかに凌駕する規模のものであると言えます。この打撃、損失、変化にどのように対応し、そこからどのように立ち直り、自分自身を取り戻すのかということ、つまりレジリエンス(回復力)が問われています。自然災害が多発し、社会構造が複雑化した中、このような惨事はおそらく今後も続き、私たちの社会や生活に打撃を与えるであろうと予測されています。そのためにも、社会はどのようなレジリエンスを持っているかということが問われています。

世界的なパンデミックに限らず、個人的に病気、失業等さまざまな喪失を経験した後にどのように回復していくかが重要です。もちろん傷ついたらすぐに回復しなければならないというわけではありません。人それぞれに時があり、またそのようなネガティブな経験にとどまることもあるでしょう。ただ、そこになんらかの意味や将来に向かう新しい希望を見いだすことが重要です。それが内なるレジリエンスを生み出すものとなります。

聖書の言葉の「エッサイの株」とは、切り倒された大木の切り株を意味しています。そしてその生涯を終えたかのように見える切り株から、若枝が生え出たと言われています。つまり、切り倒された大木はかつての姿を失い、死んでしまったかのようであるけれど、終わってしまったわけではない。そこから新しいいのちが萌えいでてきたということが、ふたたび木が成長し、枝を張り、実を実らせるという希望の徴として描かれています。

聖書は、奇跡的に惨事を回避したり、傷つかない幸運を示してくれているわけではありません。私たちの人生にこの希望のイメージを受け入れることを勧めています。このイメージを受け入れるとき、私たちの内に若枝が萌えいで、死に勝る力を持つ神の愛がそこに宿るでしょう。

Profile

中道 基夫(NAKAMICHI Motoo)

関西学院大学神学部、同大学院博士課程前期課程修了。神戸栄光教会、城之橋教会の牧師を経て、ドイツで宣教協力牧師として働く。ハイデルベルク大学神学部留学(神学博士)。2000年より関西学院大学神学部教員(実践神学担当・教授)。2022年より関西学院院長。著書『天国での再会 キリスト教葬儀式文のインカルチュレーション』、その他。院長室からのメッセージ動画「風に思う」配信中。