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「石の心」と「肉の心」―希望を失わないために|聖書に聞く #2

打樋 啓史関西学院宗教総主事、社会学部教授・宗教主事

関西学院のキリスト教関係教員が、聖書の一節を取り上げ、「真に豊かな人生」を生きるヒントをお届けします。

わたしはお前たちの体から石の心を取り除き、肉の心を与える。

エゼキエル書 36章26節

『ショーシャンクの空に』(1994年、米国)は、世界中で世代を超えて広く愛されている映画です。無実の罪で刑務所に収監された主人公が、長年かけて「ある計画」を実行していく物語ですが、その中で心に響くいくつもの名セリフが見られます。その一つが、主人公がモーツァルトのレコードを看守に邪魔されないよう工作して所内放送で流し、その結果2週間懲罰房に入れられ、そこから出てきた時の言葉です。「どうだった?」と聞く仲間たちに、彼は答えます。「音楽を聴いてた。頭と心の中で。音楽は決して人から奪えない。」その後しばらく会話が続き、彼は言います。「人間の心は石でできているわけじゃない。心の中には何かある。誰にも奪えない何かが…君の心にも、それは希望だよ。」

この映画は聖書の言葉が多用されることでも有名ですが、おそらく上記のセリフの基になっているのは、冒頭に引用した旧約聖書の言葉です。紀元前6世紀、祖国を追われ嘆き悲しむユダヤの人々に、預言者(=精神的指導者)エゼキエルは語りました。「神は私たちから石の心を取り除き、肉の心を与える」と。

「石の心」とは、絶望し、石のように固く冷たくなった心、あきらめと無感動の心です。一方、「肉の心」とは、血の通った温かい心、柔軟で感動できる心、そして未来を信じて待ち望む心です。そのような「肉の心」があれば、過酷な状況の中でも何とか歩き続けていける。エゼキエルは、絶望していた同胞たちをそう励ましたのです。『ショーシャンクの空に』では、この「肉の心」が、独房にいても自分の中に流れる音楽を聴き続ける心として描かれ、それは「希望」と呼ばれます。

誰の人生にも大なり小なり困難や辛いことがあります。そんなとき、状況そのものは簡単に変わりません。しかし、聖書は伝えています。状況がすぐに良くならなくても、心が変われば確かに何かが変わるということを。思い通りにならない日々の中でも、小さなことに喜びを見出し、人とのつながりに感謝し、明日に期待する心を持てるなら、世界は少し違って見えてきます。「石の心」がどこにも行きつかず、何も生み出さないのに対して、「肉の心」は意外な形で新しい出会いと発見を与えてくれます。預言者の言葉も、それに基づく映画のセリフも、私たちにそう教えてくれるのではないでしょうか。

行き詰まるとき、心が石になってしまわないようにしましょう。「危ない! 石の心になりかけている…」と感じたら、好きな音楽をゆっくり聴いてみてはどうでしょう。そのように、ささやかな何かが、身近な誰かが、「肉の心」を、「希望」を、取り戻す手助けをしてくれるはずです。

Profile

打樋 啓史(UTEBI Keiji)

関西学院大学商学部、神学部卒業。同大学院神学研究科博士課程前期課程修了。同後期課程単位取得退学。キングス・カレッジ・ロンドン(ロンドン大学)大学院文学研究科神学・宗教学専攻修士課程(MPhil)修了。日本キリスト教団塚口教会で副牧師を務めた後、1999年関西学院大学社会学部宗教主事。2022年より関西学院宗教総主事。著書『現代文化とキリスト教』(共著)、『よくわかる宗教学』(共著)、『和解と交わりをめざして:宗教改革500年を記念して』(共著)他。

運営元:関西学院 広報部

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