「知性」とは何か?ニューロロボットの研究者に聞いた、ロボットと人間の境界線|当たり前を考える #3
いま世の中では、ChatGPTに代表されるAIが大ブームとなっています。まるで人間のように質問に対して答えを返してくるAIの性能には驚くばかりですが、それでは今のAIに本物の「知性」はあるのでしょうか。そもそも「知性」とは何なのでしょうか? 普段は深く考えることの少ない基本的な物事について専門家の視点や知見に触れる、「当たり前を考える」シリーズの第3回は、ニューロロボットを研究する工藤卓先生に、「本物の知性とは何か」について、お話を伺いました。
Profile
工藤 卓(KUDOH Suguru)
関西学院大学工学部知能・機械工学課程教授。日本学術振興会特別研究員、通商産業省工業技術院大阪工業技術研究所(現・独立行政法人産業技術総合研究所)研究員、独立行政法人科学技術振興機構さきがけ研究者(兼任)、大阪大学基礎工学部客員准教授(兼任)などを経て、2009年に関西学院大学理工学部人間システム工学科准教授に就任。2014年より現職。ライフワークは少林寺拳法と居合道。
この記事の要約
- ニューロロボティクスは、生体の神経科学とロボット工学を合わせた研究分野。
- AI(人工知能)は、人間などの生物の知性とはまったく異なる仕組みで動いている。
- 「身体性」を持つロボットの研究を通じて「本物の知性」を創って理解したい。
ロボットに「身体性」を与えることの意義
——先生の専門とされる「ニューロロボティクス」とは、どのような研究分野なのでしょうか。
ニューロとは「神経の」、ロボティクスは「ロボット工学」という意味です。その2つが結びついたニューロロボティクスは、「生体の神経科学とロボット工学を合わせた研究分野」を表す言葉です。この分野の研究には、例えば生物の神経回路網と機械システムであるロボットを接続して、神経回路網に身体(性)を与えることを目的としたニューロロボットの開発が含まれます。ラットの脳から取り出した神経回路網や、あるいはiPS細胞やES細胞を培養して脳を模した神経組織「オルガネラ」を作り出し、それらとロボットをつないで、さまざまな実験や測定が行われています。
——生きている神経回路にロボットという「身体」を与えるわけですね。
はい。まさにその「身体性」が、ニューロロボットの研究のいちばん重要なポイントであり、他のロボット研究と大きく異なるところだと考えています。この分野の第一人者であるフレデリック・カプラン博士は、世界で唯一ニューロロボティクスを冠した専門ジャーナルに、「embodiment(身体化)」をタイトルに含む論文を発表しています。彼はニューロロボティクスを「神経回路に身体を与えることで、どんな知性ができあがるかを実証的に明らかにする学問」と定義しています。また、ニューロロボットのパイオニアであるスティーブ・ポッター博士は、同じジャーナルに発表した論文のタイトルで、ニューロロボットを「semi-living(半生体の)」と表現しています。
——今話題のAIなどを用いたロボットとの違いは、何なのでしょうか?
生体神経回路網を「生きたコンピュータ」としてロボットの頭脳に用いるところが、決定的に違う点です。最近、人工知能(AI)の技術が飛躍的に発展し、世界的なブームになっています。しかし、現在主流になっている「深層学習」に基づく人工知能は結局のところ、ビッグデータと呼ばれる膨大なデータを処理する技術が高度化し、入力データと学習した内容とのマッチングを行っているに過ぎません。ChatGPTの生成する文章が自然に感じることから「人間の知性を越えた」と言う人もいますが、実際にやっていることは、結局データの統計処理にすぎないのです。本当は、人間が備えているような知性、生物としての知性は、現在のAIとは違う仕組みで動いていると言って良いと思います。
生物の知能を人工的に再現しようとするならば、「脳」と「身体」を結びつけることが不可欠であると私は考えています。なぜならば、本来、知性とは「生物が環境に適応して生き残るために生み出されたもの」であるからです。ChatGPTに代表されるAIは、身体を持っていないがゆえに、「死ぬ」ということがありません。あらゆる生物は、「自己保存・自己複製」するという特徴を持っています。「知性」も生命本来の目標「生きる」を実現するために生み出された機能であるはずです。だからこそ、本物の知性を生み出すには、生きている身体との結びつきが必要なのです。
——心と身体の結びつきというと、哲学的でもありますね。
はい、私も哲学には若い頃から関心があり、哲学書をいろいろ読み漁りました。しかし哲学という学問は実験を行いませんので、実証的なサイエンスとして心を扱う、認知科学や神経科学の道に進みました。ところが、脳は構造的にも機能的にも複雑すぎて、“心がなぜ存在するのか”は大学院で研究を続けていても、なかなか見えてきませんでした。そんなあるとき、「脳と身体が相互に作用するメカニズムを、自分で作ってみることで考えればよいのではないか」と思ったのです。このように対象とするものを、作ることによって理解する研究のスタイルを「構成論的研究」といいます。ニューロロボットの研究は、まさに脳に関する構成論的研究なのです。
自ら“学習”するニューロロボットの可能性
——先生は現在どのように、ニューロロボティクスの研究に取り組んでいるのでしょうか。
ニューロロボットの研究では、ラットの脳からとりだして培養した神経回路網の電気活動と、実際に動くロボットの動作とを結びつける「変換アルゴリズム」、すなわち「生きている神経回路とロボットのつなぎ方」をどう設計するかが、大変重要になります。現在は、できるだけシンプルな仕組みで、実際の脳の中の「神経細胞のみ」で実装可能なアルゴリズムを模索しています。中でも注目するのが「短期抑圧現象」というシナプス伝達に関する現象で、それを利用してロボットを動かす方法を開発しています。短期抑圧現象とは、神経細胞同士の情報伝達が一時的に低下する現象です。
——ラットの脳神経を培養して作った神経回路から、どのようにロボットを動かすのですか?
ラットの海馬の神経細胞は、培養するとシャーレの中で、生きている脳の一部のような複雑なネットワーク構造を再構成します。私たちはその神経ネットワークの電気活動を、同時に64個の電極から計測し、外部から刺激を与えたときに、どこの部位が活動して電位が変化するかを解析しました。その解析結果を利用して開発したのが、「障害物を回避しながら、通路を走行するロボット」です。
例えば、ロボットに搭載されたセンサーが壁を認識すると、電気刺激が神経回路網に入力され、特定の神経細胞の活動が変化してロボットのモーター速度が変わります。その結果、ロボットは壁への衝突を回避します。興味深いことに、走行実験を繰り返していくうちに衝突回避行動が強化されることも確認できました。それはつまり、ロボットを動かしている神経回路が、どうすれば壁にぶつからないかを「学習した」ということを意味します。
——なるほど、ラットの神経細胞が、自分で勝手に学んだわけですね。
そのとおりです。ラットから培養した神経細胞には、さらにおもしろい特徴がありました。シャーレ内で神経細胞を培養するときに、栄養分として与えるブドウ糖の濃度をあるグループでは18 mM(ミリモーラー)※にして、別のグループでは30 mMの濃度にしました。すると、18 mMで培養した神経細胞は、培養時の濃度に近い15 mMのブドウ糖を与えたときに最も活発に電気活動するようになりました。一方で、30 mMで培養したグループのほうは、15 mMよりも30 mMで最大の電気活動を示すようになりました。これは、培養している間に神経細胞にとってもっとも快適なブドウ糖濃度が決まり、神経回路網がそれに慣れた(学習した)可能性を示しています。18 mMで培養した神経細胞にとって30 mMの濃度は“濃すぎ”であり、30 mMで培養した神経細胞には逆に15 mMでは“薄すぎる”のです。
※M(モーラー)はモル濃度と言い、濃度の単位を表す。mMは1/1000 M。
——人も食習慣によって、濃い味が好きな人もいれば、薄味好きな人もいますが、それに似ていますね。
はい、人間を含めた生物は、食べ物の塩分や糖分の濃度などを、自分にとって最も快適に生きられる量に、自動的に調節しながら体内に取り入れています。その一定の状態を維持する機能を「ホメオスタシス(恒常性)」と言います。この実験結果は、培養した神経回路網が、生物のように「快適」と「不快」を感じている可能性を示しています。つまり、ホメオスタシスが「快・不快」の感覚の元になっているかもしれない。これをうまく使うと、快・不快を感じる人工の「知性」を作り出せる可能性があると気づきました。生物が自らの生命を守りながら生きていくように、自分の身体を気づかいながら、生命活動を維持できるロボットが開発できたら、それは生き物らしい心、本当の知性を持っていると言えるのではないでしょうか。
人の役に立つ「本物の知性」の創造をめざす
——ニューロロボットが「自らの生命を維持する」ことの先に、先生が考える「本当の知性」があるということでしょうか。
そのとおりです。生物というのはすべて自分の生命維持を目的として、思考を巡らせ、行動しています。それは人間のような高等生物はもちろん、犬や猿や鳥もそうですし、トカゲやカエル、さらにはゾウリムシのような原生動物も同じです。あらゆる生物が、自分の生命を守るために、外部の環境の変化を察知し、自ら外部に働きかけることで、生命を維持し、自分の分身を作り出しているわけです。現在のAIにまったく欠けているのが、そのことです。AIは身体という主体がないゆえに、生命を維持するという自らの意志を持ち得ない。だから外部から与えられた入力に反応するだけで、主体的に判断をすることは決してありません。
ChatGPTに質問すると、知らない事項については、まったく正しくない答えを返してくることがあります。それも、今のAIに主体がないことが理由の一つだと私は感じています。主体がないがゆえに、価値判断もできず、ChatGPTは「自分は今、間違ったことを言っている」と意識をすることもないのです。
——工藤先生のお話で「本物の知性」とは何なのか、理解が深まりました。最後に、これからの目標について教えていただけますか?
生体から取り出した神経細胞を培養して作った回路は、生命体であるがゆえにどうしても“ゆらぎ”があり、従来のコンピュータのように、入力に対して毎回、同じアウトプットを返すというわけには、なかなかいきません。それこそが先に述べた通り、生命としての特徴でもあるわけですが、その“ゆらぎ”を工学的に制御することで、いつか将来、人の役にも立つニューロロボットを実現すること。それが私の研究の最大の目標といえるでしょう。
取材対象:工藤 卓(関西学院大学工学部 知能・機械工学課程 教授)
ライター:大越 裕
運営元:関西学院 広報部
※掲載内容は取材当時のものとなります