WELL-BEING

制御不能な言葉 |聖書に聞く #19

アンドレアス・ルスターホルツ文学部教授・宗教主事

関西学院のキリスト教関係教員が、聖書の一節を取り上げ、「真に豊かな人生」を生きるヒントをお届けします。

種を蒔く人が種蒔きに出て行った。蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。ほかの種は茨の中に落ちた。すると、茨が伸びて塞いだので、実を結ばなかった。ほかの種は、良い土地に落ち、芽生え、育って実を結び、あるものは三十倍、あるものは六十倍、あるものは百倍になった。

新約聖書 マルコによる福音書4章3-4、7-8節

ある仕事や共同のプロジェクトなどを成功させるためにコミュニケーションを取りながら、明確な指示を出さなければならないことがあります。その際、相手が正確に理解できるよう、慎重に言葉を選びます。意味が不明瞭だと完成が遅れ、期限までに間に合わない可能性があるからです。しかし、すべてを上手に伝えたと考えていても、言い方がきつ過ぎたり、余計な言葉が人間関係をダメにすることがあります。

上記の聖書箇所では、イエスは種を蒔く人の行動を紹介しています。失敗した例は、これ以外にもあと一つほどありますが、よく考えると、そのような蒔き方、つまり、種の一部が必ず無駄になる蒔き方をする人は、昔も今もいないのではないでしょうか。種を蒔く際、種が無駄にならないよう気をつけろという注意事項として読むこともできますが、そのような話は、農民でないイエスの弟子たちにとっては面白くなかったでしょうし、弟子たちがそれを記憶し、後世に伝えようと思う話でもなかったでしょう。

話の続きには、解釈の鍵が提供されています。つまり、種とは“言葉”を意味しているということです。イエスは、自分の言葉が誰の耳に入るかを気にせず、すべての人びと、そして特にアウトサイダーに声を掛け、話をしてきました。効果はさまざまでした。その話を聞こうとしない者もいれば、理解する人も、イエスに従っていくことを決心した人もいました。イエスは自らの権威を根拠に活動していたわけではなく、完全に自分の言葉の力に頼っていたのです。

確かに、言葉には不思議な力があります。既に古代ギリシアの哲学者や、新約聖書の著者の一人も、ギリシア語で“ロゴス”と呼ばれている“言葉”の働きと力を強調しました。私たちも日々、言葉の力を実感するのではないでしょうか。相手を怒らせる言葉、相手の気持ちを傷つける言葉、また逆に相手に好意を持たせる言葉。言葉の力はさまざまです。

上記のたとえ話にあるように、イエスは無差別にすべての人に声を掛け、よい実が結ばれることを期待しました。私たちも言葉の力に頼るしかありませんが、すべてがよい実を結ぶとは限りません。やはり、折に触れて、自らの言葉遣いについて考慮しなおす必要があるのかもしれません。

Profile

アンドレアス・ルスターホルツ(Andreas RUSTERHOLZ)

1964年チューリッヒ生まれ。チューリッヒ大学文学部日本語学科に学び、広島大学に留学、チューリッヒ大学神学部卒業。チューリッヒ大学神学部助手、ベルン大学神学部助手、チューリッヒ市ブリンガー教会牧師を経て、関西学院大学文学部教授・宗教主事。訳書に『ユダヤ教-歴史・信仰・文化』(G.シュテンベルガー著、教文館)など。

運営元:関西学院 広報部

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